ピアノレッスンの始まりは小学校6年生だったから,今のご時世からすると遅咲きであった。ショパンのピアノ曲があんな風に弾けたらいいなという憧れの気持ちで,一生懸命に練習した。最初の数か月は若い女性の先生だった。それはそれで毎週レッスンに通うのが楽しみだったが(小6の子供としては随分なほどの不純な動機も含まれていたと評価できよう。),ST君という男子の友人の紹介もあり,ほどなくして今度は男性の先生のレッスンを受けることになった。
その先生は,NS先生といって,60歳を少し過ぎた感じの高校の音楽教師であった。我々は,いつも2人で電車とバスを使って南山大学のすぐ近くにある先生のご自宅に毎週1回レッスンに通ったが,その先生は,ひ,ひじょーに厳しかった。僕もST君も,それぞれのレッスンが終わる頃は,目にうっすら涙を浮かべていることがあった。レッスンが終わって交代する際に,ST君が少し泣いているのを何度も目撃したし,僕の場合は,先に終わって交代する際にはできるだけ涙を見られないようにST君と目を合わすのを避けがちだった。でも,今にして思えばその厳しい先生のおかげで練習にも身が入ったし(他律的な面もあるが),上達が比較的早かったと思う。また,時には簡単な作曲法のような指導もしてくれ,目を掛けてくださったのだ。
その当時のピアノ教則は,定番コースのようなものがあって,僕の場合も,バイエルから入り,バイエルの90番あたりを過ぎた頃から,指の筋力トレーニングともいうべきハノン,それから可愛らしい曲が多く含まれているブルグミュラー25の練習曲集,その後,チェルニー30番とソナチネアルバムというような順で進んでいった。
そ,そして,最初の発表会を迎えた。あろうことか,同じ学校の女子2名(そのうちの1人はKMさんという部活で小麦色に日焼けした健康的な可愛い女の子だった。)が僕とST君(泣き仲間)の発表を見に来てくれたので,非常に緊張した。僕はというと,さきほどのブルグミュラーの練習曲集の24番目「つばめ」(演奏時に右手と左手が交差し,ちょっと目にはカッコ好さげに見えるやつ)と,ソナチネアルバムの中のクレメンティのソナチネの第1楽章を弾いたと思う。一方のST君は,やたら元気に行進曲風の曲をガンガン弾いていた記憶である。このようにして,共に泣いた戦友と一緒に臨んだ発表会は無事に終了したのである。
(いつかに続く)