前にこのブログで,種田山頭火が非常に気になる存在だと書いた。山頭火の評伝(伝記)はいくつかあるのだろうが,ミネルヴァ書房から出ている「ミネルヴァ日本評伝選」シリーズの「種田山頭火」(村上護著)が決定版ではなかろうか。研究し尽くされた非常によい本だ。種田山頭火(本名,種田正一)は,満で9歳の時に母親が自殺し,その後年,実弟も自殺している。これらのことが山頭火のその後の人格形成に影響を与えなかったはずはない。それはそれとして,この本によると,どうやら山頭火の俳句は諸外国でも人気が高く,あちこちで翻訳されて,今や芭蕉に次ぐ存在になりつつあるとのことだ。
味わう者に語りかけることが多く,その心にずっしりと残る非定型句。彼は,結局妻子を捨てたに等しく,仏門に入って修行と堂守の生活に落ち着くかと思いきや,漂泊の行乞の旅に出る。鉄鉢を手にした托鉢僧姿で来る日も来る日も歩き,句作を続けた。
「どうしようもないわたしが歩いてゐる」
「しぐるるや死なないでいる」
「だまつて今日の草鞋穿く」
「まつすぐな道でさみしい」
「雨だれの音も年とった」
「鉄鉢の中へも霰」
木賃宿というのは今もあるのだろうか。旅人がその日の夕食として炊いてもらうお米を宿に持ち込み,炊くための薪代を支払って泊まる宿である。山頭火は,手にした鉄鉢に入れてもらった「もらい」のお米を宿に預け,それがその日の夕食になり,薪代になり,現金になるのである。今日のように真冬の行乞の旅はさぞ厳しいものであったろう(特にしぐれたりしたら・・・)。僕にはとても真似できないし,真似しようとも思わない。僕にも普通の生活があり,山頭火のように,半ば「諸縁放下」(徒然草)する訳にもいかない。でも,山頭火の句は魅力的で,その心情を思いやると何かしら理解できる部分もあり,イメージの中で山頭火の追体験をしたがっているのだろうと思う。
「荒海へ脚投げだして旅のあとさき」
「ついてくる犬よおまへも宿なしか」
「ひとり焼く餅ひとりでにふくれたる」
「たんぽぽちるやしきりにおもふ母の死のこと」
「濁れる水の流れつつ澄む」
(山頭火の場合は気が向いたらいつかに続く)