子羊のような姿で入場したものの,実際にステージに立って見ると,晴れがましくもありました(本日もいつになくですます調です)。総譜(スコア)を見ながらの合唱ですから,着用したメガネは老眼用です。ですから,客席の聴衆のお顔はぼやけていてよく分かりませんでした。でもその方が緊張しなくてかえって良いのでした。
コンサートマスターによる音合わせの後,静まりかえったホール。指揮者の登場を待ちます。緊張します。でもこの時,われわれ合唱団のすぐ前に位置していた40歳代と思われる男性のファゴット奏者が,後ろを振り返り,右手の親指を立てて「大丈夫」といったような仕草をして勇気づけてくれました。優しい人なんだと思いました。また彼もそのようにして自分の緊張もほぐしていたのではないでしょうか。
指揮者登場。冒頭合唱曲の出だしの段階で,早くも胸に迫り来るものがありました。「深沈とした、管弦楽の前奏。・・・・・ゴルゴタへ向けてのイエスの一行の、重い歩みを聴く。」(マタイ受難曲125頁,137頁:礒山雅,東京書籍)とあるように,厳粛で悲痛な出だしです。さあ,いよいよ始まりました。一年間の練習の成果を発揮するぞー・・・・・・。
相当に緊張しておりましたが,最初に発声して以降は大分気分が落ち着きました。サッカーでもボールへのファーストタッチ後は選手も気が落ち着くのと同じでしょう。やがて,少年少女たちによる「おお罪なき神の子羊(O Lamm Gottes,unschuldig)・・・・・・・」の部分の力強く美しい声がホールに響き渡りました。素晴らしい。あー,子どもたちも頑張ってるんだ。この力強くも美しい声にどれほど勇気づけられたか。どれほど士気を高められたか。
その後,いくつかのコラールもそれほど大きなミスもなくできました。このマタイ受難曲は,第1部と第2部に分かれ,演奏時間約3時間を要する大曲ですが,第1部の途中からは,緊張してミスを恐れるという心理状態よりも,この曲に関わることのできる人生でも極めて貴重な体験を味わおうとする精神的な余裕も出て来ました。
それと同時に,ステージ上で,この曲の凄さを鑑賞することもできるという贅沢な状況でもありました。第11曲の中には,イエスが,裂いたパンを「私の体」であると言い,杯のぶどう酒を「私の血」であると言って,弟子たちに味わわせる場面があります。その際にアリオーソ風に歌われる4分の6拍子の堂々たる,美しいメロディーが途方もなく好きです。じーんと来るんです。これを本当に間近で聴くことができました(イエス役のソリストは私のすぐそばで声高らかに唱っていたのです)。特にこの時は,僕も聴衆の一人として感動したのでありました。
このようにして,どんどん曲が進み,第29曲の大コラールもとても気持ちよく歌い終え,第1部の終了。プレーヤーも聴衆も約20分間の休憩とあいなりました(続く)。