新聞の書評欄を見ていたら,「宮本常一が撮った昭和の情景 上下」(宮本常一著,毎日新聞社)というのがあった。今は亡き民俗学者宮本常一が,行く先々で昭和の日本の有様を26年間にわたって写真撮影したものの中から選りすぐったものだという。書評を書いた思想史家田中純氏は,「昭和の農村・漁村・山村の景観や人々を記録した魅力的な写真の数々が、入手しやすい形で書籍化されたことを心から喜びたい。」,「・・・・・この切ない懐かしさはどこからやってくるのだろう。」などと述べている。宮本常一自身も,「忘れてはいけないというものをとっただけである。」と述懐している。
僕は昭和生まれで,いつも懐かしい昭和に逢いたいと思っている。ノスタルジーを感じるのである。ノスタルジーという言葉にもいろいろな意味があるが,僕のいうノスタルジーとは,過ぎ去った時代を懐かしむ気持ちのことである。是非ともこの宮本常一が撮影した写真集を入手し,軽くお酒などを飲みながら楽しみたいと思った。
また,懐かしい昭和で思い出したが,以前僕は,牛山隆信さんが監修した「秘境駅へ行こう」という面白い番組を見ていたことがある。時間とお金さえあったら,日本全国のとっておきの秘境駅をいつか巡ってみたいと憧れていた。この牛山隆信さんという人は,まだそんなに年でもないのに,顔自体が全く飾り気がなく素朴な「秘境」のような顔をしていて,非常に好感がもてる。彼の企画は,日本全国の秘境駅を,①秘境度,②雰囲気,③列車到達難易度,④車到達難易度の4項目において5段階評価をし,ランキングするというものである。
この番組自体も相当に面白かったが,牛山さんの「秘境駅へ行こう!」(小学館文庫)という本もいずれ読んで,どこかの興味深い秘境駅に旅し,懐かしい昭和に逢いに行きたいと思っている。
これまでの僕のブログ内容を振り返ってみても判るように,あまり政治的なことは話題にしてこなかったし,いろいろなことを考えてつとめてそうしていた節もある。でも,近頃の東国原英夫宮崎県知事の発言やマスメディアでの露出ぶりを前に,どうしても一言述べておきたくなった。
東国原知事は,自民党の古賀誠選挙対策委員長から同党からの衆院選出馬の打診を受けた際,自分を自民党の総裁候補にすることを条件にしたということである。僕としては最初にこのニュースを目にした時,どうせ断るならもっと別の冗談で断ればいいのにと思っていたところ,その後の言動を総合すると東国原知事はどうやら本気らしい。その数日後に,東国原知事は高千穂町で開いた県民との対話集会で,自分が行けば自民党は負けないし,負けさせないなどといった発言をし,さらにその数日後には,大阪府庁で橋下大阪府知事と記者会見をした際,自分が総理になったら橋下知事には地方分権で手伝ってもらいたいという趣旨の発言もしている。気分が悪くなった。明治維新の時代,大久保利通の死後に事実上明治政府を支え,内閣制度を確立し,初代内閣総理大臣になった伊藤博文と,あの東国原知事とが,内閣総理大臣としての肩書きが一時的にでも同じというのでは,少なくとも僕の納得性が得られない。まぁ,人間,自分の値踏みもできなくなったら終わりなんじゃないでしょうかしら。それに自民党及びその関係者の中でも,それほど人材が払底しているとも思えないのだけれど。
今は東国原知事はマスコミの「寵児」なのだろう。メディアへの露出度が半端ではない。でも,僕のマスコミへの不信感も半端ではない。というのも,マスコミの報道姿勢は,安倍内閣の時と福田内閣の時とでは明らかに違うし,それ以外の各場面でも公正さを疑わざるを得ないことが多々ある(いわゆるヤラセの問題やねつ造も)。さらに,政治の皮相的な面しか取り上げなかったり,何かイメージだけを先行させている嫌いもある。それに本当に話題にして欲しかったり,報道して欲しかったりする項目が,何か圧力でも受けているかのように,どういう訳か取り上げられないことも多い。
先の東国原知事の言動といい,マスコミの現状といい,非常に浮薄な感じがする。僕は絶対にこのような浮薄な感じには乗せられないようにしようと肝に銘じている。今日はいつになく暗い感じのブログ内容になったが,決して機嫌が悪い訳ではなく,朝食でいただいた納豆とアジの開きの美味さにはヒジョーに満足している。
僕が中学1,2年生のころ,まだ柄にもなくピアノを習っていた当時,しのつく雨の日の朝によく思っていたことがある。それは,こういう日は学校には行かずに,一日中雨を眺めながらピアノを弾いていたいなということだった。怠惰な性分だったのかしらん。結局,しのつく雨の日といえども,学校をずる休みしてそういう大それたことを実行したことはなかったが・・・。
こういうことは,実は今でも思うことがある。仕事を休んで,雨を眺めながらピアノをぼちぼち弾いていたいなという願望である。どういう訳か雨を見るとそういう願望が芽生えてしまうのである。しかし,これも未だに実行に移したことはない。でも,今度こそ一度やってやろうかなと目論んでいる。
先日,家で晩酌をした後,夜の雨の音を聞いていたら,急に久しぶりにピアノが弾いてみたくなった。いわゆる酔っぱらい演奏というやつである(サイレント機能が付いているのでご近所には全く迷惑は掛けていない)。途中で,以前から弾けたらいいなと思っていたバッハのフランス組曲第5番のアルマンドに挑戦してみた。第5番の冒頭の短い曲である。これは大変好きで佳い曲である。この曲は聴いている分にはそれほど難しくはない曲のように感じるのだが,実際に弾いてみるとこれが結構難しい。ピアノの上級者だったら初見であらかた弾いてしまうのだろうが,僕の実力では到底無理である。楽譜の中の掛留音を弾きこなすのが苦手である。でも,掛留音に苦手意識をもっていたのでは,バッハの曲を弾くのは容易ではないであろう。何とかこれに慣れて,克服しなければ。
まあそれでも,このフランス組曲第5番のアルマンドだって,雨の日の一日があれば,さすがの僕もマスターできるのかもしれない。
昨日だけで法律相談を6件もこなし,さらに2件の打合せも無事に終えた。疲れたーっ・・・。昨夕家に帰り,疲れた体をソファに横たえ,美味しそうな炊き込みご飯が炊きあがるのを待っている間,何気なく新聞のテレビ欄に目をやった。
そしたら,NHK衛星第2で,実は昨日の午後1時から「道」という映画が放送されていたようだ。そう,フェデリコ・フェリーニの「道」という映画だ。何て懐かしい映画だろう。観たかったなぁ・・・。この映画が初めて上映された当時はまだ僕は生まれていなかったが,大学生時代に初めてこの映画を見たときは本当に切ない思いがした。無骨な大道芸人ザンパノ役に名優アンソニー・クイン,頭は良くないが本当に素直な性格の女ジェルソミーナ役にジュリエッタ・マシーナ。それぞれが好演していた。
ジェルソミーナも食べていかなければならず,ザンパノの大道芸の手伝いとして旅を続けていた。しかし,ザンパノが激情の末の殺人(法的には傷害致死だと思うが)を犯してからはジェルソミーナが精神を病んでしまい,ザンパノとしては彼女のことが好きであったものの重荷になってしまったため,やむなく彼女を捨てて行ってしまう(確か,彼女が寝ている間に)。それからかなりの時が経過した後,ザンパノは旅先で,ジェルソミーナが精神を病んだまま死んでしまった事実を人から聞かされる。その日の夜,ザンパノはジェルソミーナの死を悲しみ,砂浜でさめざめと男泣きする・・・・・・・・。およそその人生の中で泣いたことがあるのかと思うほどの無骨な男が,夜の浜辺で嗚咽するのである。
叙情的で切ない映画だった。ジュリエッタ・マシーナは決して美人ではないが,人に癒しを与え,何故かしら強く印象に残る女優である。ご存じのとおり,フェデリコ・フェリーニの配偶者でもある。フェリーニの映画は,その後も,「カビリアの夜」,「甘い生活」,「8 2/1」,「女の都」,「カサノバ」,「そして船は行く」などを観た。本当に独特の世界である。その後の僕の人生に影響を与えるというほどではないものの,映画の面白さを十分に堪能することはできる。特に「そして船は行く」という映画を観た直後は,「あぁ,これが映画というものなんだなあ。」と感じた。あっ,それから,今となってははっきりとその顔を思い出せないが,今から約25年ほど前に観た「女の都」に出てくるドナテッラ・ダミアーニという女優がとても魅力的だったということは,どういう訳だか今も覚えている(笑)。