粛清,何となくいやな言葉である。結構長いことかけて「マオ 誰も知らなかった毛沢東(上・下)」(ユン・チアン,ジョン・ハリディ著,土屋京子訳,講談社)という本を読んでいるが,この本の中にも至る所に粛清という言葉が出てくる。この本で記述されている個々の粛清は身の毛もよだつものである。粛清といえば,1863年(文久3年)の9月16日,季節的にはちょうど今頃であるが,新選組の芹沢鴨が内部で粛清されている。
数年前に京都旅行に行った時には,その現場となった八木邸に入り,割と生々しい柱などの刀傷を見た。芹沢鴨という人間は,その当時の新選組では近藤勇と双璧の筆頭局長であり,体躯もたくましく,弁も立ち,誰と張り合っても位負けしないような雰囲気をもっていたという。出自も,水戸藩の郷士の出であり,近藤等からは一目置かれていた存在だが,何せ素行が悪かった。大和屋焼き討ち事件はその最たるもので,直接はこれがきっかけで会津藩から粛清の命令が出たという。
その9月16日の夜は土砂降りの雨のだったようだが,芹沢鴨は配下の平山五郎とともに,土方歳三,沖田総司,山南敬助,原田左之助らに粛清されたのである。芹沢は,酒に酔ってもいたが,置いてあった机に躓いて体勢を崩した時に沖田から一太刀浴びた。芹沢とは倫ならぬ仲であった愛人お梅もこの時に命を奪われている。この粛清劇には,あの山南敬助も加わっているのだから,新選組が組織を盤石にして,脱皮を図るためにはどうしてもこの粛清が必要だったということであろう。
芹沢にとってみれば,無念の死であったろうが,その後の新選組の行く末を考えると,むしろその方が幸せだったという側面もあるだろう。芹沢鴨があの甲陽鎮撫隊の一員として少し間抜けな戦に加わっている姿は想像できないし,哀れだからである。
今回の総選挙では,自由民主党が国民から粛清された感じでもある。僕は,二日酔いしながらこのまとまりのないブログを何とか書いているが,あまり支離滅裂なことばかり書いていると,読者から粛清されてしまうかもしれない(笑)。でも,粛清が必要な時もあるのであろうけど,粛清って何度聞いてもいやな言葉だなあ(笑)。