少し恥ずかしいのだけれど,最近食べることが楽しみで仕方ない。夜寝る前には翌朝の味噌汁の具は何がいいとか,アジの開きが欲しい,いや納豆も欠かせないとか,そんなことが頭に浮かぶ。散歩がてら歩いて職場に向かう途上も,昼はどうしよう,今日はすごく辛いカレーがいいかな,でもあっさり系の中華そばもいいな,いや待てよ,カレーといってもあの蕎麦屋のコロッケカレーそばも捨てがたいな,などと考えている。困ったものだ。午後3時を過ぎると,今度は仕事をしながら夕食のことを考えたりする。炊き込みご飯がいいとか,水炊きがいいとか・・・。年甲斐もなく,恥ずかしい。実はこのブログを書いている今でも,コーヒーだけじゃなくポテトチップスをかじっている。でも,食欲があるということは健康ということなのか。それにあの谷崎潤一郎も年老いてなお健啖家だったというし。
それにしても,食い意地が張っているのも大概にしないといけない。ダンテの「神曲」の地獄篇第六歌によれば(平川祐弘訳,河出書房新社),地獄は全部で九つの圏谷(たに)があってその第三番目の圏谷(たに)が生前貪食(大食い)の罪を犯した者が墜ちるところだそうだ。そこでは,絶えず冷たい雨に打たれつつ,頭と喉と口が三つずつあるケルペロスという獰猛奇怪な獣に食われてしまう恐怖に苛まれながら過ごさなければならない。ただ僕の場合は,確かに食い意地が張ってなくもないが,大食いは嫌悪している。自分が食べ過ぎたり,大食いをしている人を見ると気持悪くなるのだ。大食いだけはしない。食べるのが楽しみというだけである。だから僕は大食いの罪で地獄の中の第三番目の圏谷(たに)へ墜ちることはないだろう。いや墜ちたくない。
ダンテの発想,特に地獄篇での発想は非常に面白いなと思う。その次の第四の圏谷(たに)は,生前欲張りだった者と浪費家だった者が墜ちるところである。その受ける罰が面白く,僕が下手に要約するより,引用した方がその発想の面白さが伝わるだろう(ダンテ「神曲」,平川祐弘訳,河出書房新社26頁)。
「ウェルギリウスに叱咤されて、プルートンが倒れると、二人は第四の圏谷へ降りる。そこでは欲張りの群と浪費家の群とが、円周状の道の上を重たい荷物を転がしながら、渦巻のように互いに逆方向に向かって走り、円周上の一点まで来ると、出会い頭に罵り、殴りあい、挙句に双方ともまたもと来た道を引き返し、また向こうの一点でぶつかり殴り合う。・・・・・・・」
生前,強欲だった者と浪費の限りを尽くした者とが以上のようなことをずっと繰り返すというのである(笑)。