一昨日は梅雨空の雨が降り,夕方には雷が暴れた。行乞の旅に出た網代傘姿の山頭火は,雨とはどのように付き合ったのだろうか。その日の食い扶持を確保しなければならないのだから,雨だからといって行乞を止め,畳の上で大の字になっている余裕はなかったと思う。
「あの雲がおとした雨にぬれてゐる」
「雨なれば雨をあゆむ」
「笠をぬぎしみじみとぬれ」
山頭火は,雨でも自然と一体である。当然のことながら自然を敵対する勢力とは全く思っていない。
では,暑い晴天の日はどうか。
「炎天をいただいて乞い歩く」
「炎天の下を何処へゆく」
山頭火はたとえ炎天でもやはり自然と一緒だ。一体である。
それに引き替え僕といったら。真っ黒に日焼けすると法廷で「遊び人」と思われてはいけない,紫外線は大切な髪に悪いなどといった理由で,男性用日傘を差して歩いている。山頭火とは違い,あたかも自然を敵対視し(そのつもりはないのだが),自然から自己を防衛している(・・・・・いわゆるUVカットというやつ)。でも日傘は結構重宝している(笑)。
でもねぇ,山頭火の気持ちが解るなどとは,とても恥ずかしくて言えない。山頭火の生き方に共感を覚えるなどと言っても説得力がない。それでも何となく山頭火の生き様に憧れる。五七五でない山頭火の自由律非定型句に心を惹かれるのである。