スーツの上着を着たまま歩いていても,もうそれほど暑くはなく,木々の葉も黄色くなり始めた。こういう季節になると,何となくではあるがラフマニノフの曲が聴きたくなるのである。昔から。春や夏にはそういう風には思わないのだけれど,秋や冬は何となくラフマニノフの曲が恋しくなる。
久しぶりに聴いてみたが,やはり佳い。この季節にもピッタリである。ラフマニノフの曲で好きなものを思いつくままに挙げていくと,まずは何よりもピアノ協奏曲の第3番と第2番。それから交響曲の第2番と第3番。前奏曲の中では何故かト短調のやつが中学生の頃からとても印象に残っている。今朝も前奏曲ト短調を聴いてきたのだが,どことなくショパンのポロネーズ第5番嬰ヘ短調(作品44)に感じが非常に似ている。昔からそのように思っていた。それとラフマニノフの中ではヴォカリーズのメロディーが好きである。交響曲第2番の第2楽章といい,このヴォカリーズといい,ラフマニノフは無類のメロディーメーカーである。あとは,これも有名な曲だが,パガニーニの主題による狂詩曲の第18変奏がいい。
前にもこのブログで書いたことがあるが,ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番ではとっておきの,お気に入りのCDがある。20世紀屈指の名ピアニストであったヴラディーミル・ホロヴィッツと名指揮者ユージン・オーマンディー(ニューヨーク・フィル)とが競演したカーネギーホールでのライブ録音である。演奏終了直後の熱狂的な拍手で,こちらも思わず興奮する。素人が聴いてもこのピアノ演奏には超絶技巧が必要なのではないかと思うが,ホロヴィッツは難なくこれをこなしている感じである。でも,ラフマニノフがこの曲を作ったのだし,自演したであろうから,ラフマニノフ自身も相当なテクニックをもった超一流のピアニストだったのであろう。
新聞報道によると,10月23日の閣僚懇談会で,岡田外相が宮内庁に対し,国会開会式の天皇陛下のお言葉に関し,「陛下の思いが少しは入ったお言葉をいただける工夫を考えてほしい」などと申し入れたようだ。耳を疑ったし,違和感を覚え,その直後に怒りの気持ちがわいた。その後の釈明内容を聞いても,岡田外相のこの発言の真意が奈辺にあるのかはかりかねるし,この際は「お言葉」の憲法上の位置づけという理屈は置いておくとしても,少なくともこの発言と申し入れは,現象面としては,陛下にもう少し思いの入ったお言葉を下さい,と要求しているに等しい。極めて不遜である。
外相というのはその固有の所管事務がある。分際という言葉は,身のほど,それぞれに応じた程度という意味であり,分(ぶん)とは,各人にわけ与えられた身分や責任というほどの意味である。外相の分際というものがあり,岡田外相も分をわきまえなければならないと思う。
様々な情報によると,この岡田外相という人は,かつていろいろな場面で次のような発言をしているようである。
「『国歌君が代』は民主主義にふさわしくないので違和感を感じる。民主主義国家にふさわしい国歌があっていいんじゃないか」
「参政権がほしいなら国籍を取れということは、人権にかかわる」
「将来の理想は日中韓共通の教科書を作ることだ」
岡田外相のかつての変な発言は,実はこれだけに限らず枚挙にいとまがない。もう今日も今日とて僕の本来の仕事があり,ブログ作成にこれ以上時間はかけられないので,彼のこれらの発言内容の幼稚さ,自家撞着性について詳論しないが,実におかしい。変である。同じ外相でも陸奥宗光外相,小村寿太郎外相とは雲泥の差である。岡田外相ではとうてい日本の国益は守れないであろう。つい最近も,いわゆる「東アジア共同体」の枠組みについてアメリカは入らないと明言し,すぐさま鳩山首相がその内容を事実上打ち消すという事態が発生している(彼ら自身もそのいわんとする「東アジア共同体」がどういうものなのか分かっていないし,深く考えていないのだから,しょうがないか【笑】・・・)。
いずれにしても,有権者は自由民主党にお灸をすえるために,民主党に308議席も与え,こういう人たちを国のトップ,重要閣僚にいただいたのだが,その有権者自身が今度はお灸をすえられることになると思う。・・・・・でもね,自由民主党がこのままでいい訳は絶対無いよ。同党の中にも十分に変な人たちが含まれているからね。そこに悩みの深さがある。平沼赳夫先生たちに是非がんばって欲しいのだけど。
去る土曜日の夕刻は,中学3年生の時の同窓会が開かれた。聞くところによると約6年ぶりだそうだ。最初は我が3年1組だけの同窓会をやろうということだったのだけど,全部で6組あるうち,1組から3組までの合同の同窓会になった。
我が1組の出席者は全体の3分の1ほどにしか過ぎなかったが,やはりいつ参加しても懐かしいものである。こういう同窓会に参加する僕が当時のクラスメートにどのような思いをもっているかというと,ちょうど戦友のような思いである。みんな15歳の時に卒業し,それぞれの道を歩んでこの歳になった。その間は,もちろん楽しいこともいっぱいあっただろうが,それぞれの時期とそれぞれの場面で辛い,苦しい時もくぐり抜けてきたと思うのである。受験の失敗,しばらくは立ち直れないほどの失恋,社会人になって以降の職場での挫折や人間関係の煩雑さ,結婚生活における様々な苦労,多感な時期を迎えた我が子との親子関係の難しさ,次第に髪が薄くなる悲哀,体力の低下と健康不安,更年期独特のメンタル面での不調,将来への経済的な不安などである。当時屈託のない表情で大いに遊び,学問にいそしんでいた各クラスメートも,みんな大なり小なりそのような経験をしてきたであろうことを思うと,何やら戦友のような存在であり,いとおしくさえ感じられるのである。つまり,共感というやつである。
このようにして同窓会の夜は更け,3次会を終えて帰宅したのは午前3時半ころであった。あー,それから自宅でお湯を沸かしてカップラーメンを食べると思います,みなさん?。でも僕はこれをやってしまったのです。酒を飲むとどうしてもラーメンが食いたくなる。この歳でそんなことをやっていると,本当に糖尿病になっちゃいますよね。もう,たいがいにしないと。長生きしようとは思わないけど,生きている間だけはせめて健康でいたいからなぁー。
この夜(いや,もう朝か),床につく前に,我が栄光の巨人軍が順当にもクライマックスシリーズを勝ち抜き,日本シリーズ進出を決めたことを知った。そういえば,僕の人生を振り返ってみても,物心ついた頃には巨人軍のV9が始まりかけていたのだ。巨人軍と主に歩んできた感じでもある。今年こそそのV9のように,日本一になって欲しいものである。
やりました!我が栄光の巨人軍。前夜の悔しさを晴らす1勝です。これでアドバンテージ分を含めて2勝1敗です。問題は今晩であります。2勝2敗とされてしまうのと,3勝1敗と王手をかけるのとでは大違いだからです。頼むよー,ラミちゃん。ガッツ。慎之助・・・。
さて,ある日の昼下がり,ビルの管理会社の担当者がうちの事務所を訪れ,国土交通省作成のパンフレットを1枚置いて行った。うちの事務員さんが応対したのだけど,そのパンフレットのタイトルには「自転車と歩行者の走行空間を分離する社会実験をおこないます」とある。「社会実験」とは,これまた大上段に構えたタイトルだが,僕としては非常に期待のもてる実験であると思う。なぜならば,この実験の背景にあるのは,そのパンフレットで指摘されているとおり,歩行者と自転車が錯綜しているため,(歩道の)利用者が危険を感じる状況が発生しており,利用者からは歩行者と自転車を分離することを望む声があがっているからだ。
僕も常日頃からそのように思っていた。というのも,通勤や裁判所行きには徒歩で行くことが多いのだけれど,1日に少なくとも5,6回は,極めてマナーの悪い,危険な自転車走行に不愉快になることが多いからである。つい先日も,歩道上で信号待ちをして立っていたら,僕のすぐ近くにいた人との間を全く徐行もせずに縫うようにして走行していった輩がいた。非常に危険であり,とても不測の事態に対応できるような走行方法ではない。また,歩行者が多数いるというのに,自転車を駆って猛スピードで歩道上を走行していく手合いもいる。信号の変わり目などでは,とにかくその交差点を渡りきろうとして全く周りに注意を払わない不心得者もいる。このような無秩序状態だから,最近の僕は歩行経路を変えるにもいちいち後方を確認するようにしている。
ある晩,顧問先の社長さんたちと夕食を共にした時などは,やはり皆さん同じようなことを痛感しておられたようだ。自転車に乗る者が「江戸しぐさ」のようにみんなができるだけ気持ちよく通行できるように気を配ったり,少なくともこんな走行をしていたら歩行者に恐怖感を与えてしまうだろうなと想像したりすることでできないようであれば,もはや物理的な工作,すなわち時速30キロメートル以上は出せないような構造にすべきだなどと議論していたのである。
統計では,この10年間のうちに自転車と歩行者との交通事故の数が約4.5倍になっているそうだ。道路交通法上は,自転車は車道を走行するのが原則になっているし,歩道上は歩行者が優先であり,自転車は車道寄りを「徐行」することになっている。しかし,現実はそうではない。件のパンフレットによると,今回の「社会実験」は,うちの事務所のあるビルの面したすごく広い道路の車道1車線を削り,車道上のバリケードなどを設置して車と自転車とを分離し,さらに,歩行者の歩道と自転車の通行帯をも分離し,歩行者が安心して歩行できるような空間を確保するというもののようだ。よいと思うし,ビルの前の道だけでなく,できるだけそのような措置を講じてもらいたいものである。・・・・・・・・決して自転車そのものが悪い訳ではない。・・・・・・・でも,マナーの悪い人が少なからずいるし,概してスピードの出し過ぎなのである。
今朝も一番で名古屋拘置所に行き,被告人と接見してきた。拘置所での接見を終えて事務所まで歩いて帰る時,好んで通る道がある。この道を歩くだけで結構癒されるからである。僕がてくてく歩いていく行動範囲は,それほど広くはない。だから,本当はこの名古屋市内でも癒される風景,空間,道は他にも数多くあり,僕が知らないだけなのだろうけど,特にこの接見帰りに通る道はとても癒されるのである。
その道というのは,名古屋市役所や愛知県庁の各本庁舎のすぐ東側の道で,知事公舎や市公館ではさまれた道である。この道を南側に向けて歩いていると,道の両側には並木があり,とても緑豊かな一帯である。個々の樹木の名は知らないけれど,四季折々,それぞれの季節とそれの移り変わりを肌で感じることができる。また,歩道からはテレビ塔の勇姿もうかがうことができる。癒されるのは,人通りもそれほど多くなく,何よりも濃い緑が静かな空間を支配しているからであろう。もっともっとこういう空間を町のあちこちに作って欲しいものだ。
それはそうと,我が栄光の巨人軍はどうしたことか。リーグ3連覇は果たしたけど,クライマックスシリーズや日本シリーズでは精彩を欠く。クライマックスシリーズを必死で勝ち上がってきたチームと比較すると,試合感が鈍り,特にモチベーションの面で不利なのか。ゴルフでも,ティーショットを豪快に打っても,第2打地点で5分くらい待たされると,いわゆる「待ちチョロ」というのもある。でも,それは結局下手だからだ。少なくとも自分の場合は。とにかく巨人軍は勝たなければならない。オーダー上は,1,2番の出塁率の低さが気になる。塁に出なければ何ともならないからだ。それにしても,昨晩の日本ハムファイターズの9回裏の逆転サヨナラ劇は凄かった。ゲームは決して諦めてはいけないということだろう。こういう1勝は,1勝以上の価値がある。おい巨人,もっと頑張らんかい!
先週の土曜日は顧問先のゴルフコンペに参加した。調子が悪く,スコアがどん底だった頃は行くのもおっくうだったけど,最近は以前ほどスコアは悪くないので,ゴルフを心から楽しみに行った。その1週間はずっと天気は悪くなかったのに,その土曜日に限って天気がいまいちだった。
ラウンド中は特に前半に雨が降り,傘を差さなければならないホールがかなりあった。でも僕の場合,強がりではないけれど,ゴルフ場での雨はそれほど嫌いではない。雨でしっとり濡れたコースも,いかにも自然と自分が一体になっているようで悪くはない。それと・・・以前にもこのブログで書いたことがあったが,傘を差しながらフェアウェイを歩いていると,どうしても「あめふりくまのこ」のメロディーが頭の中をめぐるのである。この歌は,子どものころから大好きな歌であった(鶴見正夫作詞,湯山昭作曲)。傘を差してフェアウェイを歩く時にこの歌のメロディーが浮かんでくるというのは,もう条件反射みたいなことになっている。
「おやまに あめがふりました」
「あとから あとから ふってきて」
「ちょろちょろ おがわが できました」
「いたずら くまのこ かけてきて」
「そうっと のぞいて みてました」
「さかなが いるかと みてました」
・・・・・・・・・・・・
こういう歌である。名曲だと思う。こういう名曲を今でも小学生にちゃんと教えてくれているのだろうか。このメロディーを頭にめぐらせながらのラウンドの結果はというと,いつものとおりであるが,ひところのどん底は脱した感はある。二番底がこないことを願っているが。
ゴルフと言えば,第74回日本オープンゴルフ選手権競技の最終日の模様を録画で見たが,これまで優勝経験がなかった小田龍一が3人によるプレーオフを制して初優勝した。初優勝が国内メジャータイトルだったから,喜びもひとしおだったろう。この選手に特に好感が持てたのは,ひたむきさが感じられたのと,プレーオフ第1ホール目のティーショットを打つ前に,他の2選手らに対し,「お願いします。」と丁寧に礼儀正しく挨拶をしたからである。こういうマナーの良さは見習うべきである。
苦手だわ。自宅の割と近くで飼われている黒い,中くらいの大きさの犬のことである。僕ははっきり言ってこの犬は嫌いであるが,恐らくこの犬も僕を嫌っているのではないかと思う。
この犬は小さな庭の中の犬小屋で飼われているが,小屋から出て通行人に吠えることがある。かつて僕は何気なく通りすがろうとした時,いきなり大声で吠えられてビックリしたことがあった。いきなり大声で吠えられたら,心臓が止まりそうになりますんです。そういう理不尽なことはやめて欲しいんです。
それ以来,僕はその犬小屋のある庭の前の歩道を避け,その道の反対側を歩くようにしている。でもある日,12,3メートルほど前を歩いている若い女性がいたので,この人についていけば安心かなと思い,この時はその黒い犬を避けることなく,その若い女性の12,3メートル後を歩いて通りすがろうとした。その黒い犬は,若い女性には何の反応も示さなかったが,僕が通りすがろうとした時,何やら嫌な予感がした。そしたら案の定,大声で吠えられた。ひじょーに不愉快になった。とうとう犬にまで差別されたのである。
人間の心理や人間関係が論じられる時,自分が苦手だなと思ったり,嫌いだなと思ったりしている相手があれば,やはりその相手も自分のことを苦手に思っているものだということを聞いたことがある。人間と犬の間でもこれが妥当するのであろうか。
でも,今朝の通勤の時は,少しうれしい気持ちになった。派出所から少し離れた交差点で若い警察官が立っていたのだが,全く面識のない僕に「おはようございます。」とはっきりと挨拶してくれたのである。思わず僕も「おはようございます。」と言って,会釈した。面識のない人にも挨拶をするというのは,ある意味ではとても勇気のいることだが,昔の日本人はこれが当たり前だったのだ。これが醇風美俗というものだ。かなり前に秋田県へ旅行をし,秋田市内の千秋公園で散歩していた時にも,行き交うご婦人から「おはようございます。」と挨拶をされた記憶が残っている。その他の旅行先でも。
あれ?ひょっとすると,あの黒い犬も僕に挨拶をしてくれたのか・・・。
もー,太るのもたいがいにせんかい!自分への叱咤である。一時は見事ダイエットに成功し,同業者からは「痩せたんじゃない。大丈夫?」と心配され,「いやいや,病気じゃないですから。」とうれしい説明を繰り返していたというのに・・・。もう半年も体脂肪計付きの体重計に乗っていない。体重計に乗って現実に直面し,敗北感を味わうのが恐いのである。その数値を目にする勇気がない。それにうちひしがれた自分の惨めな姿が手に取るように分かるからである。それに,最近では毎年12月ころに人間ドックを受けていたのだが,今回はもう少し先延ばししようと思う。少しは摂生して,体重,中性脂肪,コレステロール,尿酸値などが下がったんじゃないかなと実感できるようになった段階で人間ドックを受けたい。もう今では標準体重を恐らく4~5キロはオーバーしているのではないだろうか。
この状態になったのは,特に最近お付き合いで飲むことが多くなったことと,晩酌の頻度が高くなったことが関係していると思う。「飲酒と肥満」というキーワードを入れて検索してみると,やはり因果関係がある。ぼくの場合は,1回の飲酒量はそれほど多くはないのだが(痛飲などはしない),飲酒の際の「おつまみ」の量と質が大いに影響しているのではないかと思う。お酒だけじゃなく,食べちゃうのである。
ただ,依頼者や顧問先が心配するからはっきり言っておくが,僕の仕事は相当にストレスがあるものの,決してアルコールに依存などはしていない。休肝日も週に2,3日は設けているのである。でも,最近は「夜になると飲みたくなる病」に少しかかっているみたいである。自重しなければと思っている。
ただ,今晩は飲むと決めた日は,心おきなく飲むことにし,心情的には種田山頭火の句の世界に漂う感じになる。
「一杯やりたい夕焼空」
「月が酒がからだいっぱいのよろこび」
「風がはたはた窓うつに覚めて酒恋し」
「ぼろ売って酒買うてさみしくもあるか」
「よい宿でどちらも山で前は酒屋」
「おもひでがそれからそれへ酒のこぼれて」
朝,歩いての通勤はよいものだ。特に秋の澄み切った空,清々しい空気を吸いながらの散歩通勤は格別によい。毎朝の通勤経路は,その日の気分任せ。今日は少し細い路地裏のような所を通ってきたが,鳩が1匹,すずめが5,6匹,仲良く路上で何かをついばんでいた。僕はできるだけ彼らをびっくりさせまいと静かにそばを通り過ぎようとしたが,やはり小さなすずめ達は飛び立って逃げた。でも,鳩はほんの少し移動しただけでそのまま自分のペースを崩さなかった。鳩というのは,人なつっこくて,憎めない。
でも,わが日本国の首相をやっている鳩山由紀夫という人は,はっきり言っていかがなものかと思う。例の偽装献金問題にしても,大方の国民は首相の説明責任は果たされていないと思っているのに,捜査に影響を与えるなどといった口実で,以前の記者会見での発言以上の説明を果たそうともしない。その政治資金管理団体が,故人や献金もしていない人の名前を勝手に使ったりした。それを秘書が勝手にやったということで幕引きをしようとしている。かつて鳩山氏は,他の人の同種のスキャンダルの際には,秘書の責任は議員の責任であると明確に述べていたにもかかわらず・・・。定見がない。この問題が発覚した後,問題の収支報告書の献金者名が訂正されたが,その訂正された献金者名の一部も再び虚偽であったことが取りざたされている。さすがに,問題発覚後の訂正部分まで鳩山氏が全くあずかり知らなかったという言い訳は通用しないだろう。それに,5万円以下のいわゆる匿名献金についても,その中に仮に親族等からの「献金」分が含まれたりしていたら,実質的には贈与であり税法上の問題も出てくる。
また,鳩山氏は,外遊に当たって諸外国の歓心をかうかのように,未だ国民的な議論が尽くされていないにもかかわらず,しかも国会での所信表明もしていないにもかかわらず,対外的には半ば国際公約をして回っている。「東アジア共同体」,「永住外国人の地方参政権付与問題」,「温室効果ガス25%削減」などである。このうちの,例えば「東アジア共同体」について,触れ回っている当の鳩山氏自身も,その具体的内容はどのようなものなのか,どのようなステップで実現するのかなどについてつっこんだ質問を受けても明確に答えられないに違いない。現に,読売新聞の報道によると,この「東アジア共同体」の枠内にアメリカが入るのかどうかについて,岡田外相は「入らない」と明言しているのに対し,鳩山首相は「入る可能性を否定しない」としている。閣内で言っていることが違うのである。この問題に限らず,日米同盟の相手方であるアメリカは鳩山首相率いる日本政府への警戒感を隠さないようになっている。外交というのは,一度信頼感を喪失してしまったら取り返しのつかないことになる。さらに,鳩山氏は,永住外国人への地方参政権付与がなされるべきだとの認識を示し,その際に「日本列島は日本人だけの所有物ではない」とまで述べている。
鳩山氏本人は,赤っぽいジャケットか何かを着て,そのご婦人と共にファッションショーに特別出演していたりする。この大切な日本国の舵取りをするために,もっと他にやることがあるのに・・・。朝の通勤の時に出会った鳩は好きだが,この首相の場合は,どうも・・・。
台風18号,今回の台風は非常に手強かった。僕が天気図上ではじめてこの台風を目にしたのは,今から数日前で,まだ日本からはるか南海上にあった。ところが,その時の中心気圧が915ヘクトパスカルだったから,内心「こりゃー凄いな。」と思った。この台風が日本に上陸することがあるとすると,その時点でも相当の勢力を維持しているだろうと直感したのである。
僕は名古屋市内に住んでいるが,ちょうど今朝の明け方が暴風雨のピークだった。相当の迫力で,室内にいても恐怖を感じるくらいだった。それでも何とか通勤する時間帯には風も治まり,歩いて職場まで行くことが出来た。
その道すがら,台風が過ぎ去った後の街の様子をつぶさに観察してきた。路上には,木の枝,まだ青い葉っぱ,枯れ葉,花びら,木の実などが散乱していた。行く先々で,集合住宅や共同店舗の前では,複数の人達が協力し合いながら箒で掃除をしていたし,一軒家の前でも初老のご婦人がやはり丁寧に掃き出しをし,鉢植えの手入れなどをしていた。本当に日本人というのはきれい好きであり,街の美観をいつも考え,花や樹木などの自然をいたわり愛でる民族なのだなと思った。
台風などによる暴風を古典的な表現で「野分(のわき)」,「野分け(のわけ)」というが,徒然草の第十九段(折節の移りかはるこそ)には,次のような表現がある。
「また野分(のわき)の朝(あした)こそをかしけれ。」
その大意は,「また,台風が過ぎた翌朝の景色はとても興味深いものだ。」というものだ。今朝の通勤途上でこのことを実感した。ただ,僕がこのブログを書いている時点ではまだ件の台風が日本列島を縦断中である。その進路上にある地方の方々の無事を心からお祈りしている。