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弁護士ブログ

2008/12/26

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 小学校低学年の頃,決まって給食の時に流されていたシューベルトの「軍隊行進曲」なんかは割と好きだったし,音楽の授業の時に聴いたケテルビーの「ペルシャの市場にて」などは,「そうか,こういう珍しげな曲もあるんだ・・」などと感心していた。でも,今にして思えば,特定の作曲家やアーティストなどを明確に意識しだした最初の頃は,おそらく小学校6年生だったと思う。

 

 そのきっかけは,音楽室の前面上部の壁にほぼ週替わりで掛けられていた4枚ずつほどの音楽家の肖像画であり,またクラスメートの女の子が図書室から借りてきてくれた音楽家の伝記だった。例えば,今週はブラームス,チャイコフスキー,ヘンデル,シューマン,その次の週はバッハ,メンデルスゾーン,ショパン,ドビュッシーといったように有名な音楽家の肖像画が掛け替えられる風習がその小学校にはあり,漠然とだが音楽家に興味を持つようになっていた。そうこうしているうちに,転校生の私に優しく接してくれたNY子さんが,僕に何気なく,「今から図書室に行くけど,何か借りてきてあげようか。」と声を掛けてくれたのである。僕は「じゃ,誰のでもいいから,音楽家の伝記をお願い。」と頼んだのである。

 

 そこでその優しい女の子が借りてきてくれたのが,たまたまショパンの伝記だった。全部読んだら,じゃぁ,このショパンという人はどんな音楽を創ったんだろうかと興味が湧き,父に頼んでショパンの作品(小品)が10曲ほど入ったレコードを買ってもらって聴いた。ひ,ひじょーに感動した。今も覚えているが,そのレコードで演奏していたピアニストは,ポーランド人のアダム・ハラシェヴィッチという人で,「英雄ポロネーズ」,「ノクターン(変ホ長調の有名なやつ)」,「別れの曲」,「幻想即興曲」,雨だれの前奏曲」,「華麗なる大円舞曲」などが入っていたと思う。後から知ったことだが,このピアニストは,1955年の第5回ショパン国際ピアノコンクールで,あの有名なヴラディーミル・アシュケナージと優勝を争った人だ。

 

 私の音楽遍歴の出発点は,このショパンの音楽だった。こりゃすごいと思い,今からすれば極めて遅咲きだったが,土下座せんばかりに父に頼み込んで,すぐにピアノを習わせてもらうようになった。結果的には,あの優しかったNY子さんが僕の音楽遍歴の出発点を作ってくれたのだ。その子は,いわば典型的な昭和の女の子で,面長,色白,頭の後ろで三つ編みを二つに分け,飾り気のないこざっぱりした子だった。ただ,僕の記憶では学年の途中か,それとも学年の終了時に,おそらくお父さんの転勤の都合か何かで北海道へ引っ越していってしまったと思う。彼女は,まず,ショパンと僕を引き合わせてくれた功労者だったのだ。

(いつかに続く) 

2008/12/24

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 寒くなった。ようやく冬らしくなった。先日は,少しばかり時雨れていたし・・・。

午前中に歩いて法廷へ行く途中,消極的ではあるが幸運な出来事があった。並木になっている歩道をトボトボ歩いていると,7,8メートルほど先の木の枝に鳩が僕の方に背を向けて留まった。何となくであるが自然に僕の足が止まった。その2,3秒後にその鳩が後ろに向けて白っぽいフンを機関銃のように発射してきたのだ。

 

 よ,よかったーっ。そのまま歩いていたら,件のものが僕の顔面かあるいは黒のオーバーコートの襟付近を直撃することは必定であった。もしそのような事態にでもなったら,件のそれをハンカチで拭くだけで法廷で訴訟活動を行わなければならなかったし,何よりもその日は一日中気分的に凹んでいたはずだった。自分の危険予知能力も満更ではないなと思った。そのたぐいまれなる危険予知能力が,待ちかまえていた凄惨な結果,過酷な運命を首尾よく回避させることになったからである。「消極的な幸運」とでも言える出来事であった。

 

 時雨れるといえば,僕は,種田山頭火の句の中でも次の句が最も好きな一つである。 

 

     自嘲 「うしろすがたのしぐれてゆくか」

 この句の解釈にもいろいろのものがあるが,理屈抜きでシンミリくる。僕にとって山頭火が気になる存在になったのは,おそらく高校生の時からだったと思う。現代国語という教科の中で,山頭火が尾崎放哉らと並んで,五七五の定型句ではなく,自由で非定型の句を詠み,漂泊の俳人だったということを知ったのだ。山頭火だけでなく,尾崎放哉の次の句に直面した時は,ショックであったし,強い感動を覚えたものである。

         「咳をしても一人」

 このようなことから,特に山頭火はどういう訳か気になる存在になった。彼の句が非常に好きになってしまったのである。いくつか挙げてみよう。

         「何とかしたい草の葉のそよげども」

         「寝るよりほかない月を観てゐる」

         「分け入つても分け入つても青い山」

         「うどん供えて、母よ、わたくしもいただきまする」

         「一杯やりたい夕焼空」

         「すべってころんで山がひっそり」

     (いつかに続く)

2008/12/19

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 僕が子供だった頃の音楽の教科書には,バッハは「音楽の父」,ヘンデルは「音楽の母」と書いてあった。音楽の「母」で思い出したが,先日何かの本を読んでいて思わず腹をかかえて笑ってしまったことがある。それは,ある人が最近まで本当にヘンデルが女性だと思い込んでいたというのである。

 

 バッハの顔は,どんな角度から見ても(例えば逆立ちしても)絶対に男と分かるが,確かにヘンデルは,その当時の宮廷音楽家がしていたように髪の毛フサフサのかつらをかぶっているし,何よりも見事なほどのくっきり二重まぶたである。音楽の「母」という表現と相まって,ある人がヘンデルを本当に女性だと勘違いするのも無理はない。その二重まぶたは,例えば仮に,「輝け!第一回世界くっきり二重まぶた選手権」が開催されたとしたら,ヘンデルは間違いなく優勝候補筆頭であろう。その日の体調により奥二重と一重を行ったり来たりの僕としては羨ましい限りである。「じゃ,ヘンデル級のくっきり二重まぶたにしてやろうか。」と言われれば,ち,ちょっと引いてしまう。

 

 随分とヘンデルに失礼なことを言ったが,今日の本題は,ヘンデルの癒しの音楽である。今お気に入りの曲が2つある。1つ目は,歌劇「リナルド」の中の「私を泣かせてください」というアリアである。アルミーナは騎士リナルドを心から愛しているにもかかわらず魔女によって庭園に幽閉され,かえって外国の王アルガンテに迫られ,悲嘆にくれながら切々とこのアリアを歌う。本当に心にしみわたるメロディーだなぁ。2つ目は,ご存じ,歌劇「セルセ」の中のアリア「オンブラ・マイ・フ」だ。主人公である王セルセ(古代ペルシャ)が木陰に憩う情景でこのアリアが歌われる。何でこんなに美しい,癒しのメロディーが湧くのだろうと思ってしまう。この曲は,今ではむしろ弦楽器などの器楽曲に編曲され,「ラルゴ」の名で親しまれている。

 

 そうしてみると,ヘンデルの癒しの音楽は,歌劇の中に多くちりばめられているような気がする。

 

2008/12/18

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大久保 「やっぱ,寒い夜は熱燗にかぎるな。どうじゃ,西郷どんのご機嫌は。」

 

西郷  「どうもこもないわ。ったく,マナーの悪い自転車乗りがおるな。朝,出勤するとき,横道から急に自転車が出て来おって,もうちょっとでぶつかりそうになったわ。」

 

大久保 「おお,そうだな。俺も時々,横着な自転車乗りのせいで大いに不愉快になる時があるんじゃ。歩道を人が大勢歩いておるのに,信じられんくらい猛スピードで突っ切ろうとする奴が結構おるわ。まぁ飲め。」

 

西郷  「あんなスピードで走って,子供や老人にぶつかったら一体どうするんじゃ!乗り方によっちゃぁ,自転車でも殺傷能力があるんじゃないのか。大概にせんと。」

 

大久保 「そうじゃな。マナーの悪い自転車乗りは,自分はいつでも止まれるというおごりがあるのとちゃうか。とにかく,俺ら歩行者に恐怖感を与えるなっちゅうに!」

 

西郷  「ワシも最近メタボだし,季節も感じたい歳になったからのう,散歩がてら歩いて出勤するのが楽しみなんじゃ。じゃっどん,マナーの悪い自転車乗りのせいで,歩きの方向を変えるときもいちいち後ろを振り返って安全確認じゃけん。気が安まらんわい。」

 

大久保 「そうよ。日本人が劣化しちょるのう。自転車にも『江戸しぐさ』が必要よ。」

 

西郷  「『江戸しぐさ』?何じゃそれ。顔に似合わず,小洒落たこと言いおって。」

 

大久保 「万年係長!相変わらず何も知らんな。どこぞの偉い様みたいに,マンガばっかり読んどるんじゃろうが。」

 

西郷  「万年係長じゃと?おまえが言うな!何じゃ,その『江戸しぐさ』ちゅうのは。」

 

大久保 「当時世界一の人口をもった江戸の商人たちが作り上げた行動哲学じゃ。要するに,多くの人たちができるだけ気持ちよく生活できるようにと,思いやりに裏打ちされた一つのマナーじゃな。往来でのマナーで言ったら,『傘かしげ』『肩引き』『七三の道』なんかじゃのう。自分の傘のしずくが行き交う人にかからんようにする。肩がぶつからんようにする。道をできるだけ譲るということよ。」

 

西郷  「おぬしに教えられたくはなかったが,確かにその通りじゃな。思いやりじゃな。自転車には全く罪はないが,それに乗る者は『江戸しぐさ』でいかんかい!」

 

大久保 「いつもは意見の合わんことが多いが,今宵はちとちがうな。もう一軒行こう。」

 

西郷  「おう!」

2008/12/16

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 平成5年のJリーグ発足以来,僕は地元の名古屋グランパスを応援してきた。一時期はそのあまりの弱さに絶望していたが,アーセン・ベンゲル監督が指揮していた頃は頻繁に瑞穂陸上競技場に足を運んで熱狂していた。その後はまた僕の期待を裏切ることが多かったが,いまどきはストイコビッチ監督が良いチーム作りをしているようで,再び期待感をもって見ている。

 

 監督に要求される資質・能力は,統率力と分析力の他に,何よりも負けず嫌いでなければならないと思う。その点,ストイコビッチ監督の負けず嫌いは半端ではなく,それは彼が現役時代に名古屋に来た時のプレーを見れば明らかである(審判からレッドカードを示されてよく退場していた。)。負けず嫌いであれば,次に負けるのが嫌だから対戦相手チームをよく分析するのは勿論,敗戦の原因を分析・反省し,同じ間違いをしないよう戦術の共通理解と決めごとを選手に徹底していくだろうからである。

 

 そして,着任して初のシーズンであった今年,J1の18チーム中3位の成績を上げられたのも,監督として,負けず嫌いに裏打ちされたある程度の良い仕事ができたからではないだろうか。ドラガン・ストイコビッチといえば,名門レッドスター・ベオグラードで,デヤン・サビチェビッチらきら星のように輝く天才集団の中でも抜きん出た存在であった。1990年のワールドカップイタリア大会で旧ユーゴスラビアをベスト8に導いたのも彼であったといってもよい。時代は違うが,現在のグランパスの若手選手も監督の現役時代の凄さを知らない訳はなく,憧れに近い感情で監督の指示に従っているのではないだろうか(統率力の源泉)。

 

 グランパスは,J2に降格決定したコンサドーレ札幌から24歳のダビというFWを獲得した。ゴーラー(点取り屋)の欲しいチームとしては良い補強ができたのではないか。あとは,大事なリーグ後半戦に引き分けばっかりで勝ち点3を加えられなかったり,1-2で柏レイソルに負けたりといった精神的に脆弱な面を改善していけば,来シーズンは期待できると思う。そう,監督は負けず嫌いでないと!

2008/12/15

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 オーディションの結果(合否)を通知するハガキが先日自宅に届いた・・・・・・・・・・・・・・・・・。ひっ,ひぇー!合格だーっ!良かった(泣)。かくなる上は,もちろん仕事は一生懸命にやるが,「マタイ受難曲」に向けた合唱団の練習も,健康に気をつけて一生懸命にやるぞーっ!(笑)

 

 健康といえば,僕はここ数年続けて年1回人間ドックを受けてきた。でも,人間ドックの数ある種目の中で,僕がどうしても毎回うまくいかないというか,苦手な種目が2つある。1つは,バリウムによる胃部X線検査の前に飲む発泡剤である。検査技師から「はい,ゲップは我慢してくださいね。」といつも言われるのに,決まってゲップをしてしまうのである(ひどい時には技師からそのように言われている最中にも!)。もう1つは,腹部エコー検査の際,担当者から「はい,おなかをふくらませてぇ。」と言われておなかをふくらませた直後にエコーの器具でそこをグリグリされる時に,どうしても吹き出して笑ってしまうのである。この苦手種目2つについては,ここ数年連敗を続けている。

 

 先週の金曜日,本年度の人間ドックを受けてきた。さきほど述べた苦手2種目については,結論からいえば1勝1敗だった。発泡剤のゲップについては,今度ばかりは気合いが入っていたせいか,全くゲップをすることなく,胃がパンパンの極めて良好なX線写真が撮れたのではないかと自負している。し,しかし,腹部エコーの方は,またまた3回ほど吹き出して笑ってしまい,担当者に迷惑をかけてしまった(彼は人格者のようで不機嫌そうな顔はしなかった)。どうして笑ってしまうのだろうか。担当者の顔が近くにあるし,しかも連敗も続いているし,「絶対に笑ってはいけない!」という強迫観念が自分を支配するからだろう。しかし,その日の担当者は,私に腹を膨らませる指示をするに当たり「はい,おなかポーン」,「おなかポーン」,「ポーン」という滑稽な表現を使うのである。この情況でさらに器具でお腹をグリグリやられるのだから,笑い上戸の僕に笑うなという方が酷である。よーし。来年は絶対に笑わないぞ!(笑)

 

 

 

2008/12/12

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 ピアノの音は今度は1オクターブ下となり,同じテストが始まった。つまり,ピアノの音に合わせて,アーアーアーアーアーアーアーアーアー(例えばドレミファソファミレド)と歌う。今度は比較的低音域で歌いやすい。しかもこの音域でさきほどのように音程が3度ずつ(おそらく)上昇していったとしても,まあ何とかなるだろう・・・・。と,ところが,今度は音程が徐々に下に移行し始めたのである。え゛ぇーーっ・・そ,そんなぁ-。音域の限界に挑戦させられる自分がそこにいたのである。

 

 この最後のアーアー・・・・の時も(超低音),あごが引け,目は超上目遣いになり,ちょうど餅をのどに詰まらせてもがいているようなすごい形相になっていたに違いない(否,そのように確信している)。は,恥ずかしい・・・。結局,僕はテノール音域でも高音域に難があり,バス音域でも低音域に難があるという現実に直面したのだ。思い起こせば,僕はカラオケに行っても,♯や♭を手前勝手に多用し,いつも歌いやすい状態で歌っていた。安逸をむさぼっていたのである。

 

 少年期で声変わりがする前は,音楽の先生に,「君はいいボーイソプラノをもっているね。」なんて言われた栄光の時代もあったのに・・・。ええい,過去の栄光が何だ。現実を直視しろ。このようにして,僕のオーディションは終了した。採否の結果は後日ハガキで通知されるとのこと。

 

 でもね・・。僕は本当に心からバッハの音楽が大好きで,この音楽家を尊敬し,「マタイ受難曲」もスキでスキでたまらない。結果はともかくとして,この曲歌いたさに老骨にむち打って果敢に挑んだ自分をほめてやりたい気もするのよ。人生の1ページとしてね。

 

 最後に,オーディションをしてくれたこの合唱団は非常にフレンドリーで,皆さん嬉々として練習に参加し,合唱指導も素晴らしく,ドイツ語の歌詞の習得も本格的である。是非この「マタイ受難曲」の演奏を成功させて欲しいと心から願っている。

2008/12/10

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 来年の「マタイ受難曲」演奏に向けての,ある合唱団の新人オーディションを昨晩受けた。僕はそのオーディションの具体的な内容を知らなかったし,そのシテュエーション(情況)も皆目見当がつかなかった。会場に臨む前に,気を落ち着かせるためにトイレに行ったのだが,洗面前で1,2分たたずみ,このまま逃げ出したい衝動に駆られた。

 

 意を決して会場に入ると,私と同じかそれより少し上の年配の男性が2名着席していた。その日のオーディションには,男性は僕を含めて3名が臨むようだった。僕たちと向き合う形で審査員が5,6名,正面中央付近にはピアノ,そしてオーディション担当の先生がいた。そして,な,何と,会場のほとんどにイスが設置され,今宵練習のために嬉々として集まってきた団員の皆さんが相当数着席していたのだ。あ゛ぁーーっ・・・。

 僕が最も恐れていたシテュエーション(情況)だ。僕を含めた3名の男性は,冒頭合唱曲の歌詞じゃないけど,「さながら子羊のよう」であった。心理的には完全な極限状況で,もしよければその場から逃げ出したかった。

 

 

僕は3番目に名前を呼ばれ,ピアノの音に合わせて,アーアーアーアーアーアーアーアーアー(例えばドレミファソファミレド)と歌う。しかし,最初から躓いた。「あぁ。1オクターブ上げてくださいね。」と言われた。そう,僕はピアノの音より1オクターブ下を歌っていたのだ。え゛ぇーーっ・・そんな高い音出せるのかな。やってみたら最初は何とかうまくいった。しかし,ピアノの音はだんだん音程が3度ずつ(おそらく)上昇していくのだ。これが4回ほど上昇を続けた。しかし僕は,3回目くらいで高音域がかすれ,4回目では出ない音が相当にあった。この時の自分の必死の形相は想像するだに恐ろしい。鬼気迫るものがあったに違いない。「子羊」が「シーサー(沖縄の鬼瓦)」に化けた瞬間である。

 

 高音域が終わったと思ったら,ピアノの音は今度は1オクターブ下となり,同じテストが始まった。・・・・次第に,あこがれの「マタイ受難曲」が自分から遠ざかっていく絵が見えた。(続く)

 

 

 

 

2008/12/09

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 新撰組は何しろ武闘集団だから,個々の隊士の評価に当たっては,「強さ」すなわち剣の腕も一つの基準になるだろう。そうしたときに,剣の腕の凄さという観点から強いて5人だけ挙げろとなると,次のような面々じゃないかと思う(これは強さの順ではなく五十音順)。沖田総司,斎藤一,永倉新八,服部武雄,吉村貫一郎。

 

 ただ,局長の近藤勇の天然理心流は,刀術だけでなく,棒術,柔術,気合術などを総合した極めて実践的な剣法だったようで,彼は先に挙げたようなそうそうたる面々を統率していたのだから,彼が一番強かったという論も成り立つ。でも,ここではその論はひとまずおくことにする。さてさて,沖田,永倉,斎藤は新撰組の各組の組長を務め,剣術師範だったのだからその実力の凄さは言うまでもない。戊辰戦争が勃発した初期の段階で,薩摩藩が圧倒的な火力(鉄砲など)を駆使している中,永倉などは,副長の土方に要請されて弾丸が雨あられのように降る中に,果敢に斬り込みにいったというのだからその気の強さも凄い(また,永倉の曲がったことの嫌いな謹厳実直な性格も好き)。

 

 ところで,服部武雄は結局は新撰組と袂を分かち,伊東甲子太郞率いる御陵衛士(いわゆる高台寺党)に属したが,その強さは半端じゃなかったらしい(二刀流で勇猛果敢)。

 沖田より強かったという説もあるくらいだ。

 

 また,吉村貫一郎は,浅田次郎の「壬生義士伝」の主人公であり,創作の部分が相当あるらしいのだが,この人物も相当に腕が立ったように描かれている(映画では「新選組で一番強かった男」というふれ込みまである)。僕は,この「壬生義士伝」という小説を読んでいて不覚にも泣いたことがある(同じ著者の「輪違屋糸里」を読んだ時はアッケラカンとしていたのに・・。)「壬生義士伝」にはそれくらい感動的な部分がいくつかあり,吉村貫一郎の生き様に大いに感動した。腕は立つし,学問もできる。かげで「守銭奴」と誹られながらも,なりふり構わず故郷(南部藩)に置いてきた妻子を必死で守ろうとするのである。いいなぁ,こういう人は・・・。

2008/12/08

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 何気なく新聞の雑誌広告欄を見ていたら,「月刊現代」(最終号と書いてある)の対談企画として「男たちの魅力『新選組』最高の隊士は誰だ」とあった。

そうだなぁ,いつどんな時でもこの企画は成立するよなと思った。何しろ,激動の時代が生んだ新撰組の華々しさと悲劇性,隊士の面々の途方もない魅力と謎,どれをとっても興味深いからである。

 

 さて,「最高の隊士は誰だ」となると,大方の人は土方歳三をまず挙げるのだろうし,近藤勇,沖田総司なども有力なんだろう。でも僕は,このあまりにも魅力的過ぎる存在(団体)の中で,「最高」は決められないのではないかと思う。不遜な言い方だけど,知れば知るほど決められなくなってくるのが普通だ。

 

 ただ,自分だったらどのタイプに近いのかなということからすると,僕は山南敬助か伊東甲子太郎に近い存在だったのではないかと思う(ビジュアル面は別として。)。数年前の大河ドラマ「新選組」は毎週楽しみに見ていたが,山南敬助の「決断」に至るまでのいきさつや切腹場面は,自分の姿を投影させてみていた。その後に家族と京都旅行に行った時は,当然のように光縁寺の山南敬助の墓参りまでしちゃったのである。

 

 墓参りで思い出したが,僕は2年前の家族旅行で,会津若松などに行き,同市内の阿弥陀寺にある斎藤一の墓参りもぬかりなくやった(墓碑銘は「藤田五郎之墓」だったと思う。)。そう,僕は隊士の追っかけなのである。この斎藤一という人物も極めて謎めいていて興味がある。相当の手練れであり,多くの修羅場をくぐり,その後西南戦争にも従軍している。大河ドラマではオダギリジョーが格好良く斎藤一役をやっていたが,写真を見る限り,実物はフランケンシュタインを少し細くしたような感じである。(続く)

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