「また『マタイ受難曲』かよー」なんて言わないでね。今日は,マタイ受難曲の曲そのものよりも「マタイ受難曲」という本のお話なのです(あれっ?今日はいつもと文体が違う)。前にも一度このブログで触れたことがあると思いますが,その本というのは,「マタイ受難曲」(礒山雅著,東京書籍)のことです。
僕がこの本を東京の書店で偶然見つけたのは,平成7年3月ころでした(あの忌まわしい地下鉄サリン事件が起こった直後のことです。)。司法修習生の時代も終わりを告げ,4月からはさあいよいよ弁護士1年生という時期でした。この本を購入してしばらくの間は,仕事が忙しくて読む余裕がなかったのですが,恐らくちょうどその年の今ぐらいの季節からこの本を読み始めました(今日はこの文体でこのまま突っ走ります)。
著者(礒山雅氏)のマタイ受難曲への思い入れは半端なものではありません。その求道心とこの曲に対する素晴らしい研究の成果がこの本に凝縮されております。他の本と比較した訳ではありませんが,マタイ受難曲の研究成果に関する本としてこれ以上のものが現時点で存在するでしょうか?・・・・・。例によって,この本の「はじめに」の部分から少し引用してみましょうね。
「・・・・・私は、構想の雄大さと親しみやすさ、人間的な問題意識の鋭さにおいて、《マタイ受難曲》こそバッハの最高傑作であると思っている。この作品には、罪を、死を、犠牲を、救済をめぐる人間のドラマがあり、単に音楽であることをはるかに超えて、存在そのものの深みに迫ってゆく力がある。それはわれわれをいったん深淵へと投げ込み、ゆさぶり、ゆるがしたあげく、すがすがしい新生の喜びへと、解き放ってくれる。研究者としての私にとって、《マタイ》はいつも、大きな目標として、頭の上にあった。その《マタイ受難曲》の研究に、私は、自分の四十代を費やした。その集成が、本書である。・・・・・・・・」(17~18頁)
どうです,皆さん。もう読むしかありませんよねぇ・・・。それにしても,ある研究者の四十代,約10年間を費やす対象となった「マタイ受難曲」という存在。これは何度聴いても涙がでてくる至高の存在なのであります。僕もこれまで,ある本を何度も読み返した経験はありますが,今回この「マタイ受難曲」という本を読み返すのは5回目で,5回目を迎えたのはこの本が初めてです。というのも,今年の11月に合唱団の一員としてこの曲の上演があり,そのために練習を重ねているのですが,改めてこの曲に対する理解を深めるにはこの本を読み返すのが一番だと思ったからです。