グレン・グールドという人は,異色かもしれないが,天才ピアニストであったことは間違いない。バッハのゴルトベルク変奏曲のうち,晩年に録音した方のものや,平均律クラヴィーア曲集などは今でも僕の愛聴盤である。グールドは秋に亡くなったが,早くも没後27年も経つ。そのグールドは,カナダ国籍だったが,夏目漱石の「草枕」をこよなく愛し,繰り返し読んでいたということだ。
正直言うと,文豪夏目漱石の作品は,「坊っちゃん」,「吾輩は猫である」,「こゝろ」くらいしか今まで読んだことがなかった。かのグールドが「草枕」を愛読していたという情報に接して,それで興味を持ったのである。・・・・・・・「草枕」を読んでみた。すぐには読書感想が思い浮かばない。僕がかつて読んだ漱石の作品と比較すると,少し異色の作品ではなかろうか。グールドがこの作品を愛読していた理由を知りたい気になった。彼はこの作品のどんな点に惹かれたのであろうか。とても興味深い。
漢文調の文章が延々と続くくだりにはいささかやっかいな思いをしたが,何となく魅力のある作品ではある。宿屋の庭付近から夜中に聞こえてくる小さな歌い声や,突如として湯気の中に浮かぶ女体,その他の自然描写などは幻想的ともいえる。また,その歌い声や女体の主は,出戻りの那美という女性であるが,彼女はこの小説においては極めて大きな存在である。また,随所に現れる人生や事象に対する内省的,洞察的な表現。繰り返すが,あのようなバッハを表現するグールドがこの「草枕」という作品のどんな点に惹かれたのかが知りたい。