今自宅にあるピアノは平成8年冬に購入したと思う。もう13年ほど経つ。そのピアノは,ごく普通の何の変哲もない漆黒で光沢のあるアップライトピアノである。どういう訳か,最近はそのピアノを見るたびにS弁護士(以下「S先生」)のことを想い出す。
僕が司法修習生時代にお世話になった指導弁護士はF先生だったが,そのF先生の紹介で僕はS先生と知り合った。S先生はかつて検察官であったが,その後弁護士に転身した経歴の持ち主だった。紹介してくださったF先生とS先生とは司法修習の同期だったそうだ。S先生がF先生に「誰か僕の事件処理を手伝ってくれる弁護士はいないかな?」と尋ねた際,F先生が僕を紹介してくれたのだ。
S先生は,恐らく僕より12,3歳くらい年上だったと思う。飄々としていて,あまり些末なことにはこだわらず,一見ぶっきらぼうだが,結構優しい面もあり,なかなか味のあるお人柄だった。その事件の民事部門は主として僕が,刑事告訴部門はS先生が担当し,最終的にはいずれも何とか解決した。平成8年当時は,僕はまだ弁護士登録1,2年ほどしか経っていなかったがS先生は僕が起案した訴状,準備書面にはほとんど手を入れられず,僕を信頼してくれていた。それと,何よりもとても慈愛に満ちたまなざしを僕に投げかけてくれた。
平成16年ころだったか,S先生,F先生,僕の3人が夜遅くまで飲む機会があった。世代は若干違うが,真面目なのか不真面目なのか分からない,とりとめのない面白い話題で楽しい時間が過ぎていった。その夜は,僕は相当遅くまでF先生に付き合ったが,S先生は一足先に帰られた。それから約1年ほど後にS先生は鬼籍に入られた。とてもショックだった。亡くなられてからはじめて知らされたことだが,S先生が僕と一緒にある事件を処理していた時期は,実はS先生がガンの闘病生活から復帰されて間もない頃だったそうだ。今にして思えば,少し辛そうな雰囲気もあった。そのような事情があったとは全く知らなかった・・・。
あの慈愛に満ちたまなざしは,どのような心情に導かれたものであったろうか。僕のことを,「こいつは直情径行型だが,結構かわいい奴だな。」と思っていてくれたからであろうか。あるいは,無常観,諦念,これまでの自分の人生に対する満足感だったのだろうか。ああいう深いまなざしは,忙殺され,日常生活に埋没している間はとてもできないから,恐らく後者の方だろう。S先生と一緒に処理した事件の弁護士報酬で,僕はすぐにピアノを購入することができた。それが今自宅にあるピアノなのである。