さて,済州島第一日目の夜に初体験した「アカスリ」のことである。そのアカスリの店は,現地添乗員さん(35~40歳くらいの女性)が勧めてくれたし,終わったらホテルまで車で送ってくれるということだったので,僕とA弁護士は安心してその店に向かった(実際に安心な店であった)。その店のあるビルは7階建で,男性用は6階,女性用は5階か7階になっていたと思う。
店のカウンターで受付と代金の支払,貴重品の預けを済ませ,係の人の早口のかたこと日本語による説明を受け,僕とA弁護士はロッカー室で生まれたままの姿になった(笑)。ロッカーのキーバンドを左手首にはめ,恐る恐る浴室に入った。日本でいうスーパー銭湯,健康ランドみたいな風情でゆったりしていた。お客さんは,お風呂やサウナに入ったりだけの人も結構いたので,そこは必ずしも全てのお客さんがアカスリを受けるというものではなかったようだ。僕とA弁護士は湯船につかり,シャワーを浴びたりして体を温め,僕は一旦その広い浴室から出て,予め用意されていた上下の衣類(人間ドックで着るような検査着みたいなやつ)を身に付けた。そうしたら,その店の担当者が細い目を可能な限り丸くして,「チョトー,オキャクサンー,アカスリワー,アカスリ?」と言ってきたのである。そうそう,僕としては,てっきり下履きぐらいは身につけてアカスリを受けるものと誤解していたのだが,そうではなかったようだ。
再び僕は生まれたままの姿になり,A弁護士と一緒に,広い浴室の奥にある「アカスリ室」に導かれた。そこは簡易の間仕切りがあって,その後のA弁護士の消息(姿)は,アカスリが終わって無事に再会するまでは分からなかった。さて,僕を担当する人は,いかつい屈強な男性で,朝青龍を全体的に小型化し,しかもその腹の脂肪を落としたような感じの人だった(以下,この担当者を「ミニ青龍」という。)(笑)。
ミ,ミニ青龍は非常に無口で,無表情。入国手続の際の担当官のような見事な三白眼であった。彼は手術台のようなベッドに洗面器でお湯をかけて温め,僕に「アオミュケ」とポツリと言った。恐らく「仰向け」のことに違いないと思い,極度に低い枕に頭を乗せ,僕は仰向けに寝た(そ,そうか。結局生まれたままの姿でアカスリを受けるんだ・・・とこの時始めて覚悟を決めた)。この段階で,仁王立ちになったミニ青龍と,手術台風のベットに生まれたままの姿で仰向けになった僕が,完全に対峙する形になった。ミニ青龍は僕を見ていたようだが,僕はとても彼と目を合わせることはできず,僕自身はうつろな視線を白っぽい天井に投げかけていた。僕も長いこと生きているが,これまでの自分の人生の中でも,最も緊迫した場面の一つであった。とても笑えなかった(笑)。
ミニ青龍は,やはり洗面器で僕の体全体に無造作にお湯をかけた。いよいよアカスリの開始である。人間,覚悟することが大事である。「散る桜 残る桜も 散る桜」(笑) ミニ青龍は僕の左足を持ち上げ,ヘチマのような肌触りのタオルでアカスリを始めてくれた。左足,左太もも,左の腹,左の胸,左の首,という風に・・・容赦なく・・・。結構痛かった。今度は,右足,右太もも,右の腹,右の胸,右の首・・・。右足をこすられている時などは,自分の足先や膝がミニ青龍の腹に触れたり,当たったりするのだ。何なのだ,この極めて特異な,形容しがたい,筆舌に尽くしがたい,何となく滑稽なシテュエーションと雰囲気は(泣)(笑)。
ミニ青龍は,今度は僕に「ヨコ」とはっきりした口調で言った。これは正に「横」のことだから,僕は左を下にして横になった。僕の足先から首までの右側面部分のアカスリが始まった。僕は目をつぶっていた(笑)。ミニ青龍は今度は「コッチヨコ」と言った。彼なりに工夫した日本語だろう。僕は右を下にして横になった。やはり,僕の左側面部分のアカスリをやってもらった。
次にミニ青龍は,「ウチュブセ」と言った。そりゃ,時間の流れからして次は「うつ伏せ」のことだろう。笑っちゃいけない時にはことごとく笑ってきてしまった笑い上戸の僕だから,「ウチュブセ」などと言われたら,普段の僕なら吹き出して笑ってしまうところだが,この時も笑えなかった(笑)。うつ伏せスタイルでのアカスリも無事終了した。
これで終わりかと思ったら,今度は極度に低かった枕が撤去され,手術台風のベッドの先から頭を出すようにジェスチャーで示された。僕は仰向けの状態で頭だけを自分の首の力で支える形で出した。ミニ青龍は,やおら僕の頭に手を添え,髪を洗い始めてくれたのである。シャンプーだか,トリートメントなんだか分からない物質を使って,それでも結構優しい手つきで・・・(笑)。極東の小島で,夜間,手術台風のベッドの先から頭を出し,朝青龍似の気は優しくて力持ちの男性に,優しく髪を洗ってもらいながら,僕は,「長いこと生きてると,いろんなことがあるなぁ・・・。こんな経験はごく一部の選ばれた人間しかとても体験できないぞ。俺も,そして消息の分からないA弁護士も,ひょっとすると一握りのエリートなのかもしれない・・・・・。それにしても異様な雰囲気だなあ。」などと,感慨にふけりながら身を委ねていたのである。
このようにして,済州島第一日目の夜は更け,悠久の時間が過ぎていったのである・・・(続く)。