さながら子羊のような心境で臨んだオーディション。これにパスして入団を許された合唱団。ここでの練習を始めて早くも9か月が経った。11月7日が「マタイ受難曲」上演の本番だからあと2か月しかない。
先週金曜日には3曲の練習を行ったが,そのうち第63曲bをみんなで練習していて,僕は感動してしまった。この第63曲bの部分は,イエスが磔刑により死を迎え入れ,その直後の天変地異を目の当たりにしたローマの百人隊長や兵卒が「本当にこの人は神の子だったのだ。」と神性の認識を示す箇所である。この曲は,第1コーラスと第2コーラスのそれぞれの4パート(ソプラノ,アルト,テノール,バス)がユニゾンで唱い上げる僅か3小節である。でもここがね,本当に美しいし,思わず情感がこもってしまうのですよ。僕はバスのパートだから,他の3声部より1拍遅れて唱い出すのだけれど,唱ってて目頭が熱くなるくらい感動的で美しいのですよ。
「Wahrlich, dieser ist Gottes Sohn gewe sen」 (本当にこの人は,神の子だったのだ。)
バッハの自筆総譜のうち,この部分を見ると,その前後の音符の間隔よりは明らかに密になっており,特に遠くから眺めるとあたかも十字架を浮かび上がらせたかのように見える。「マタイ受難曲」(東京書籍)という本では著者の礒山雅氏はバッハが意図的にそのように記したのではないかと指摘しているが(415頁),確かにそのように思われる。だからこそ僕としては,この部分は僅か3小節であるが,サッと唱い流すのではなく,カール・リヒター指揮,ミュンヘンバッハ合唱団のように情感豊かにゆっくりと唱われたらなと思う。
練習は最終的には全パートで合わせるが,その前の段階では各パートごとに他のパートの人にも聞こえる形で行われる。譜面を見ながら,そうか他のパートはこういうメロディーなんだと改めて認識できるし,合わせ練習の時にはこんな僕でもバスの一員としての役割を担っているという実感もあって嬉しくなる。また,この第63曲bはもちろんであるが,このマタイ受難曲の中のその他の曲でも,特にアルトとテノールのパート部分の旋律,和声が曲の豊饒さを増していると思われる。
それにしても,それにしても,それにしても,バッハという作曲家はすごいなぁ。「本当にこの人は・・・」と思ってしまう。