今朝の名古屋は雨のち曇りの天気だけど,昨日の日曜日は穏やかな小春日和であった。僕は,ロータリークラブの仲間と今年最後となるゴルフを楽しんだ。風もなく,寒さなども感じない良い日だった。僕は内心,今日はひょっとして・・・・,と好スコアを期待した。
・・・・・で,出てしまったのである。今年最後のラウンドで,今年一番の好スコアが!僕もやる時はやるもんだ。何しろ男でありながら乳首挟まれてマンモグラフィー検査を受けたという輝かしい経歴の持ち主である。僕に不可能はない。それにしても,ここんとこゴルフが全く駄目だったのだが,この日は僕の欠点が出ないように心掛けたせいか,①力まない,②早打ちしないというのを実践できたのである。よくゴルフレッスンなどで,「チャー,シュー,メーン」というタイミングでスイングすればいいなどと言われるが,僕の場合はこれだとまだ早打ちの欠点が出てしまう。だから,「ゆぅーーーっ,くぅーーーーり,ポォーーーーーン」と内心で念じながらスイングしている。これだと,何だか間抜けな掛け声で,脱力感があり,かえって早打ち・力み防止の良いスイングができるのだ。昨日はトリプルボギーを2つたたいたが,それ以外はほとんどがボギーだった(笑)。だから,スコアとしては世間的にみれば大したことはないのだが,未来に期待がもてるスコアを年末にたたき出したのである。終わりよければ全て良し・・・。
さて,今年もやがて終わろうとしている。1年が経つのは本当に早いものである。秋には念願のバッハの「マタイ受難曲」公演で第2コーラスのバスパートを歌うというかけがえのない体験ができた。この1年,年頭にはいろいろと不安を感じながらのスタートだったが,皆様のおかげで何とか当事務所も年越しができる。ありがとうございます。来年も,日本全国約6187万人の僕のブログファンのためにも(笑),「忙中閑あり」でブログ更新をしていきたいと思います。皆様,良いお年をお迎えください。
僕の家にあるピアノはどこにでもあるようなごく普通の黒のアップライトである。敢えてほめるとすれば,夜間でもヘッドホンで練習できるようなサイレント機能がついていることである。今の住宅に引っ越した際,僕としては日当たりが良くて少し広いリビングにこのピアノを置こうと考えた。でも,実際に引っ越し屋さんにこのピアノをリビングに設置してもらおうとしたら,何をどうやってもピアノが入り口を通過せず,リビングに設置することが不可能であることが分かった。入り口の間口が狭すぎたのであろう。
結局このピアノは,北側のほとんど日の当たらない小さな部屋に置かれることになった。ピアノの上には,バッハの白い像が置かれ,その横にはバッハ没後250年(西暦2000年)を記念した絵皿(レリーフ)が飾られている。でも,ここのところこのピアノが弾かれる機会がほとんどない。ピアノがちょっと寂しげなのである。朝の出勤時,同じ部屋のクローゼットの中にあるコートを取り出すとき,いつもこの寂しげな感じのピアノを目にする。
僕の理想は,例えば今頃の季節だったらこの部屋を暖かくして,コーヒーなどを飲みながら,ものにしたい意中の曲を少しずつ練習してマスターしていくような,ちょっと達成感のある趣味の愉しみ方をしたいということ。しかし,近頃これを妨げているのは,仕事に追われて精神的な余裕と時間が少ないことと,晩酌の機会が増えていることである。ただでさえスキルが低いのに飲酒して練習しても上手くはならない。
でもこの状況がずっと続くとは思えないし,続けないようにしたい。晩酌の機会は自分の意思で減らせるし,仕事面だって今後なんとかなるし,していきたい。やりようによっては好きな趣味を楽しめる精神的余裕は確保できるのだ。前にもこのブログで触れたかもしれないが,今僕がものにしたい意中の曲は,ショパンのイ短調のワルツ(作品34の2)とバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻の第1番のフーガである。まずはこの2曲を少しずつでも練習して何とかものにしたい。
昨日は天皇誕生日というのに,僕は相変わらず仕事に追われ,日中は事務所で過ごす羽目になった。仕事に追いかけられるのではなく,精神的にも余裕をもってむしろ仕事を追いかけているような人,「サウイフモノニ ワタシハ ナリタイ」。
でも,夜は家族と気に入りの店で外食し,久し振りにカラオケ大会であった。歌を歌うということは,実に楽しいことである。僕の場合は,どこをどう見ても,何をどうしても,どうあがいても昭和の人間であるから,カラオケで歌う歌も昭和の曲である。僕がよく歌うのは,山口百恵の「いい日旅立ち」,中森明菜の「セカンド・ラブ」,石川ひとみの「まちぶせ」,松任谷由実の「卒業写真」,サザンオールスターズの「YaYa(あの時代を忘れない)」,「いとしのエリー」,「チャコの海岸物語」,「希望の轍」,岩崎宏美の「マドンナ(聖母)たちのララバイ」,あとはザ・ビートルズのナンバーである。
昭和の歌しか歌えない。平成の曲には子羊のように気後れしてしまう。ヨハン・セバスティアン・バッハの究極の世界,深い森の中に入ってしまったら,今時の歌謡曲に手を出そうとは思わないのである。僕がカラオケで歌う曲に関しては,もはや昭和で時間が止まってしまっている。なお,家族とカラオケを愉しむ場合,最近では必ず1回か2回は,起立して「君が代」を斉唱することになっている。もはやこれは我が家の伝統ともいうべきものである。店員さんがどんなに怪訝そうな顔をしても平気である。ああ,それから。この夜,唯一昭和の歌へのこだわりを捨てたのは,「ぜんまいざむらいの歌」と「ぜんまいチャチャ」の練習をした時だ。これらの曲は案外歌えたが,人前で歌うのはとても勇気がいることを悟った。
天皇陛下は76歳の誕生日を迎えられた。本当にありがたいことである。それにいつも思うのだが,陛下のお言葉はいつも心にしみるし,とても美しい日本語である。ますますの弥栄を心から祈念いたします。
・・・・・・うぅーーーっ,疲れた・・・・。最近は仕事に追われ,休日も事務所でお仕事というのが多い。これは肉体的にも,精神的にも良くない。休日,事務所での仕事の合間にふっと思った。そうだ!足裏マッサージに行こう,と。事務所から歩いて10分で行けるお店に早速電話してみたら,休日でも営業しており,首尾良く予約が取れた。
いやーっ,足裏マッサージはとても良い。悦楽の世界である。これは体全体の血流が良くなるし,最近めっきり薄くなってきた大切な髪の毛にも良い効果があるのではないか?足裏マッサージにも英国式のリフレクソロジーもあれば,台湾式,タイ式もある。まぁ,僕の場合はそれほど痛くはなく,悦楽のリラックスができる英国式が一番合っていると思う。
この店は,個室が利用でき,室内も間接照明で薄暗く,しかも東南アジア風のゆったりとした,それでいて何だか魅惑的な音楽が流れている。仕事で疲れた体を休め,精神的にもリフレッシュできる(副交感神経が優位に立つのである!)。こういう音楽を聴いていると,何となくではあるが,東南アジアだったら一度旅行してもいいかなと思う。
東南アジアといえば,タイ王国の元首相だったククリット・プラモードの感動的な言葉が想い出される(何なんだ,このいささか強引な話題転換は)。そのククリット・プラモードの言葉とは次のようなものである。
「日本のおかげでアジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。」
「今日、東南アジアの諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話しが出来るのは、いったい誰のおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。」
「12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大な決心をされた日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが病の床に伏した日である。われわれはこの2つの日を忘れてはならない。」
僕は決して戦争を賛美などはしていない。むしろ戦争はぜったいに回避すべきものである。でも,大東亜戦争の歴史的評価には様々のものがあるが,いわゆる東京裁判史観で凝り固まった思考停止の知識人,大方のマスコミ,日教組には到底ついていけない。教訓を得ること,公正かつ多面的な歴史評価を含め,日本人はもっと歴史を勉強すべきではないかと思う。
昨日,裁判所での仕事を終えて事務所まで歩いて帰る途中に,ちょっと損したような感じのする出来事があった。いや,何のことはないのだが,反対側から歩いてくる中年の男性が僕に愛想良く挨拶してきたので,僕も愛想良く挨拶し返したところ,実はその人は僕の後方で車の中にいた人に挨拶をしていたのである。要するに勘違いしてしまったのだ。愛想良く挨拶したのが損したような・・・,きまりが悪かった・・・・・。これって何か古典にあったなと思って調べたら,清少納言の枕草子第122段「はしたなきもの」にあった。「はしたなきもの こと人を呼ぶに、我ぞとさし出でたる。(きまりの悪いもの。他の人を呼ぶときに、自分だと思って出ていった場合。)」とあった。正にこれだった。挨拶して損などはないが,それでも何か損したような。
ついでに損といえば,コーンポタージュスープである。先日はとても忙しい一日で,裁判所から次の法律相談の会場まで車で直行し,まともに昼食をとる時間がなかった。コンビニでサンドイッチと暖められた缶入りのコーンポタージュスープを買って食べた。でも,この缶入りのコーンポタージュスープの場合,いつもコーンの何粒かは確実に損したような気になるし,実際に損している。何をどうやっても何粒かは缶の内部に残ってしまうのである。さらについでに損と言えば,先日はゴルフ場の茶店で暖められた缶入りのおしるこを味わった。ゴルフのスコアはともかくとして,寒い季節にこのようにして飲むおしるこは結構美味しい。でも,これについても小豆の何粒かは確実に損したような気になるし,実際に損している。何をどうやっても小豆の何粒かは缶の内部に残ってしまうのである。人前で缶の底をトントンとたたき,何としてでも全ての小豆をものにしようとする行為ははしたないし・・・。我が日本国は物作りでは世界に冠たるものがある。コーンも小豆も1粒たりとも損しないような画期的商品が開発されるよう,心から期待してやまない。
このたびの天皇陛下と中国副主席との引見をめぐる一連の動き,小沢一郎民主党幹事長(以下「この人」という。)の記者会見での言動を見ていて,非常な不快感を覚えた。陛下が高齢であることに加え,その公務が多忙であること,また術後の十分な経過観察等が必要であることなどから,いわゆる「1か月ルール」は定着し,陛下自身も,これまで相手国の国の大小や立場にかかわりなく,公平を旨として会見,引見をされてきたと聞いている。今回の中国側からの申し入れは「1か月ルール」を破るものであり,以下新聞報道によると,政府は11月30日の段階で正式に引見が無理であることを中国側に通告した。このルールの存在及び75歳と高齢の陛下のご健康が万全とまではいえないことがその理由である。
ところが,中国側はあろうことか駐日大使館を通じて「なりふり構わぬ」巻き返しを図ってきた。12月9日にも駐日中国大使が官房長官に重ねて引見の実現を求めたのに対し,この時点でも官房長官は「陛下の体もあって大変厳しい」と明言を避けていたという。しかし翌日(12月10日)には,この人(小沢一郎)による例の民主党国会議員143名を引き連れた大訪中団出発が控えていたこともあり,結局は官房長官から宮内庁長官に引見実施の強い指示がなされたという。この間に何らかの強引な力が働いたことが十分な合理性をもって推察できる。安部晋三元首相が指摘するように,例の大訪中団の歓待と今回のご引見とはセットになっていたのではないかと思う。
新聞紙上では「政治利用」ではないかということが問題とされており,この人やその傀儡ともいうべき鳩山首相はこれを否定しているが,明らかに「政治利用」であると評価せざるを得ない。今回の引見が実現されたのは,相手方が中国であったからであろう。今回の引見に際し,本来であれば掲げられないはずであるのに,東京・霞ヶ関や首相官邸周辺には中国の国旗が掲げられていたことがそれを如実に物語っている。前にも述べたように,陛下自身はこれまで相手国の国の大小や立場にかかわりなく,公平を旨として会見,引見をされてきたのである。それに「政治利用」というのは,利用するしないという自らの意思だけでなく,利用されているという観点も重要なのではなかろうか。さらに,このようなことが繰り返されれば,日本なんて国はゴリ押しすれば何とでもなるといった誤ったメッセージを送ってしまうことになる。今回の「1か月ルール」を破っての引見の実現,何の目的なのかピンとこない大訪中団に引き比べてみると,普天間飛行場移設問題におけるアメリカという同盟国の軽視状態はとても理解できない。
それにしてもだ。この人(小沢一郎)の記者会見での発言には心底怒りを覚えた。発言内容の詳細についてはもうあれこれ言わないが,陛下のご体調が悪ければ他の優先順位の低いものを取り止めればよいといった趣旨の発言をした。傲岸不遜である。この人の頭の中では,天皇陛下という存在がどのようなものとして位置づけられているのか。それに,この人は「天皇陛下ご自身に聞いてみたら『手違いで遅れたかもしれないけれども会いましょう』と必ずおっしゃると思うよ」とも発言した(産経新聞)。重ねて言わなければならない,傲岸不遜である。このような人間に陛下の大御心が分かる訳がない。それに,このような物言いは,陛下に対し,そのように発言し,思ってしかるべきだとでも言っているようなニュアンスがある。このような恫喝的体質はこの人の宿痾のようなものかもしれない。今回の一件で,宮内庁には今回の対応を応援する趣旨の夥しい数のメールが殺到し,民主党には夥しい数の抗議がなされているという。普通の日本人のメンタリティーだったら,この人の記者会見での発言,態度には眉をひそめるのではないだろうか。
また,この人は,訪中の後に訪韓した際,天皇陛下の訪韓についても言及したというし,永住外国人の地方参政権の法案提出,実現についても言及したという。このような人が民主党を牛耳っているのである。今の自由民主党の現状には失望しか覚えないものの,自由民主党にお灸をすえようとして民主党に投票した人は,自らが徐々にお灸をすえられ始めていることに気づくべきだ。
仕事は忙しいけれど,自宅にいる時くらいはできるだけ本を読みたい。早く読みたいなと思っているけど,書店でなかなか手に入らない本がある。若狭和朋という人が書いた「日本人が知ってはならない歴史」という本で,正編と続編があるそうだ(それに,戦後編も出て3部作になっている。)。早く読もうといくつかの書店へ行き,店内の検索サービスで調べても「品切れ中」,「在庫なし」という表示が出てしまうのだ。いっそのことアマゾンか何かで通販で買おうか。
この本が読みたいと思ったのは,ネットの書評で好評だったこともあるが,作者の若狭和朋という人の経歴中に,大学を出て通産省の官僚になったにもかかわらず,間もなくこれを辞めて「4か月ほど雲水になった」という趣旨のことが書いてあったからだ。雲水というのは,行雲流水の略で,空を行く雲と流れる水,物事に執着せず,淡々として自然の成り行きに任せて行動することのたとえである。要するに4か月ほどの間,全国をあてどもなく漂泊したということである。彼をしてそのようにさせたのは,新婚生活僅か約4か月で最愛の伴侶を事故で亡くしたという冷厳たる事実だったようである。
雲水と言えば,非定型俳句の尾崎放哉のことも想い出される。「咳をしても 一人」という句に出会った時の衝撃も忘れられない。彼も,東京帝国大学法科を出て普通の会社に入って仕事をしていながら,結局は退職し,いわば諸縁を放下する形で雲水になった。そういえば,このブログでもたびたび登場する漂泊の俳人種田山頭火も雲水の生活であろう。このような雲水の心境,生活に漠然とした憧れをもつこともある。少し前に「新 脱亜論」(文春新書)という本を読んだが,その著者である渡辺利夫(拓殖大学学長)も自己の専門分野とは全く畑違いの「種田山頭火の死生-ほろほろほろびゆく」(文春新書)という本も書いている。誰でも,このような雲水の心境,生活に漠然とした憧れをもつことがあるのだろうか。
風邪からの病み上がりではあったが,土曜日と日曜日に連日ゴルフをやった。気の置けない人たちとのゴルフだったので,気楽にゴルフを楽しむことができた。僕はできるだけ運動した方が良いからと,ゴルフ中でもカートには乗らずに歩くようにしている。税務調査に入られて精神的に凹み,風邪からの病み上がりとはいえ,ゴルフを二日連続でやったのだから(しかもできるだけカートに乗らず),僕も結構元気である。見直してしまった。
この連日ゴルフは,幸い,2日とも小春日和であった。土曜日などはセーターを脱ぎシャツ一枚でプレーしたくらいである。いつも思うのだけれど,冬の清々しい空気の中で,小春日和を愉しむのは本当に素晴らしい。あとはスコアだけだ。スコアが伸びない理由は,再三再四このブログでも述べているように,「早打ち」と「力み」である。分かっちゃいるけどやめられない。・・・でも,本当に次からは「早打ち」と「力み」を根絶して,記録的なスコアを達成したい!
ところで,名古屋グランパスはどうであろうか。本当に元気なのだろうか。天皇杯のベスト4進出をかけたFC岐阜との対戦では,3-0で勝利し,ベスト4に進出した。FWのケネディのハットトリックであった。まずは勝てたことは素直に喜べる。ここまできたら元日決戦まで進出し,3度目の天皇杯制覇を目指してもらいたい。決勝進出をかけた対戦相手は清水エスパルスである。これまでの対戦成績は,確か,引き分けの数は定かでないけど,勝ち負けからすれば名古屋グランパスの17勝18敗ではないだろうか。拮抗した成績である。何とか頑張って欲しい。FWのケネディは長身でポストプレーができ,安定している。ただ,名古屋グランパスが前に天皇杯を制した時は,ストイコビッチ,平野,岡山らがシュートを決め,どこからでも点が取れるという意味で本当の強さを感じた。今のチーム状態からすればそこまでは期待できないが,人材は揃っているのだから,戦術と選手間の共通理解を徹底して,是非とも天皇杯を制して欲しい。
・・・・・・ふぅーーーっ,・・・・・とうとう風邪をひいてしまった。幸い,新型・季節性いずれのインフルエンザでもなかったけど。風邪をひくのは久し振りである。今までの自分の人生を振り返ってみて,風邪を引くときは,たいてい,抵抗力が弱っている時である。不摂生(暴飲,暴食,夜更かし),過労,ストレスなどが原因で,全体的に抵抗力が弱っている時に風邪をひく。
そういえば,いろいろなお付き合いもあって,確かにここのところ不摂生をしたし,仕事に追われている自分があったし,さらに僕を凹ませたのは初めての体験となる税務調査である。熱を出して床に伏せっている時,いろんなことを思った。反省と,慰めである。
まず,反省。自宅での食事の後,食器等の後片付けで,うちのかみさんと物の受け渡しをする際,手と手が触れた。それで大分昔のことを想い出したのである。僕がもっと若い頃,同じような状況の時にかみさんの手がスベスベ,ツヤツヤでなかったことから「ゾウさんの肌みたいだなぁ」と言ってしまったのだ。その当時はコマーシャルで見るパーツモデルのような手であることを期待していたのかもしれないが,今から思えば随分と心ないことを言ったと反省している。うちのかみさんの普段のきっちりとした家事の状況を見ていると,きっちりと家事をしているからこそ,「ゾウさんの肌」みたいな手ざわりになるのだろう。むしろ,パーツモデルのような手の人はちゃんと家事をこなしているのだろうかという疑問もあるくらいだ。微熱の中,昔の心ない発言を悔い,反省した。
次に,慰め。寒気と微熱の床の中で慰めを与えてくれたのは,やはりバッハであった。モテット「イエス,わが喜び」というのは本当に佳い曲である。僕はキリスト者ではないが,とても慰められた(税務調査のことも吹っ飛んだ。)。モテットというのは,声楽曲のジャンルの一つで,ミサ曲以外のポリフォニーの宗教曲のことである。バッハのこの「イエス,わが喜び」はモテットの中でも規模が大きく,全部で11曲から成っている。奇数楽章にコラール,偶数楽章に聖書の章句が配置されている。・・・・・慰められた。
いよいよ凄いことになっている。米軍普天間飛行場の移設問題をめぐる鳩山由紀夫首相の迷走である。この問題については,前にもこのブログで触れたので繰り返すことはしないが,取り返しのつかないことになるのではないかと本当に危惧している。
ここまでくると,この人の頭の中には安全保障というカテゴリーがなく,しかも,この問題に限らず想像力というものが人より劣っているのではないかと思う。安全保障面からすれば,現在の日本を取り巻く状況を客観的に判断した場合,日米安全保障条約(日米同盟)を基軸とせざるを得ないのは明らかである。彼は口ではそう言っているが,行動面では全くそうはなっていない。安全保障や外交に関して助言をしている人は存在するようだが,本当の意味で「有力な」ブレーンはいないに違いない。結局は,衆議院議員わずか7名の社民党との連立の維持と日米同盟との2つを天秤にかけてしまい,これまでのところ前者を優先して年内解決を先送りしようとしている。これは明らかに国益に反している。このままでは,十数年かけて検討を続け,ようやく国家間の合意に至り,名護市や沖縄県が何とか苦渋の選択をした状況がご破算になり,ひいては普天間飛行場の危険除去,住民の不安解消もおぼつかなくなっている。つまり,政権交代によってより悪い方向に進んでいると評価せざるを得ない。
とうとう産経新聞には次のような記事が掲載された。つまり,オバマ大統領の初来日を控えた11月初旬に,在日米軍再編交渉をめぐる米側責任者だったローレス元国防副次官と会談した安倍晋三元首相は,ローレス氏から,鳩山首相に関し,アメリカにとって(1)同盟国のリーダーとしては扱えない,(2)戦略的な話はできない,(3)情報は共有できないの3点を指摘されたというのである。えーっ!そんなの,日本の外交,安全保障にとって一大事じゃないの!
「最後は自分が決める」と啖呵を切った鳩山首相は,現在のところこの問題を先送りしているが,本当に自分自身の明確なヴィジョンと成算があるのだろうか。岡田外相はお手上げの状態で,早期に首相の決断が必要だということを示唆している。この問題に関する民主党のマニフェストの内容は,本当に裏付けと成算のあるものだったのだろうか。極めて疑問である。