寒くなった。ようやく冬らしくなった。先日は,少しばかり時雨れていたし・・・。
午前中に歩いて法廷へ行く途中,消極的ではあるが幸運な出来事があった。並木になっている歩道をトボトボ歩いていると,7,8メートルほど先の木の枝に鳩が僕の方に背を向けて留まった。何となくであるが自然に僕の足が止まった。その2,3秒後にその鳩が後ろに向けて白っぽいフンを機関銃のように発射してきたのだ。
よ,よかったーっ。そのまま歩いていたら,件のものが僕の顔面かあるいは黒のオーバーコートの襟付近を直撃することは必定であった。もしそのような事態にでもなったら,件のそれをハンカチで拭くだけで法廷で訴訟活動を行わなければならなかったし,何よりもその日は一日中気分的に凹んでいたはずだった。自分の危険予知能力も満更ではないなと思った。そのたぐいまれなる危険予知能力が,待ちかまえていた凄惨な結果,過酷な運命を首尾よく回避させることになったからである。「消極的な幸運」とでも言える出来事であった。
時雨れるといえば,僕は,種田山頭火の句の中でも次の句が最も好きな一つである。
自嘲 「うしろすがたのしぐれてゆくか」
この句の解釈にもいろいろのものがあるが,理屈抜きでシンミリくる。僕にとって山頭火が気になる存在になったのは,おそらく高校生の時からだったと思う。現代国語という教科の中で,山頭火が尾崎放哉らと並んで,五七五の定型句ではなく,自由で非定型の句を詠み,漂泊の俳人だったということを知ったのだ。山頭火だけでなく,尾崎放哉の次の句に直面した時は,ショックであったし,強い感動を覚えたものである。
「咳をしても一人」
このようなことから,特に山頭火はどういう訳か気になる存在になった。彼の句が非常に好きになってしまったのである。いくつか挙げてみよう。
「何とかしたい草の葉のそよげども」
「寝るよりほかない月を観てゐる」
「分け入つても分け入つても青い山」
「うどん供えて、母よ、わたくしもいただきまする」
「一杯やりたい夕焼空」
「すべってころんで山がひっそり」
(いつかに続く)