今年のJリーグ。鹿島アントラーズがリーグ戦3連覇を達成した。僕が司法修習生だった平成5年にJリーグが発足したが,3連覇を果たしたチームはこれが初めてだ。大したものである。今年の開幕当初は名古屋グランパスに大いに期待したんだけど,結局はダメだった。14勝12敗8分けの成績だけど,やはり負け過ぎである。最後まで中盤を見事に構成,機能させたという試合はなく,どちらかというと,途中で中東に飛び立ったダヴィ,今活躍中のケネディ,玉田,マギヌンらの個人技頼みの傾向があった。最近僕のブログにグランパスの話題が出なくなったのは,試合を見ていてその内容に失望したからだった。天皇杯がまだあるけど,来年のリーグ戦はがんばれよ!我が読売巨人軍は期待を裏切らずにセ・リーグのペナントも制したし,日本一にもなってくれたんだから(笑)。
CDを探しに地下街を歩いていたら,モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハト・ムズィークが流れていた。耳に心地よい。日本でもモーツァルトのファンは相当多いんだろうな・・・。でも,正直言うと,僕は昔はよく聴いたが,最近ではほとんど聴かない。バッハの深い森に入ってしまうと,とてもその気になれないのである。バッハの曲を聴いていると(特に最近は宗教音楽),心から癒されるし,不覚にも涙が出てくることもある。要するに感動するのだ。でも,モーツァルトの曲の場合,悪いけど一曲を除いて,そういう状態になったことはない。昨年ノーベル物理学賞を受賞された益川敏英博士も,あるインタビューで,バッハはよく聴くけどモーツァルトは聴かないと述べておられた。その理由は,やりっぱなしで推敲なんかしていない感じがあるからということのようだ。モーツァルトはその人生の短さの割には多作で,多忙で,天才の名をほしいままにしていたからね。12月5日はモーツァルトの命日だったのに,こんなことをブログに書いてごめんね。でも,さきほど一曲を除いてと言ったけど,「レクイエム」は誠に素晴らしいと思う。
いわゆる事業仕分けという作業がテレビで公開されていた。ネットでも視聴が可能だったようだ。確かに,高級官僚の天下りや「渡り」の受け皿となっている訳の分からない独立行政法人の,大して意味もない事業に血税がつぎ込まれるようなことがあってはならない。私達の血税は有効かつ適切に生かされるべきだ。
・・・・・・だが,しかし・・・その事業仕分けの状況を見ていたら,絶えず説明や発言を遮られ,矢継ぎ早の紋切り型の質問責めに遭い,時間的に急かされ,初めに結論ありきの異様な雰囲気の中での無力感に苛まれている状況に陥っているのが,あたかも自分であるかのような感じがして,見るに堪えなかった。
新聞報道によれば,この事業仕分けそのものやこれが公開されたことについて,約7割くらいの国民が積極的に評価しているようである。無駄な税金の使われ方が抑制されること自体は僕も評価するが,あの公開された状況を見て,かなりの割合の国民が本当に快哉を叫んでいるのかは疑問である。何より,あの民間から選ばれた仕分け人の資質や能力に疑問がある。的外れな質問を平気でしていたし,何よりも人の説明を聞こうとする姿勢に欠け,初めに結論ありきのスタンスが露骨に現れている者もいた。また,取り仕切っていた議員自体も,防衛省関連の施設と東京ディズニーランドを同一の目線で比較するなどといった,これまた的外れな認識を示していた。一説によると,彼らは各事業ごとの専門知識がある訳ではないから,財務省が予めマニュアル様のものを作成して用意し,それには質問やチェック項目,想定される問答(各担当者がこう説明したらこう切り返せばよいなどといったもの)などが記載されていたらしい。僕は,民主党としては,財務省の主計官がやっていたことを公開の場で議員や民間人仕分け人にやらせ,国民にアピールしたかったのではないかと穿った見方もしてしまう。あれは一種の政治ショーだ。
いずれにしても,あの殺気だった仕分け現場における雰囲気は,文化大革命において毛沢東語録を振りかざし,反動分子を打ち据え,自己批判を求めている紅衛兵を連想してしまった。ジェット式姿勢をとらされなかっただけ,まだましか(笑)。
この事業仕分けは,前にも述べたように良い面もあるが,問題もかなりある。ノーベル化学賞を受賞された野依教授は「歴史の法廷に立つ覚悟があるのか。」と正論を述べられたし,旧7帝国大学や早稲田,慶應義塾の総長,学長が記者会見したように,科学技術や学問研究は,目先の効果だけを性急に追求するのではなく,中長期的な観点も必要である。資源のない日本は,人材や研究こそがその存立基盤ともいえる。民主党がやみくもに事業仕分けを断行するのは,結局は,マニフェストで約束した「子ども手当」などの財源確保の必要性からであろう。マニフェスト至上主義というやつである。経済学者竹中平蔵氏の論調はあまり好きではないが,彼は,いま民主党がやっていることは,小さな無駄を削って,より大きな無駄を作ろうとしているという趣旨のことを言っていた。たまにはいいことをいうなあと思った(笑)。返す返すも,あの殺伐とした,事業仕分けを支配した雰囲気は,日本人のメンタリティーとはちょっと違うような気がする。
例えば,ある物が修理に出され,それを職人その他の専門業者が修理を完成したとする。その修理代金が支払われない場合には,その修理代金がちゃんと支払われるまでの間,ちゃんと修理した職人さん達はその修理した物の引き渡しを拒むことができる。こういう権利を留置権という。これは民事でも商事でも認められている。
でもね,負傷者や病人が不幸にして亡くなった時,そのご遺体と治療費の関係は,さきほど挙げた例とは全く違うと思う。さきごろ,韓国の釜山の射撃場火災で悲惨な死亡事故が起こった。不幸に見舞われた被害者やご遺族の方々には,心からご冥福とお見舞いを申し上げる。ところが,新聞報道によると,治療等に当たった韓国釜山の病院は,何と,治療費約1000万円の支払を公的機関が保証することを遺体引き渡しの条件にしたという。結局,被害者の故郷,雲仙市は,何よりも遺体の早期引き渡しが最優先ということで,同市長の名で保証をしたとのこと。韓国釜山のその病院は,今回のツアー企画会社が入っていた損害保険で最終的には治療費の支払が確実であるのに,そのような条件を突きつけたのである。
・・・・・・・僕が思ったのは,確かに診療契約が結ばれた以上,治療費は支払われるべきである。例の射撃場を経営していた主体に対する損害賠償の問題とは別なのである。しかしながら,いかなる意味においても,治療費の支払保証を,遺体引き渡しの条件にするというのは明らかにおかしい。少なくとも,こういうことは日本では考えられない。こういうのは日本人のメンタリティーにはない。