1回で直してくれた腕の良い歯医者さん。その治療の際に,間抜けな顔で大口を開けている僕の口の中をバキュームしてくれた女性がいた。看護師さんなのか,歯科技工士さんなのか,助手さんなのかは分からない。その女性は大きなマスクをしていたので,鼻から上の容貌しか分からなかったが,目鼻立ちははっきり分かった。恐らく相当に美人に違いない。間違いない。きっと美人である。
まぁ,僕の場合は,間抜けな顔で大口を開け,しかも不安と恐怖で体を硬直させ,口の中を美人にバキュームしてもらっていた訳だから,恥ずかしかった。その女性は,目鼻立ちがはっきりしていて,物腰も丁寧で優しかった。女性の色香があったのである。
女性の色香に対しては,男子たるもの,絶えずこれに対する「迷い」を自戒していかなければならない。愛読書の「徒然草」の第九段には,こうある(新編日本古典文学全集44,小学館,88頁)。
「・・・・・・まことに愛執の道というものは、その根が深く、源の遠いものだ。人間の欲望を刺激する、さまざまな対象は数多くあるけれども、それらはみな、しりぞけることができるものだ。その中で、ただ、あの情欲という迷い一つだけは、とてもおさえがたく、こればかりは、年老いた人も若い人も、また知恵のある人も愚かな人も、変わるところがないものと思われる。こういうわけだから、女の髪の毛をよって作った綱には、大きな象さえも、しっかりとつなぎとめられ、女のはいた足駄で作った鹿笛には、秋の雄鹿が必ず立ち寄ってくるものだと言い伝えられているのです。自ら戒めて、恐れもし慎みもしなければならないのは、この迷いである。」
本当にそうだなあ。吉田兼好さん,良いことを言うなぁ。奥が深い。ただ断っておくが,歯医者さんでの治療の際,口の中をバキュームしてくれた女性については,単に美人だと思っただけで,誓って言うが何も情欲まで感じたのではない。ブログの話のネタに「徒然草」第九段に言及したに過ぎない(笑)。