いやぁ,ピン芸人というのは大変だろうなと思う。孤独だし,ネタは基本的には自分の責任で作っていかなければならないだろうし・・・。分野は違うけど,彼らには,辛いけどお互いに頑張ろうねと励ましてあげたい。
夕食時にテレビを見ていると,最近「ゆってぃ」という芸人をよく目にするが,結構面白いなと思う。ゆってぃのネタは基本的には日常生活で生起したちょっと辛かったことが中心であり,いわゆるプチ自虐ネタとでもいうべきもの。でも,このプチ自虐ネタは決して下品で不快なものではなく,日常性もあり,どこかほのぼのとした感じがあって,割と好きである。「ゆってぃ,この前・・・・・・・・・な訳。」,「ちっちゃなことは気にしない。」というフレーズが特にいいし,最後は「ばいばい!」とちゃんと挨拶を欠かさないのもいい(笑)。
でも,「ワカチコ,ワカチコー」というのは,その意味内容,定義,その外延と内包,語源,由来が未だに分からず,戸惑う面もある。この言葉には,ひょっとしたら形而上学的に相当深く重要な意味を内包しているのかもしれないし,別にどうということもないのかもしれないし(笑)。
お笑いついでに言うと,僕は相方(ボケ)の頭を乱暴に強くたたくようなのは好きではない。ツッコミが暴力的なのは嫌いである。せいぜい,相方がボケたら,もう一方は,「・・んな訳ないだろ。」とか「よしなさいっ!」などといって,相方の胸辺りを軽くたたく程度のものが良いと思う。
僭越ながら僕は,数日前から司法修習生N君の指導弁護士として弁護実務修習を担当している。司法修習生というのは司法試験に合格し,ごく近い将来,裁判官,検察官,弁護士のいずれかになる法律家の卵である。先日,弁護士志望のN修習生の歓迎昼食会をしようと,本降りの雨だったが僕とN修習生,2人の事務員さんとで近くのうなぎ屋さんに出向いた。
たたみの部屋(和室)に案内され,そこには床の間があり,掛け軸と一輪挿しが置かれていた。決して華美でなく,質素ではあるが,正に日本の美を感じた。それと,たたみにはやはり魅力がある。僕はマンション住まいで,実はたたみの部屋が一つもないのである。最近特にたたみの部屋が欲しいと思うようになり,一つくらいたたみの部屋にリフォームしたいなと本気で考えている。たたみの部屋はやはり何となく精神的に落ち着く。温泉旅行などに行くたびにそう思っていたのだが,これまでなかなか実現できないでいた。
雨の日で,しかもたたみと言えば,僕はこんなことに憧れている。つまりこうだ。窓を開けっぱなしにして,たたみの上に大の字になって寝転がり,涼しげな外気を感じながら降りしきる雨を眺めているという状況である。みんなでうなぎを食べている最中に,ある愛読書の中の一節がふっと思い浮かんだ。その愛読書というのは,「逝きし世の面影」(渡辺京二著,平凡社ライブラリー)である。この本は至る所に印象的な表現があるのだが,このうなぎの昼食会の際に,次のような箇所がふっと思い浮かんだのである。ヒューブナーという人は明治維新の頃に日本に滞在したオーストリアの外交官であるが,この人の文章の一部を先の本から引用してみる(453~454頁)。
「ヒューブナーは箱根の畑村の宿で、雨の一日を過す経験を持った。畑村はオランダ商館員の参府旅行記にもしばしば登場する集落で、ヒューブナーによれば『風光明媚と茶屋とその庭で有名な所』である。『読者諸氏にはこういう言いがたい幸福感を思い描くことがおできになるだろうか。つまり、篠つく雨が絶え間なく朝から晩までどしゃぶりに降って、快い涼しさをふりまいているなかで、・・・・・・庭に向かってぱっと開け放たれた瀟洒な部屋で、とても綺麗な畳に寝ころがっているという幸せを。』」
僕も何とかこれをやってみたいのだ。まあ,リフォームしたところでマンションの一部屋なので,庭もないし瀟洒という訳にもいかないけれども。
行きつけのそば屋で,お気に入りの「海老おろし(大盛)」を注文した。注文の品が出されるまでの間に週刊誌を読んでいたら,その記事の中で「20」という数字が僕の気を引いた。その「20」というのは,どうやら日本の大相撲では,平成18年初場所の栃東の優勝以来,20場所連続で日本人力士の優勝が全くないらしい。20場所も連続で。な,情けない・・・。本当かよ!と思って調べてみたら,本当だった。優勝者は,朝青龍,白鵬,琴欧州,日馬富士のみだった。みんな外国人力士だ。彼らが両国国技館や地方の土俵を沸かせてくれているのはいい。で,でも・・・何かなぁ。僕が小学生の頃は,強い日本人力士がいた。その強さや土俵内外での振る舞いはいかにも力士らしく,尊敬していた。柏戸,大鵬,玉の海,北の富士など。それ以降も北の湖,輪島などはワクワクするような相撲をしていた。小学生の頃は,親友が玉の海役ならば僕が北の富士役でガチンコの相撲をして勝ったり負けたりしていた・・・・・・・・あっ,年がバレるね。ああ・・日本人力士よ,奮起せよ!
最近僕の気を引いた数字としては「6」がある。我が読売ジャイアンツのゴンザレス投手である。いいねェ,このピッチャーは。この「6」という数字は,6試合連続無四球という意味である。何だ「6」かと思うなかれ。無四球試合をすること自体素晴らしいことなのに,それを6試合も連続しているのだ。これはすごいと思う。相手に四球(フォアボール)を与えないというのは非常にいい。連続フォアボールなどを出された日には,守っている味方の士気にも影響するほど悪いことなのだ。おい,クルーン君聞いてるか?ゴンザレス投手の6連勝直後のインタビューでの発言は,「四球をやるくらいなら,ホームランを打たれた方がまだましだ!」というものである。ますます気に入った。ピッチャーはこうでなくてはならない。がんばれよ!我が読売ジャイアンツのために。
何とはなしに,久しぶりに三島由紀夫の本を読みたい気になった。大学時代以来,全く読んでいなかったからだ。これまで三島由紀夫の作品は相当に読んだが,最晩年のいわゆる「豊饒の海」四部作は全く読む機会がなかった。それで手始めに,第三巻目の「暁の寺」を手に取って読み始めた。で,でも・・・,直ぐに挫折してしまった(笑)。菱川という登場人物の「芸術というのは巨大な夕焼けです。」で始まる長々とした台詞を読んでいて,嫌気がさしてしまったのだ。他の三島作品は,大学時代には魅せられたように読み進んでいったのに,この「暁の寺」の最初の部分はやたら読み辛かった。
ある平日のランチの後,いつものように行きつけの書店をブラブラしていたら,本当に懐かしい本の表紙が目に付いた。僕が小学生のころ,今は亡き父が読んでいた本の表紙が目に入ったのである。その表紙のほぼ真ん中に温厚そうな紳士の写真が配置されている比較的シンプルな装丁の本。「道は開ける」(D・カーネギー,香山晶訳,創元社)という本だ。亡き父は休日には本を読んだりしていた。今となっては父がどんな本を読んでいたのかは全く覚えていないが,この本の存在だけは何故だか覚えていた。当時はこの本がいつも書棚にあったので,図書館から借りてきたものではなく,購入したものだと思う。
書店でこの本を見つけた時,すごく懐かしい思いがした。小学生だった僕がこの本の内容を知る由もなかったし,その後も,この本の著者と,いわゆる鉄鋼王のカーネギーとを混同し,どうせ企業家の成功談なのだろうと誤解したりしていたため,読む機会もなかった。ちょうど亡き父がこの本を読んでいた時期は,父が独立する前の会社員時代だったことは間違いなく,どんな心境で,どんな関心をもってこの本を読んでいたのだろう。
この本はまだ半分ほどしか読み進んでいないが,この本が超ロングセラーで現在でも新装版が書店に並べられている事実は十分にうなずける。内容的に素晴らしいのである。含蓄がある表現が多く,困難を実際に体験した者でなければ理解できないような処世訓,哲学が散りばめられている。各章の表題は「悩みに関する基本事項」,「悩みを分析する基礎技術」,「悩みの習慣を早期に断とう」,「平和と幸福をもたらす精神状態を養う方法」,「悩みを完全に克服する方法」,「批判を気にしない方法」,「疲労と悩みを予防し心身を充実させる方法」,「私はいかにして悩みを克服したか【実話三十一編】」というものだ。参考になり,説得力があり,心に残る表現をいちいち引用していたらきりがないくらいである。でも,例えば今日読み進んだ部分の中で,気に入った表現は次の2つである(116頁,142頁)。
「気にする必要もなく、忘れてもよい小事で心を乱してはならない。『小事にこだわるには人生はあまりにも短い。』」
「神よ、われに与えたまえ、変えられないことを受けいれる心の平静と、変えられることを変えていく勇気と、それらを区別する叡知とを。」(ラインホルト・ニーバー博士の言葉)
それに,この本を読んでいて,海外の文献における訳者の重要性を痛感した。訳が素晴らしいのである。当然のことながら,良い訳というのは,原文となった言語に精通するだけでなく,何よりも美しく正確な日本語を使いこなせ,深い教養がそのバックボーンになければならない。
連休中に,以前から欲しかったバッハのDVDを銀座の山野楽器で買ってきた。そのDVDの中に,ジャック・ルーシェというピアニストの発言場面があった。「あれっ,この人,ひょっとしてバッハをジャズ風にアレンジした人じゃないか?」と直感したら,やはりそのとおりだった。そうなんです,若い人は知っているかどうか知りませんが(笑),今から50年ほども前に「プレイ・バッハ」というタイトルでバッハの名曲をジャズ風にアレンジした録音をし,世界的に有名になった人だったのです。
実は,「プレイ・バッハ」というレコードがあったことは,大学時代には知っていたけど,その当時の僕は,あの神聖なJ.Sバッハの曲をジャズ風にアレンジするなんて,とあまり快くは思っていなかったんです。了見が狭いね・・・(笑)。でも,さっきのDVDでのジャック・ルーシェの発言や実演の場面を見ていたら,非常に興味がわいてきて,「ザ・ベスト・オブ・プレイバッハ」というCDを手に入れ,早速聴いてみた。
こ,これはすごいわー。ぜんまいざむらいのなめざえもん風に言えば,「これはすごいでやんす。」となるし,豆丸風に言えば,「こ,これはすごいでござる。」となり,わたあめひめ風に言えば,「これはすごいでごじゃりまするー。」となる。ジャック・ルーシェは,見事なまでにバッハのジャズ風小宇宙を形成してみせたのである。手に入れたCDでは,平均律クラヴィーア曲集のいくつかの前奏曲とフーガ,無伴奏チェロ組曲第1番の前奏曲,G線上のアリア,「主よ,人の望みの喜びよ」,「目覚めよと呼ぶ声あり」,イタリア協奏曲などを,本当に見事なまでにジャズ風にアレンジし,演奏していた。ジャック・ルーシェという人は心の底からバッハが好きなのだなと確信したし,結局,音楽のジャンルを問わずバッハの普遍性も再認識できた。バッハはやっぱり現代に至るまでの音楽の原点だねぇ。
「プレイ・バッハ」で一世を風靡したそのジャック・ルーシェも,今年の10月26日でもう満75歳。月日が経つのは早い。彼は自分が好きだったピアニストとして,30代そこそこで鬼籍に入ったディヌ・リパッティを挙げている。僕も大学生時代,ディヌ・リパッティのショパン「ワルツ集」を愛聴していた。ジャック・ルーシェのこともますます好きになった。
5月30日の土曜日は,久しぶりにゆっくりと過ごすことができた。最近仕事では忙しいし,火曜日と金曜日はマタイ受難曲のための合唱練習。そして,先週は特に夜は飲む機会が多かった。そんな訳で土曜日はようやく自宅で骨休め。ぜんまいざむらいのDVDをゆっくりと堪能することもできた(笑)。
5月30日は,新撰組の沖田総司の命日である。享年27歳。慶応4年(1868年)のことだから,今から141年前のこと。天才剣士の名をほしいままにし,新撰組では一番組長を務め,撃剣師範で突きが得意だったようである。剣の腕前では,永倉新八(神道無念流免許皆伝),斎藤一(一刀流),吉村貫一郎(北辰一刀流免許皆伝),服部武雄(二刀流)らと並び称された。
数年前の大河ドラマ「新選組!」では藤原竜也が沖田総司役を好演していたし,そのほかの映画等でも,どちらかというと色白で美剣士のイメージになっている。でも,実際の沖田は,「新選組遺聞」(子母澤寛著)などによると,背が高く,いかり肩で,ほお骨が出て口が大きく,色黒だったと伝えられている。陽気で近所の子供たちともよく遊んでやっていたらしい。
確かに,27歳で病死するのは酷な運命ではあったが,僕はどちらかというとその後の新撰組隊士の行く末を考えると,結果的には良かった面もあったのではないかと思う。甲陽鎮撫隊の戦い方のように無様な経験をしなくて済んだし,何よりも戊辰戦争で分かるように,戦(いくさ)の質が違ってきており,もはや沖田の得意とする刀や槍による戦(いくさ)の時代ではなくなっていたのである。火力(鉄砲や大砲)の勝負の時代に突入していた。天才剣士であった沖田も,圧倒的な鉄砲等の武器の前では悲哀を感じざるを得なかったのだ。沖田の短い人生で最も輝いていた時代が,疾風のように現れ,疾風のように活躍し,疾風のように去っていった新撰組の最も輝いていた時代に一致する。