何とはなしに,久しぶりに三島由紀夫の本を読みたい気になった。大学時代以来,全く読んでいなかったからだ。これまで三島由紀夫の作品は相当に読んだが,最晩年のいわゆる「豊饒の海」四部作は全く読む機会がなかった。それで手始めに,第三巻目の「暁の寺」を手に取って読み始めた。で,でも・・・,直ぐに挫折してしまった(笑)。菱川という登場人物の「芸術というのは巨大な夕焼けです。」で始まる長々とした台詞を読んでいて,嫌気がさしてしまったのだ。他の三島作品は,大学時代には魅せられたように読み進んでいったのに,この「暁の寺」の最初の部分はやたら読み辛かった。
ある平日のランチの後,いつものように行きつけの書店をブラブラしていたら,本当に懐かしい本の表紙が目に付いた。僕が小学生のころ,今は亡き父が読んでいた本の表紙が目に入ったのである。その表紙のほぼ真ん中に温厚そうな紳士の写真が配置されている比較的シンプルな装丁の本。「道は開ける」(D・カーネギー,香山晶訳,創元社)という本だ。亡き父は休日には本を読んだりしていた。今となっては父がどんな本を読んでいたのかは全く覚えていないが,この本の存在だけは何故だか覚えていた。当時はこの本がいつも書棚にあったので,図書館から借りてきたものではなく,購入したものだと思う。
書店でこの本を見つけた時,すごく懐かしい思いがした。小学生だった僕がこの本の内容を知る由もなかったし,その後も,この本の著者と,いわゆる鉄鋼王のカーネギーとを混同し,どうせ企業家の成功談なのだろうと誤解したりしていたため,読む機会もなかった。ちょうど亡き父がこの本を読んでいた時期は,父が独立する前の会社員時代だったことは間違いなく,どんな心境で,どんな関心をもってこの本を読んでいたのだろう。
この本はまだ半分ほどしか読み進んでいないが,この本が超ロングセラーで現在でも新装版が書店に並べられている事実は十分にうなずける。内容的に素晴らしいのである。含蓄がある表現が多く,困難を実際に体験した者でなければ理解できないような処世訓,哲学が散りばめられている。各章の表題は「悩みに関する基本事項」,「悩みを分析する基礎技術」,「悩みの習慣を早期に断とう」,「平和と幸福をもたらす精神状態を養う方法」,「悩みを完全に克服する方法」,「批判を気にしない方法」,「疲労と悩みを予防し心身を充実させる方法」,「私はいかにして悩みを克服したか【実話三十一編】」というものだ。参考になり,説得力があり,心に残る表現をいちいち引用していたらきりがないくらいである。でも,例えば今日読み進んだ部分の中で,気に入った表現は次の2つである(116頁,142頁)。
「気にする必要もなく、忘れてもよい小事で心を乱してはならない。『小事にこだわるには人生はあまりにも短い。』」
「神よ、われに与えたまえ、変えられないことを受けいれる心の平静と、変えられることを変えていく勇気と、それらを区別する叡知とを。」(ラインホルト・ニーバー博士の言葉)
それに,この本を読んでいて,海外の文献における訳者の重要性を痛感した。訳が素晴らしいのである。当然のことながら,良い訳というのは,原文となった言語に精通するだけでなく,何よりも美しく正確な日本語を使いこなせ,深い教養がそのバックボーンになければならない。