ランチの後には,散歩がてら近くの書店に立ち寄ることが多い。先日,「居場所のないこどもたち」(鳥山敏子著,岩波現代文庫)という本を見つけ,お得意の半身浴などをしながら読んでみた。この本には,「アダルト・チルドレンの魂にふれる」という副題が付いていた。
アダルトチルドレンという言葉を今まで耳にしたことはあったが,その意味は分かっていなかった。「大人のような子供たち」といったような,直訳みたいなことをして済ましている場合ではなく,実は,機能不全家庭(その淵源には機能不全夫婦がある)が生み出す悲劇,つまり,子どもの時期に子どもらしく生きさせてもらえず,そのまま大人になった人たちのことをいうそうだ。
この本で紹介された事例によると,例えば,アルコール依存症で酒乱の父親の暴力にいつもビクビクしながら過ごすことを余儀なくされた子ども,嫁と姑の不仲から,小さい時からおばあちゃん子として育てられたため,母親からはその後に生まれた弟や妹のようには可愛がられずに差別されて育った子ども,厳格な教育者一家に育ち,決して甘えることを許されずに育った子ども,過保護,無視など,様々である。要するに,「子どもの時にたくさんの心の傷を負ったままケアせず、大人になっていったこういう人たちのことを、最近、アダルト・チルドレン(AC)とよぶようになりました。からだは大人であっても、精神は保護者を必要とする子どもから成長していない大人という意味」だ(186頁)。
アダルトチルドレンの問題の深刻さは,僕がこのブログでよく使う「負の連鎖」,「負の再生産」を招いてしまうからであろう。すなわち,親からの愛情を受けることなく(受けた形をとっていてもその愛情が歪んでいることもある),自由にのびのびと子どもらしく過ごすことを許されなかったアダルトチルドレンは,自分が大人になって育児に従事する段階になっても,やはり自分の子どもに甘えさせることをほとんど許さなかったり,精神的・肉体的虐待を加えたりなど,やはり機能不全家庭(家族)を形成してしまう傾向があるということである。
この本の著者は,「ワーク」という活動を通じて,アダルトチルドレンの子どもとしての魂の叫び(インナー・チャイルド)を出させることによって精神的にケアし,立ち直らせる試みを実践し,多くの成果を上げているようであるし,そのような草の根の活動も有効だ。でも,わが日本は,OECD(経済協力開発機構)の発表によると,先進国28か国の中で教育予算(教育機関への公財政支出がGDPに占める割合)が最低だそうだ。子どもは宝であり,教育や機能十全の家庭は国家の基礎である。教育予算をより充実させ,例えば,悩みを抱えている子どもたちのカウンセリングなどをもっともっと十分なものにする必要があるのではないか。もっとも,家庭の機能不全の状況が尋常でなく,看過できないようなものであれば,法制度上は「親権の剥奪」というものが用意されてはいるが,そのような事態には至らないまでも,悩んでいる子どもたちのメンタル面をケアしていく必要性は高い。カウンセリングも有効だと思われる。そして子どもたちが何でも気軽に相談できるように,「(相談できる)こういうものがあるよ。」という広報(アピール)も重要だし,当然にそのためのスタッフも充実させる必要がある。
「負の連鎖」,「負の再生産」というものは,将来にわたってできるだけ断ち切っていかなければならないであろう。