わが読売巨人軍は,開幕戦こそ勝利したが,その後2連敗。ようやく昨日勝って2勝2敗の五分になった。本当は2戦目のゴンザレス投手の試合で勝って勢いに乗りたかったところだけど,ちょっと力んでしまったみたいだ。それに,まだ打線に爆発力が感じられない。・・・でも,何しろシーズンは長丁場だからどうということはない。巨人には,セ・リーグ4連覇,日本一2連覇を目指して頑張ってもらいたい。このプロ野球は,やはり世界に誇る日本の文化の一つである。球場などでビールを飲みながら観戦していると,ほのぼのとした気分になるし,その治安の良さといい,日本人に生まれて本当に良かったなと実感するのである。
僕が生まれて初めてプロ野球を観戦したのは,確か10歳ころだったと思う。今は亡き父に連れて行ってもらった。当時は中日球場という名前で,その試合は中日ドラゴンズ対産経アトムズだった。産経アトムズというのは今のヤクルトスワローズの前身である。産経アトムズなんて今の若い人は当然知らない訳で,僕がどんだけ年寄りなのかがバレバレである(笑)。初めてプロ野球を観戦したこの試合のことで覚えていることは,3つほどある。1つは,父が連れて行ってくれるという約束は数日前からしていて,僕は気も狂わんばかりに楽しみにしていた。今にして思えば,父はすごく僕を可愛がってくれていた。ところが,父の仕事の関係で行くことができるかどうか危うくなっていた。・・・・父は仕事からなかなか帰ってこない。僕は諦めてベッドで泣きながら,涙を目元に溜ながら横になっていた。いつの間にか寝てしまっていたが,急に揺り動かされ,「しげる,行くぞ!」という父の声で目覚めた。それからは有頂天で球場に向かったのだ。
覚えていることの2つ目は,産経アトムズというチームは,その当時,ロバーツ,ジャクソンという2人の強力な黒人選手がいて,途方もなく威圧感があった。この2人はその試合でも活躍したことを覚えている。この日は確かダブルヘッダーだったと記憶しているが,勝敗は今となっては覚えていない。
覚えていることの3つ目は,球場で買い求めた選手名鑑のようなものの表紙が中日ドラゴンズの高木守道選手であり,当時はすごくカッコ良かったということだ。守備も堅く,軽快でやはり一流選手だった。
このように父と一緒に観戦したこの試合が僕のプロ野球体験の初めだった。話は変わるが,この当時は「産経」というのが一体何なのか子どもの僕には全く分からなかった。実は,そう,ご存知,産経新聞なのだ。それから数十年経った今,僕はこの産経新聞は,メディアとして非常に良い仕事をしていると思っている。はっきり申し上げて,社会の木鐸として評価できるメディアは,現在ではこの産経新聞のみであるとさえ思える。先日も産経新聞は,中国資本が日本の水源地の買収活動をしており,危機感をもった林野庁が事実調査に入ったという記事を掲載していた。また,選択的夫婦別姓法案に関する「未来予想図 選択的夫婦別姓(上),(中),(下)」の記事もグッジョブである。産経新聞がかつてのようにプロ野球の球団をもったら,巨人と同じくらい応援するのにな(笑)。
昨日の晩は飲み会だった。その会場に移動する途上で歩きながら見た月は,まことに見事な月であった。寒い夜空にまん丸で大きな月がポッカリと浮かんでいた。夜空にはえていた。月の光は明るく,何よりもその輪郭がくっきりとして全くぼやけていない。輪郭がブレていないのである。
ブレと言えば,鳩山という人の発言がまたまたブレている。米軍普天間飛行場移設問題で,この人は従前から今年の3月末までに政府案を一つにまとめると明言していた。つい先日,26日の記者会見でも「最終的には政府案を一つにまとめなくては交渉はうまくいかない。3月いっぱいをめどに政府案をまとめる努力をしている。」と述べていたにもかかわらず,その舌の根の乾かぬ昨晩,今度は,「いつまでに全部やらなきゃいけないという話ではない。今月中じゃなきゃならないとか,別に法的に決まっているわけではない。」とブレているのである。法律で決まっていないことなどは百も承知だ。それよりも一国の首相として,自分の発言に責任を持て。この人のこのような言い分は,何か不都合なことをしでかした少年が,「それは別に法律に反している訳じゃないもん。」と言い訳しているようなもので,実に卑怯である。
またまたこの人のせいで不愉快になってしまった。美しく見事な月の話だったのに。僕が心から敬愛するヨハン・セバスティアン・バッハは,幼いときに両親を相次いで亡くし,数年間は兄に育てられた。バッハは,音楽に対するやむにやまれぬ求道心,向上心,興味から,鍵のかかった戸棚からこっそりと兄の楽譜を拝借し,月の光で写譜していたという。同時代のヘンデルも,彼を法律家にしたいという父から音楽に関心をもったり,楽器を奏でることを禁止されていたが,音楽に対するやむにやまれぬ興味から,屋根裏に隠されていたチェンバロを父に内緒でこっそり弾いていたという。
今宵は飲み会もないことだし,月の光で写譜する努力を怠らなかったバッハに敬意を表して,教会カンタータなどを聴いてみることにするかな。
鳩山由紀夫という人の言葉や行動の軽さ,国益という視点の欠如については,もう今さら言うまでもないだろう。こういう人をわが日本国の首相にいただかざるを得ない国民の不幸を嘆くべきであるし,国民はその不明を恥じるべきである。
米軍海兵隊普天間基地移設問題については,新聞報道によると,政府としては,①名護市にまたがる米軍キャンプ・シュワブ陸上部案,②うるま市にある米軍ホワイトビーチ沖の埋め立て案,そしてこの2案に県外への訓練移転などを組み合わせる移設案を,既にアメリカ側と沖縄県に伝えている。しかしことここに至っても,この鳩山という人は,「極力,県外に移設させる道筋を考えてまいりたい」などとリップサービスをしている。アメリカなどに既に伝えている政府案の2案そのものが既に県外を放棄しているのにである。何を考えているのであろうか。
郵政改革法案の「最終案」の内容についても,テレビで亀井大臣と菅大臣とが水掛け論を展開し,見苦しいことこの上ない。「閣」分裂と言われているくらいである。鳩山由紀夫という人のリーダーシップ(指導力)の無さは度し難い水準に達している。リーダーシップをこれから発揮していくと言ったって,もともとそれがない人ならば発揮のしようがない訳であり,無い物ねだりである。そもそもこの人は,「国というものがなんだかよくわからないのですが」と述べている。それが正直なところなのだろうし,国益という観点が見事に欠如しているのである。
鳩山という人は,3月末までには普天間基地移設問題の政府案を確定したいと述べているし,これから最終期限の5月末に向けて本当はとても大切な時期なのである。旅行は確かに静養にはなるし,英気を養うことはできるが,この時期に夫婦で千葉県鴨川市のリゾートホテルへ一泊旅行に向かう神経が分からない。
「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(若泉敬著,文藝春秋社)という本を知り,仕事の合間にこれを読みたいと思っている。この本に出てくる佐藤榮作元首相や若泉敬氏の国益とは何かという自問自答,苦悩は途方もなく深い。佐藤元首相と今の鳩山という人とは,そもそも次元が違い過ぎる。
朝の通勤経路にある小学校の桜が咲き始めた。とても美しい。あと数日で満開になるのではないだろうか。満開になった時は見事な桜ですよ。この学校の桜は。そういえば,小・中・高の各学校はもう既に卒業式は終えているのであろう。卒業式といえば,僕なんかがすぐに想い出すのは,「仰げば尊し」という歌である。
ところが,この「仰げば尊し」という名曲は,現在では卒業式の際に歌われることが極めて少なくなっているらしい。とても残念である。いつの時の卒業式だったかは忘れたが,この「仰げば尊し」を歌いながら,僕も涙目になったし,同級生の中にも泣いていた子が少なからずいた。旋律が美しいだけでなく,何よりも歌詞が素晴らしい。
1番
仰げば 尊し 我が師の恩
教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ)
思えば いと疾(と)し この年月(としつき)
今こそ 別れめ いざさらば
2番
互(たがい)に睦し 日ごろの恩
別るる後(のち)にも やよ 忘るな
身を立て 名をあげ やよ 励めよ
今こそ 別れめ いざさらば
3番
朝夕 馴(なれ)にし 学びの窓
蛍の灯火 積む白雪
忘るる 間(ま)ぞなき ゆく年月
今こそ 別れめ いざさらば
素晴らしい歌詞ではないか。卒業式の場で,数年間の思い出深い学校生活,そして先生や同級生との名残を惜しむ最後の短い時間,感動しながらしみじみと歌うのである。でも,これを歌うことに反対する人々,特に日教組は,先生に対する恩を強制することになるとか,特定の曲を歌わせることは民主主義に反するとか,2番の歌詞にある「身を立て 名をあげ やよ 励めよ」が競争主義を助長するとか主張しているという。
学校で1年に1回だけ,さきほど述べたように卒業式の場で,数年間の想い出深い学校生活,そして先生や同級生との名残を惜しむ最後の短い時間,感動しながらしみじみと歌う際に,「先生に対する恩を強制された」などと感じる生徒がいるだろうか。この歌詞を1年に1回歌ったからといって,それが競争主義を助長することになるのだろうか。知的好奇心,やりがい,向上心などからくる真っ当な努力,立身出世のための蛍雪の努力と競争のどこが悪いのか。ノーベル物理学賞などを受賞した日本人学者たちの存在は,我々にとって誇りであることはあっても,決して競争主義の申し子,「勝ち組」などといってネガティブな感情をもつ国民がいるだろうか。日教組の諸君は,不正な資金提供の前提となるカンパ集め,政治活動やデモ,国歌斉唱に対する妨害,非協力的態度などに血道をあげるのではなく,本当の意味で生徒から「師の恩」を感じてもらえるような教育者になる努力をすべきである。政治活動より,教育者としての資質,能力の向上に努めるべきである。
まあ,卒業式で歌われる曲については,卒業する生徒らに選んでもらってもいいが,少なくとも何らかの政治的な圧力で,この「仰げば尊し」という名曲がそのリストから半永久的に外されるのは,僕としてはとても残念なのである。
通勤はできるだけ歩くようにしているから,雨の日の今朝も傘を差して事務所まで歩いてきた。ゴルフの時はともかくとして,雨は別に嫌いではない。すれ違う際に,「江戸しぐさ」でいう傘かしげをしない人が増えてしまったことは残念であるが。
雨の日は,家の窓から外を眺めていても,外を歩きながら傘に落ちてくる雨の音を聞いていても,ショパンの「雨だれ」という前奏曲(プレリュード)をいつも連想するし,聴きたくなる。24の前奏曲集の15番目の変二長調の曲であるが,冒頭からずっと奏でられる左手の八分音符のリズムが,いかにも雨だれを連想させる。中間部は底知れぬ不安な心理を象徴し,徐々に雨も小やみになり,最後の数小節はようやく雨も止んで,雲間あるいは木々の葉の間から薄日が差してきたような情景が浮かぶ。ショパンは「ピアノの詩人」と称されるが,この曲なんかを聴いていると正にそのような表現がピッタリである。
僕がこの曲を一番最初に聴いたのは小学校6年生のころであり,ショパンの伝記も読んだりした。それによると,この「雨だれ」という曲は,ショパンがジョルジュ・サンドと一緒にスペインのマジョルカ島で療養している時期,ヴァルデモッサのカルトゥハ修道院(僧院)で作曲されたようだ。冬の期間でもあり,寒くて雨がちの地中海の気候は,結核療養中のショパンの健康には良くなかったという。僕は小学生のころ,一度はショパンの追体験をしようと,このマジョルカ島へ行ってみたいなと思った。その後,その気になれば行けたとは思うが,結局はこの島を訪れることなくこの歳になってしまった。いつかはここを旅行してみたい。それに,ここ15年くらいの間はバッハ一辺倒の感じだったが,今年はショパン生誕200年の記念の年でもあるから,もう一度ショパンの作品を味わいなおしたいと思う。
土曜日は気の合った者同士で久し振りのゴルフをやった。2月11日の建国記念日にゴルフの予定は入っていたが,雨で中止になったため,昨年末以来のラウンドであった。前回のラウンドでは久し振りに良いスコアが出てご満悦だったが,その好調さが維持されているかどうか。・・・・・だめだった(笑)。例の,力みと早打ちの悪い癖がでてしまい悲惨なスコアだった。ただ,前半の9ホールで「もう今日はだめだ。」と諦めたほどだが,後半は結構良く,「悪い点を認識しそれを修正していくことができた」という点だけが収穫だった。明日につながる雰囲気はあった。自分自身に言うのも何だけど,頑張って欲しい(笑)。
同じ土曜日の夜,晩酌しながらテレビでニュースを見た後,何気なくチャンネルを回していると,お笑い芸人の番組がやっていた。ゴルフ疲れの中,いい気分でお酒を飲んでいたら,思わず僕の晩酌の手を止めてしまうほどの,インパクトのある芸名に出会った。・・・・・「もりやすバンバンビガロ」(笑)。な,何だろう,この芸名は。この「もりやすバンバンビガロ」という芸人は,基本的にはジャグラー+マジシャンなんだろうと思う。リンゴ3つをジャグリングしながら,その忙しい最中に見事にそれらのリンゴをかじるという,奇妙ながらも感動的な芸を披露していた。
それよりも,気になるのは「もりやすバンバンビガロ」という芸名の由来,意味である。別にそんなこと知らなくても生きてはいけるし,今後の弁護士稼業に支障などはないが,何かしらすごく気になってしまった。知的好奇心というやつか。風変わりな芸名ではあるが,別にこれといった意味はないのかもしれないし,ひょっとしたら,途方もなく深遠で,哲学的,形而上学的意味が与えられているのかもしれない。僕はほろ酔いながらも,必死でこの芸名の由来,意味をインターネットで調べた。・・・うーん,どうしても分からない。「もりやす」というのは,何となく名字だろうなという察しはつくが,「バンバンビガロ」がなぁ(笑)。調査の結果,この名付け親が,同じ吉本興業の「モロトゆーき」という人だということは分かったが,この芸名の由来,意味はなぁ。ただ,元Jリーガーの「もりやすはじめ」選手とプロレスラーの「クラッシャーバンバンビガロ」選手を足したものだという情報もある。もしこれが本当だとすると,「もりやすはじめ」さんというのは,元日本代表でサンフレッチェ広島などで大活躍した森保一選手のことか。あとは,「クラッシャーバンバンビガロ」を検索してみると,かつて新日本プロレスで活躍したクラッシャー・バンバン・ビガロ(本名はスコット・ビガロ)選手が出て来た。ただこの方は,3年前にアメリカ・フロリダ州の自宅で亡くなっている。いずれにしても,芸名に無限のインパクトを与えられた「もりやすバンバンビガロ」さんは,これからも頑張って欲しい。
先日車で移動している最中に,ブラームスの弦楽六重奏曲第1番の第2楽章の甘美なメロディーに接した。とても久し振りだった。それ以来,ここ数日,自分でそのメロディーを意識的に「再生」しようとしなくても,自然に頭の中でぐるぐる回ってしまっている。
この弦楽六重奏曲第1番の第2楽章の甘美なメロディーは,ルイ・マル監督の「恋人たち」という映画の中でもとても効果的に使われている。独身時代に映画館でこの映画を観たときは,いいメロディーだなと思った。その映画に出ていたジャンヌ・モローという女優も魅力的であった。若干唇が厚めだが,名女優といって良く,その当時はモローの出ている映画を立て続けに観たものだ。やはりルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」,フランソワ・トリュフォー監督の「突然炎のごとく」など。これらは,いわゆるヌーヴェル・バーグと呼ばれる作風のもので,ルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」では,モーリス・ロネという俳優がこれまたとても印象に残る演技をしていた。この俳優が主演している映画でその他にお勧めなのが,やはりルイ・マル監督の「鬼火」である(そういえば,この映画ではエリック・サティの音楽がこれまた効果的に使われていた。人によっては,エリック・サティの旋律も頭の中でぐるぐる回るであろう。グノシェンヌやジムノペディなど)。
むちゃくちゃに話が脱線したが,音楽の話に戻すと,ブラームスは天才的なメロディーメーカーだと思う。印象に残るものが多い。交響曲第3番の第3楽章の甘美で感傷的なメロディーも頭の中でぐるぐる回りそうだが,これも「さよならをもう一度」という映画に使われているそうだ。以前このブログでも書いたが,「子守歌」も好きだし,変イ長調のワルツ(作品39の15番目のやつ)も素晴らしいメロディーである。
大久保「お前,人事異動の内示あったか?」
西 郷「ない・・・・・・。お前は?」
大久保「・・・・・・・ない。」
西 郷「はっ,はっ,は。これからも万年係長同士,よろしくな。」
大久保「まあな。お前だけ課長補佐だなんていうのは,ジェラシーだからな。」
西 郷「それはそうと,子ども手当法案は衆議院本会議で可決されて,今は参議院で審議されているようだな。お前のとこは,下の子はいくつになった?」
大久保「俺のとこは,もう16歳だ。だから,もう子ども手当てはもらえない。」
西 郷「そうか。俺んとこの下の娘はまだ13歳だから,この娘が15歳の4月1日の前日まではもらえる。でも,この子ども手当て法案というのは,何か変だぞ。」
大久保「恒久財源が確保できていないということか。」
西 郷「ああ。仮に参議院でもこの法案が通ったとして,本年度は月額1万3000円だが,次年度以降は月額2万6000円になる。そうすると,約5兆4000億円という巨額の財源が必要になるってぇのに,確たる具体的な成長戦略もないまま,恒久財源が確保できていない。」
大久保「俺はね,もらえないやっかみから言うんじゃないけど,これは典型的なバラマキだと思うよ。所得制限もない。年収2000万円の人ももらえる。国債なんかを発行してまでこんなことをしていると,結局国の借金をこれらの子どもが背負うことになる。将来にツケが回されるということだ。」
西 郷「そうだな。たまにはいいこと言うね,お前も。この子ども手当てというのは,一体何だろう。全ての子どもは国が養うべきだというような,国家社会主義的な発想だろうか。それとも少子化対策か。それとも何らかの経済効果を狙っているのだろうか。消費性向をどのくらいと見ているのだろうか。乗数効果は。」
大久保「ちぇっ。ちょっとばかしマクロ経済学の一部をかじったからって,偉そうに。」
西 郷「おい,それよりお前,そのだし巻き卵は俺が注文したやつだし,俺が食うべきものだろ,本来は。原則的は。究極的には。道義的には。・・・人情的には。」
大久保「・・・まあ,ほんとに了見狭いねお前。そんなミクロなこと。俺とお前の友好関係について,将来的な成長戦略を示していこうよ。」
西 郷「はぁ?何それ。」
大久保「お前さっき少子化対策といったけど,本当の意味で少子化対策を行うんだったら,フランスが一応の成功をおさめたように,母親が安心して働ける環境整備が重要だと思う。日本には保育施設の待機児童がすごく多い。スタッフも不足している。パチンコ代や飲み食い,貯蓄に回されるかもしれないお金のバラマキよりも,施設,人的整備などを充実させた方がよほどいいと思う。」
西 郷「それとな,腰を抜かすほどたまげたことがある。この子ども手当て法案,何と,国籍を問わず,保護者が日本に居住してさえいれば,その子どもが外国(母国)に住んでいても支給されるそうだ。担当大臣の国会答弁もそう言っていたし,厚生労働省児童手当管理室もそのような解釈,見解を示している。すごいことだよ,これはー。」
大久保「フィリピン人の親が日本で働いていて,母国に15歳未満の子どもが5人いたら,この5人に月額6万5000円が支給されるのか・・・。来年度は1人当たり月額2万6000円だから,13万円ということになる。中国人の親が日本に住んでいて,母国に15歳未満の実子が3人いて,養子縁組した養子が2人いても同じことになる。パスポートの偽造なんかが横行しているというのに,この養子縁組も偽装されなどしたら・・・。」
西 郷「いやー,すごいことになっているね,民主党政権は。さすがに,この母国に残した外国人の子どもに対する支給については,今後本当にそれでいいか検討されるようだが,人から突っ込まれて初めてその不都合に気づくような政権って,一体何なんだ。鳩山首相って,すごくとぼけた顔をしてるけど,顔だけじゃなくて政策や行動や言葉も発想もとぼけてるね。」
大久保「選択的夫婦別姓法案といい,永住外国人の地方参政権付与法案といい,民主党政権が続く限り,この国の形が徐々になくなっていくような気がする。」
西 郷「うん。人に人柄という言葉があるように,国にも国柄という言葉がある。日本が大切にすべき国柄がだんだん壊れかけているよな。」
大久保「あぁ,西郷,どうするよ。」
月曜日の晩に仕事を終え,次の会合に向かう道すがら,傘を差しながらずっと立っているタクシー運転手の存在に気づいた。土砂降りとまではいかないけど,相当に強い雨の中,車外で立ったままじっとタクシーの用命を待っているのである。このタクシー会社はもちろん流しもしているけど,コインパークの一番端の駐車場の一区画を借り,このように流しではなくてタクシーの用命を待つ営業スタイルも展開しているようである。
傘を差していたとしても強い雨に打たれながらじっと立って待っているタクシー運転手の姿を見て,何か感動した。彼に妻子があるのかどうかは知らないが,一生懸命に働いて家族を守っているように思われたのである。どういう訳かその時に思い浮かんだのは,新選組隊士(諸士取扱役兼監察方,撃剣師範)だった吉村貫一郎のことと,彼を主人公として描いた浅田次郎の「壬生義士伝」(文春文庫)という小説のことである。
この本の裏表紙には「浅田文学の金字塔」と銘打ってあるが,かつてこの本を読んだ後は本当に感動した。たまたまこの本を読んで間もない時期に,以前僕と一緒に仕事をしていた裁判所職員と,ある送別会で話す機会があり,たまたまこの本のことが話題になった。彼も数度その本を読み,その都度涙を流したそうだ。僕は一回しか読んでいないが,読んでいる最中に涙が出て来たことがあった。
吉村貫一郎は南部藩の下級武士であったが,どうにもこうにも生活に困窮し,妻と可愛い子らを養うために,万やむを得ず脱藩して新選組に入り,お給金などを京都から故郷(盛岡)の妻子の元へ仕送りしていた。新選組にいれば,いつ命を落とすか分からないが,いわば出稼ぎをして必死で家族を守っていたのである。学問はあるし,剣術も沖田総司,永倉新八,斉藤一らと互角に渡り合えるほどの腕前(北辰一刀流)であった。本当に強い男であったのだ。妻子があるなら,妻子を守ってなんぼである。これも武士道。
前週の土曜,日曜は同業者らと奈良旅行に行ったが,今度の土曜,日曜は中学3年生時代の同窓生6人で高山旅行に行ってきた。早春の飛騨高山である。
少人数ではあったが,どれもこれも懐かしい顔ぶれである。みんな昔の面影があり,その容姿が激変した人はいなかった。ただ相当に髪が白くなったり,薄くなったりした子もいた。俺だって人のことは言えないか(笑)。前にもこのブログには書いたが,中学校時代の同級生と会うと,何か戦友のように思えてきて,とてつもなく懐かしく,そしていじらしいのである。というのも,これだけ長く生きているともちろん楽しいこともあっただろうが,辛いことも少なくなく,それを何とか乗り越えくぐり抜けてきたであろうからである。行きの特急列車の中では早くもお酒と楽しい語らいである。
早春の高山は,山々にはまだ残雪があり,町中にも所々に集められた雪の山があった。空気は清々しい。車中から見た飛騨川の流れも,高山市内を流れる宮川の流れも綺麗である。陣屋,桜山八幡宮,宮川の朝市,高山祭の屋台が飾られている屋台会館などに足を運んだ。数々の屋台を見ていると,伝統の重みと祭りに対する昔の人の心意気を感じる。素晴らしい文化である。
僕は高山を訪れたのはこれで4回目だと思うが,春,秋の高山祭を観たことはない。日本三大祭の一つに数えられるだけあって,高山祭行列の写真などを見ると絢爛豪華であり,壮観である。やはり一度はこの高山祭の頃に訪れるべきであろう。それにしても,屋台会館で案内をしてくれた若い女性は,凜として美しかった。語り口も流ちょうで聞きやすく,体型がスラッとしていた。最近僕は飲む機会が多く,相当に不摂生をして太り始めているし,旅先でもみんなと一緒になって飲んでしまっている。凜とした雰囲気を漂わせているこの案内の女性を見ていたら,最近のような不摂生を続けていてはいけないと叱られたような気になった。飲酒を控え,スロトレを続けなければ・・・。
同級生との懐かしい旅行の時間も楽しく過ぎていき,どこからともなく次回の同級生旅行の行き先は京都ということになった。実現するかどうかは分からないが,楽しみである。それにしても,旅先のホテルの部屋で観た今期Jリーグ第2節の名古屋グランパス対川崎フロンターレの試合はガッカリであった。ホームであるにもかかわらず,グランパスの前半の戦い振りは相変わらず中盤を構成できておらず,「ああ,いいな。」と思わせるような攻撃の形が作られていなかった。時間が残り少なくなって頑張りはじめても仕方がない。終了間際に決勝点を決められたが,DFのチェックが甘く,相手選手のシュート直前には背番号6のDFの選手は,体が逃げていた。体を張ってシュートコースを遮らんかい!