仕事は忙しいけれど,自宅にいる時くらいはできるだけ本を読みたい。早く読みたいなと思っているけど,書店でなかなか手に入らない本がある。若狭和朋という人が書いた「日本人が知ってはならない歴史」という本で,正編と続編があるそうだ(それに,戦後編も出て3部作になっている。)。早く読もうといくつかの書店へ行き,店内の検索サービスで調べても「品切れ中」,「在庫なし」という表示が出てしまうのだ。いっそのことアマゾンか何かで通販で買おうか。
この本が読みたいと思ったのは,ネットの書評で好評だったこともあるが,作者の若狭和朋という人の経歴中に,大学を出て通産省の官僚になったにもかかわらず,間もなくこれを辞めて「4か月ほど雲水になった」という趣旨のことが書いてあったからだ。雲水というのは,行雲流水の略で,空を行く雲と流れる水,物事に執着せず,淡々として自然の成り行きに任せて行動することのたとえである。要するに4か月ほどの間,全国をあてどもなく漂泊したということである。彼をしてそのようにさせたのは,新婚生活僅か約4か月で最愛の伴侶を事故で亡くしたという冷厳たる事実だったようである。
雲水と言えば,非定型俳句の尾崎放哉のことも想い出される。「咳をしても 一人」という句に出会った時の衝撃も忘れられない。彼も,東京帝国大学法科を出て普通の会社に入って仕事をしていながら,結局は退職し,いわば諸縁を放下する形で雲水になった。そういえば,このブログでもたびたび登場する漂泊の俳人種田山頭火も雲水の生活であろう。このような雲水の心境,生活に漠然とした憧れをもつこともある。少し前に「新 脱亜論」(文春新書)という本を読んだが,その著者である渡辺利夫(拓殖大学学長)も自己の専門分野とは全く畑違いの「種田山頭火の死生-ほろほろほろびゆく」(文春新書)という本も書いている。誰でも,このような雲水の心境,生活に漠然とした憧れをもつことがあるのだろうか。