皆様,新年あけましておめでとうございます。月並みではありますが,本年もどうぞよろしくお願いいたします。・・・おっと,このブログに対し,多くの皆様からの割れんばかりの暖かい拍手とご声援をいただき,私としても気も狂わんばかりに喜んでおります(笑)。さてと・・・・,今年はどんな年になりますか。大晦日には「あぁ,良い年だったなぁ。」と振り返ることのできる年でありますように。お互いにねっ!
年末年始は,大晦日と元旦に実家で過ごした以外は,自宅での読書三昧であった。前から読みたいと思っていた若狹和朋氏が書いた「日本人が知ってはならない歴史」,「続・日本人が知ってはならない歴史」,「日本人が知ってはならない歴史・戦後編」の3部作(朱鳥社)を全部読んでしまった。これは日本人なら一度は読んでおいた方が良いと思う。「知ってはならない」というのは逆説的な表現で,「知っておかなければならない」というほどの意味である。箇所によっては著者が本当に読者を意識しているのかと思うほど,独特の言い回しでどんどん論を進めていって多少読みにくさを感ずる部分もあるが,日本の近現代史の歴史認識に関し,「目からウロコ」が落ちる部分が多い。控えめな表現を使っても「必読」であろう。キーワードとして残っているのは,マルクス主義のフランクフルト学派,コミンテルン,エージェントとなったユダヤ人の世界認識,ロボトミー手術,東京裁判の欺瞞性などである。政治的なプロパガンダではなく,あくまでも史実に基づく正しい歴史認識はとても重要だと思う。この本の中で特に印象に残った言葉は,歴史を失うということは将来を失うという言葉である。批判を承知で敢えて言うが,少なくとももうそろそろ東京裁判史観のみの認識からは脱却しなければならないと思う。そうでなければ誇りをもってこの国を守っていくことができない。
この3部作はいずれも必読なのではあるが,特に3作目の「日本人が知ってはならない歴史・戦後編」の第1章「昭和陛下の墓参り」の中の「祭文」を読んでいて,恥ずかしながら思わず大粒の涙がこぼれてしまった。
さて,大粒の涙で眸を洗われた後に僕が目にしたものは,高校1年生の愛娘あてに来た年賀状の山の高さが,僕のそれと遜色ないという厳然たる事実であった。愛娘というのは,あかねちゃんといい,当事務所の名前の由来ともなっている。一句ひねれば,
「幾星霜 愛子(まなご)の賀状 そびえ立つ」
(大意)
(もう私もずいぶん年をとってしまったものだ。髪には霜のように白いものがまじり,それがはっきりわかるようになってしまった。愛する娘あてに来た年賀状が机に積まれているが,その山の高いこと。私あてに来た年賀状の山の高さと遜色ないまでになっている。ついこの間まで,ハイハイしながら私の所に寄って,片言の言葉で何かをせがんでいた赤ちゃんだったのに。もう一人前に人脈を築き上げ,級友などから私あてと同じくらいの数の年賀状をもらうようになっている。このようにして世代の交代をむかえるのだなあ。)
あー,恥ずかしい。「幾星霜」なんて季語にはなってないんじゃないか(笑)。