あんまりきれいな店構えではないけど,以前から好きだった中華料理店がある。本当に働き者で,夫唱婦随の老夫婦がせっせと調理してくれる。その真面目な働きぶりを見ていると,心象風景としての昭和がよみがえる。癒されもする。前はキャバレーだったビルの地下1階にあり,一番最初はすごく入りにくい感じだが,味が良いせいかランチ時はサラリーマンやOLで賑わう。久しぶりにこの店の天津飯が食いたくなってのぞいてみた。
店内はカウンターのみで,客席は12ほど。僕が注文した天津飯が出された時点では,僕の右側は満員。左側はというと,1つ席が空き,中年サラリーマン(以下「子羊」という。)また1つ席が空き,その左側は満員。つまり,空いている客席は子羊の左右1席ずつだけであった。
僕は天津飯,子羊はAランチ(その店ではチャーハンとラーメンの定番セット)を美味しそうに食べていた。その直後,子羊の困惑や狼狽の気持は「察するに余りある」という情況が生じてしまったのである。すなわち,美人OL3人づれが颯爽と店内に入り,順番待ちとして子羊の背後にずらりと立ったのである(そのOLの制服は見覚えのあるメガバンクのもの)。この子羊ちゃん,以前僕がトレーニングジムで体験した「待たれる」立場に突如として追いやられてしまったのである。そのチャーハンとラーメンのセットといえばお昼の定番で,空腹時にはたまらないメニュー。味わって食べたいはずであろうに,子羊ちゃんは食べ始めたばかりで,食べ終わるまでには長丁場。他人事とはいえ,僕も何やら心理的に緊迫感を感じ,彼の困惑や狼狽の気持は「察するに余りある」のである。この言葉は,事故等の被害者の心情を察する際によく使われる言葉であって,ここでこの言葉を使うのは躊躇されたが,その時は即座にこの言葉が思い浮かんだのである。
子羊は,その間じゅう食べながらどんなことを考えたのであろうか。「この情況は,ど,どうしようもないよな。3人づれだから俺が1つずれても2人しか座れないし・・・。で,でも,たとえ2人でも座りたいだろうか・・・。あ”ーっ。」という感じだったろうか。もちろんその美人3人衆(厳しめに言うと美人は1人だけ)には罪はない。しかし,客観的には緊迫した雰囲気を醸し出していた。そこでようやく,左側の人が「ごちそうさま。」と言って勘定を済ませてくれたので,子羊ちゃんがそそくさと1つずれてやり,ようやくその美人3人衆(本当は1人)は全員座れたのである。
その3人衆は即座にいずれもAランチを注文し,やがてみんなラーメンとチャーハンを美味しそうに頬ばっていた。食欲旺盛で元気で若い。こういう人達の頑張りがあってこそ,銀行はその自己資本比率を維持できているのではなかろうか。