きのう,4月29日は昭和の日であった。午前中は雨が残ったが,午後からはとても良い天気で,僕はゴルフを楽しんだ。スコアは相変わらずダメだったが,文句なしのニアピン賞を取るなど,随所に良いショットもあった。それに自分の欠点として自覚していた点は,やはりキャディーさんの指摘でも裏付けられたので,負け惜しみではないが収穫はあったのである(笑)。・・・だったらその欠点をちゃんと直せよってか(笑)。夜は,うちのカミさんの誕生日祝いを自宅で行った。僕もそうだが,誕生日を祝ってくれること自体は嬉しいようだが,歳を一つとることは嬉しくないらしい。
昭和の日というのは,もちろん,昭和天皇の誕生日であり,昭和の日が国民の祝日として定められた趣旨は,「激動の日々を経て,復興を遂げた昭和の時代を顧み,国の将来に思いをいたす」ということである。僕はもちろん昭和生まれだから,昭和天皇のことは今上天皇と同じく親しみを感じる。
昭和天皇が崩御された時のことは,今でも覚えている。当時僕は,名古屋地方裁判所事務局人事課の係長をしていた。人事課の係長というのは結構ストレスがたまり,係長仲間でよく居酒屋で酒を飲んでいたものだ。昭和64年1月6日の金曜日の晩も,行きつけの居酒屋で係長仲間,係員数名といつものようにお酒と料理,カラオケを楽しんでいた。こんなことを続けていたら,司法試験なんて受かる訳ないわねぇ(笑)。僕たちが居酒屋を後にして別れる時は,いつも,「じゃ,またあした。」ではなくて,「じゃ,また今日。」であった。その晩も遅くなり,飲んだ仲間に別れを告げた時には1月7日になっていた。翌日が土曜日で休みだったのでいつもよりも派手に飲み,歌ってしまったのだ。ところが,昭和天皇は,1月7日に崩御された。土曜日だったけど,緊急に職場に招集されたことを覚えている。僕は二日酔いだった。
先日,「昭和天皇論」(小林よしのり著,幻冬舎刊)を読んだ。昭和天皇の終戦時のご聖断の経緯,戦後処理の中で果たされた重大なお役目,国民を勇気づけようとしてなされた「期間にして前後8年半,総日数165日,全行程3万3千キロに及んだ壮絶な」巡幸,「御文庫」に住まわれ質素・倹約に徹された日々,南方熊楠との間の微笑ましい親交などが記述されている。一読に値する本である。昭和天皇は多くの歌を詠まれたが,僕は次に紹介する御製が心に響く。これは終戦後間もなくして詠まれたもので,その大意は,「深い雪の中でも,松が緑を失わないように,日本人もこの敗戦の試練に耐え,日本人の節操を曲げないで,雄々しく生き抜いてほしいという祈りの歌である。」(前掲天皇論172頁)。
「ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ 松ぞをゝしき 人もかくあれ」
先週のある一日は大変疲れた。その日は仕事上,自分で運転して車で移動することが多く,愛西市で法律相談を終え,安城市で建物明渡しの立会,名古屋市中川区で被疑者接見と続いたのである。
こういう日は,車内で音楽を聴くためにお気に入りのCDを用意して車に乗り込む。この日は少し気合いを入れるため,リヒャルト・ワーグナーの管弦楽曲集のCDをかけた。ワーグナーの管弦楽曲集の定番は,「楽劇ニュルンベルクのマイスタージンガー第1幕への前奏曲」,「歌劇ローエングリン第1幕への前奏曲」,「歌劇タンホイザー序曲」,「楽劇トリスタンとイゾルデ第1幕への前奏曲」,「ジークフリート牧歌」などである。特に,「楽劇ニュルンベルクのマイスタージンガー第1幕への前奏曲」と「歌劇タンホイザー序曲」を聴くと気合いが入る。「楽劇トリスタンとイゾルデ」では「愛の死」が有名であるが,僕は以前から「第1幕への前奏曲」の方が好きだった。その他の曲も,緑豊かで幻想的な中世の世界を彷彿とさせて癒される。ワーグナーの世界は,その重厚な響きと不協和音を含む独特の和声進行が魅力で,しかも士気を鼓舞してくれる面がある。この日に聴いたのは,カール・ベーム指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏のものだった。
本当にワーグナーの素晴らしさを味わうためには,楽劇や歌劇を全曲通して鑑賞すべきなのであろうが,実は全曲を通して鑑賞したことがあるのは,「楽劇ニュルンベルクのマイスタージンガー」だけであり,その他は前奏曲や序曲だけのつまみ食いしかしていない。なかなか時間がないこともあるのだが,取りあえずは,ストーリーが分からなければ話にならないので,お話の中身から勉強してみたい。特に,ニーベルングの指環(ラインの黄金,ワルキューレ,ジークフリート,神々の黄昏)には興味があるので,そのあらすじから勉強してみたいと思っている。
かつて唯一全曲を通して鑑賞したことがある「楽劇ニュルンベルクのマイスタージンガー」の第3幕の終わり近くで,ハンス・ザックスがドイツ芸術,文化,伝統の素晴らしさ,これを今後も守っていくことの必要性を力説するシーンが特に印象に残っている。このあたりのセリフ,表現は後のナチス・ドイツに利用されたと指摘されることもあるが,ワーグナーがこの作品を完成した時点では当然ナチスなる存在はなかった訳で,あくまでもこれはワーグナー自身の言葉による自国の芸術,文化,伝統への礼賛であったのだ。僕が先にあげたシーンが特に印象に残っているのは,わが日本にも同じことが言えると感じたからであろう。
大久保「・・・それにしてもお前,よく飲むねぇ。」
西 郷「いいじゃん。意識は清明だし,弁舌さわやかだし。・・・・・それに,週2日はちゃんと休肝日は確保してるし。・・・いいじゃん。」
大久保「ほんじゃぁ,バターで炒めた子持ちししゃもを食べながら,今度は政治の話でもしようか。」
西 郷「うん。最近じゃ,新党ばやりだな。『新党改革』というのができて,その代表が舛添要一なんだってね。アンケートでは次の首相にしたい人気ナンバーワンの。どうだろね,この政党は。」
大久保「うーん,この流れができるまでの経過はよく分からんが,何か確たる国家ビジョン,確たる政策,それに構成員の確たる共通認識があるとも思えんな。第一,舛添という人がな・・・。」
西 郷「何なんだ。」
大久保「実はな,・・・言いにくいんだけど,俺,舛添さんの顔見てると,どうしてもゲゲゲの鬼太郎に出てくるねずみ男を連想しちゃうんだ。・・・言いにくいけど。」
西 郷「・・・はっ,はっ,は。お前,いつからそうなっちゃったんだ。」
大久保「この人は国際政治学者だったそうだが,議員に転身してテレビで顔を見るようになってからは,なぜかは知らないけど,ねずみ男を連想するようになってしまったんだ。ずっとね。容貌のことを言っては本来いけなんだろうけど。」
西 郷「ふーん,自然に連想しちゃうんだからしょうがないね。お前を責める訳にはいかないね(笑)。それにしても,今回は新党といっても,いったんは『改革クラブ』に彼が入って,その後に党名を変える手法をとるそうだ。そういう手法をとったのは,結局は1月1日を基準日として『改革クラブ』は年額約1億2000万円を政党交付金としてもらえるから,このお金が目当てなんじゃないかと俺は思うね。それにその他の構成員はこの夏の参議院選挙で改選期を迎える議員だし,いわゆる舛添人気にあやかりたいという利害が一致したんだと思う。」
大久保「お前,飲んだくれの割りには鋭いね。ごくたまにはいいこと言うじゃん。そういう不純ともいえる動機に嫌気が差したのかどうかしらないが,中村喜四郎衆議院議員や大江康弘参議院議員は『改革クラブ』に離党届を出したそうだ。」
西 郷「それにな,舛添という人が本当に国民の人気が高いのかどうか,どんなアンケートを実施したのか,すごく疑問なんだよ。この人は,政党人でありながら党のために汗をかかないし,口先だけという傾向があるし,何しろマスコミ目線で目立ちたがり屋だから,自民党内でもあまり人望はなかったらしい。」
大久保「俺が何より怒ったのは,この舛添という人は,『新党改革』の立ち上げの記者会見の際に,テーブルの上にあった小さな国旗(日の丸)を「じゃまだよね。」と言って撤去したんだ。小さいとはいえ,わが日本国の国旗だよ。この行為は俺にとっては許せないし,彼が永住外国人の地方参政権賛成論者であるところも気にくわない。」
西 郷「舛添さんがテレビに出て新党のことについて質問された時,『発射台があればいい。発射台になってくださるというありがたい人が党派を超えていた。』と発言したことが新聞に書いてあった。他の5人を発射台呼ばわりしているんだ。将来は再編によって自分の党を作りたいんだろうけど,スタンドプレーヤーなんだよ,きっと。」
大久保「この夏の参議院選挙で使用する略称を,いったんは『ますぞえ新党』に決めたそうだ。結局は公職選挙法上の問題でダメになったみたいだけど,こういうことからしても俗っぽい人物だと思う。訳の分からないアンケートでなまじ首相にしたい候補ナンバーワンになってしまったものだから,すっかり本人がその気になってしまっている。自分の値踏みが出来ないというのは,だめだね。」
西 郷「値踏みといえばね,この店の子持ちししゃものバター炒めは一皿150円だよ。本当に美味いのに安すぎる。いい意味で値踏みができてないね。」
土曜日の晩は,巨人対広島戦のナイターをテレビで楽しんだ。少し飲み過ぎたけど(笑)。
この試合は,先頃37歳の若さで亡くなった木村拓哉元コーチの追悼試合だった。ジャイアンツファンの僕も,この試合だけはどちらが勝ってもいいと思っていた。というのも,木村元コーチは広島東洋カープで11年間も活躍し,何といってもこのチームが古巣だからである。2対2の同点から広島が1点勝ち越して迎えた8回裏,1アウト2,3塁の場面で,新人の長野選手,その後にはベテランの谷選手が代打で控えていた。僕は長野選手は良い選手だと思っているが,新人でもあるし,広島の高橋投手はこの長野選手と勝負するとばかり考えていた。ところが,高橋投手は1塁が空いていたためこの長野を敬遠し,その後に控えている谷選手との勝負を選んだ(この判断はベンチワークだと思うけど)。谷選手は「新人を歩かせて俺と勝負か」と内心メラメラと燃えていたと思う。バッターボックスに入る谷選手の表情も厳しかった。そして,何と,・・・・・谷選手は見事に代打逆転満塁ホームランを打ったのである!
最終的にはこの試合は7対4で巨人が勝利したが,とても見応えのある良い追悼試合であった。試合後のヒーローインタビューで,谷選手は,木村拓哉さんのことで胸に迫り,感極まって泣いていた。こういう試合で劇的なホームランを打てたことがよほど嬉しかったのだろうし,木村拓哉さんの早すぎる死がよほど悲しかったのであろう。感動的なシーンであった。試合後は,始球式でも投球した木村さんの息子さんを,涙をこらえながら抱きしめてウイニングボールを手渡したという。
あと,原監督もいいねぇ。選手が活躍した時はチームメイト以上の喜びを全身で表している。これは自然な振る舞いだろうが,選手の士気を鼓舞する良い結果となっている。セ・リーグのペナント4連覇は間違いないだろう(笑)。
これはサッカーに限られた話ではないのだろうが,監督には修正能力というものが要求されていると思う。これがないと監督としては実績が上げられないであろう。今の名古屋グランパスが引きずっている問題は,中盤が機能しているとは言えない状況と,それだからこそ流れの中で得点できていないということ,そして勝負強さに欠けるということである。ストイコビッチ監督は,タレントを揃えてあとは彼らのスキルに任せているかのように僕の眼には映ってしまう。
ある試合で露呈した問題点,そしてここ数試合の内容を分析して指摘できる傾向,問題点などは,やはりこれを有効に修正していかなければならない。それができているとは到底思えないのが,土曜日(4月17日)の新潟アルビレックス戦と昨日(4月21日)のサンフレッチェ広島戦である。前者は1-1の引き分け,後者は0-1の敗戦である。本当ならば,「(前線への機敏な動き出しとパスのつながりなどを見て)あぁ,戦術の共通理解,約束事が練習どおり実行されているな。」と感心したいのである。でも,それがない。それに相手選手へのチェックが甘く,ジリジリと最終ラインを下げているし,こぼれ球へのどん欲さにも欠けている(こぼれ球は相手選手が拾うシーンが多い)。中盤では,前を向いてプレーせず,横にパスしたり,最終ラインに戻したりというのが結構多い。本当は,相手チームのDFをきりきり舞いさせるような速攻を期待したいのである。勝負強さに欠けるといったが,ここんとこ2試合はいずれも終了間際に得点を決められている。
僕は名古屋グランパスを一貫して応援してきたが,最近の数試合を観ていて,仮に試合に勝ったとしても勝利に値すると胸を張って言える試合がない。監督は,やはり何が問題なのかを認識して,修正していかないといけない。かつてのアーセン・ベンゲル監督は,終わった試合のビデオを何度も何度も見て問題点を認識し,これを選手に告知,理解させて練習で徹底して修正していった。この監督は,次に対戦する相手チームの試合のビデオを見て研究し,事前に有効な対策まで練っていたという。監督に要求されるのはこういう能力と意欲ではないだろうか。ベンゲル氏が名古屋の監督に就任する前にジャック・ティベールという評論家がベンゲル氏の紹介記事を書いていたのを読んだが,その賢さを強調していた。名古屋の監督就任直後には,連敗などして苦労もしていたが,その後は見事なチーム作りに成功した。持ち前の修正能力を発揮したのである。
J1では18チームが相争うのであり,名古屋グランパスは現在勝ち点13を上げて3位の位置に付けている(4勝1分け2敗)。順位的には優勝争いができるし,戦力も充実しており,期待している。だからこそ,ストイコビッチ監督には是非とも修正能力を発揮してもらいたいのである。
先週の土曜日の夜は家族とカラオケに行った。僕の場合はいつもそうなのだが,最初の曲を入れるまでに相当の時間がかかる。微妙に緊張しているのである。今日は上手く歌えるだろうかと・・・。一曲目を入れるのを躊躇しているうち,前の人が選曲した履歴があったのでこれを見てみると,何と,「君が代」と「仰げば尊し」があるではないか。こういう曲をカラオケで歌う人がいるんだ。勇気百倍,早速「仰げば尊し」を入れて歌ってみた。この曲はこのブログでも書いたとおり,名曲中の名曲だと思っている。
でもこの「仰げば尊し」の歌詞に感動しながら歌っていたら,不覚にも涙目になってしまった。画面はアニメーションだったが,老教師と生徒の卒業までの様々なシーンが連続し,最後は老教師を囲んで生徒全員が号泣するというシーンを目にしたからである。なお,涙目になりながらも歌自体は比較的上手く歌えた。一曲目を歌ってしまうと,度胸がついてあとは止まらない。ちょうどサッカーでいうと,ピッチに出たてのころは緊張しているが,最初のボールが来てファーストタッチを終えたら緊張が解けるというようなものだ。
「仰げば尊し」の中に「我が師の恩」という歌詞があるが,昨晩何気なくテレビのチャンネルを回していたら,ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英博士が出演していた。砂糖問屋を営んでいた父親は,益川さんの大学進学に猛烈に反対し,母親の取りなしで何とか地元の大学を一回だけ受験することを許されたそうだ。そんな中で益川さんは名古屋大学理学部に進んだ。益川さんの恩師は「坂田モデル」で有名な坂田昌一博士(湯川秀樹博士,朝永振一郎博士と並び称される物理学者)であり,益川さんが生前の坂田博士から受けた恩を熱く語るとき,また生前に録音された坂田博士の肉声を聞くときなどは,本当に深い恩に感謝されている雰囲気が伝わってきた。
民主党が政治ショー化している事業仕分け。無駄遣いカットという面で一部正しい側面もあるが,問題は仕分けする人たちの資質・能力と,仕分け内容の適切さだ。益川博士は,「現状の研究成果は数十年ほど経過して初めて評価される。」,「限られた資源のなかで,役に立つ科学・分かりやすい科学・大学の外で市場原理のもとで成り立つ科学などが研究費の餌場として雪崩れ込んでいる。」と指摘され,日本の基礎科学への研究費配分が不十分であり,大学の基礎科学が危ないと警鐘を鳴らされている。再三述べるように,資源の少ない日本は人こそ資源であり,人材育成こそが重要である。そのためには,「子ども手当て」,「高校授業料無償化」などのバラマキではなく,もっと有効でメリハリの利いた予算配分にすべきであろう。
僕ももう弁護士16年目の春を迎えた。経験を積むうちに,事件処理の手法を身につけたり,事件の大体の見通しは立つようになった。でも,最近では何だか実体法(例えば民法,刑法,商法など)や手続法(例えば民事訴訟法,刑事訴訟法など)の知識をもう一度確かなものにしなければと反省している。司法試験受験生の時に勉強したように,もう一度これらの法律に関する基本書を読んで勉強したいという気持が強くなりつつあるのである。
ただそうは言っても,実際の休日の過ごし方というと,事務所に出て来て仕事をせざるを得なかったり,ゴルフで気晴らししたり,好きな本を読んだりで,なかなか法律の基本書を読んでの勉強には至らないのが実情である。この週末の読書といえば,「毛沢東の文革大虐殺」(宗永毅編,松田州二訳,原書房)という本を読破した。約380ページに及ぶ本であるが,あっという間に読み終えてしまった。この本の訳者の日本語はとても正確で,読み易かった。外国人の著作については,何よりも翻訳が重要であるということを改めて痛感した。
この本は,中国の各地方政府の調査報告書や資料だけでなく,各筆者自身が実際に文化大革命を経験した生存者へのインタビューなどに基づいて著作されたものであり,正に史実そのものであろう。文化大革命というのは,プロレタリア文化大革命ともよばれ,ウィキペディアによると,名目はともかくとして「中国共産党指導部内における修正主義の伸長に危機感を抱いた毛沢東らによる,暴力的行為を伴った大規模な権力闘争と評価されている。政治・経済・思想・文化の全般にわたる改革運動のはずであったが,実際には全国の人民を巻き込んだ粛清運動として展開され,数千万人の犠牲者を出したほか,国内の主要な文化の破壊と経済活動の長期停滞をもたらす惨事となった。」とされているものである。修正主義というのは,その当時の劉少奇らの考え方のことを述べているのであろうが,いわゆる大躍進政策で農民らが約4000万人も餓死などにより死亡した無謀な政策を改めるように建言した劉少奇らの方が正当なのであろう。毛沢東率いる中国共産党は,延安整風運動,反右派闘争,この文化大革命と粛清の嵐の連続である。
この「毛沢東の文革大虐殺」(宗永毅編,松田州二訳,原書房)という本では,文化大革命の最前線の具体的な状況がよく理解できるよう記述されている。一方,同時期における中国共産党中央の権力闘争の状況は,「マオ-誰も知らなかった毛沢東(上・下)」(ユン・チアン,ジョン・ハリディ著,土屋京子訳,講談社),「周恩来秘録 上・下」(高文謙著,上村幸治訳,文藝春秋)などを読むと詳しく理解できる。大躍進政策による未曾有の数の犠牲者だけでなく,文化大革命によるこの途方もない数の犠牲者の存在を知るにつけ,現在も天安門に毛沢東の肖像画が飾られ,人民元の肖像画もこの元指導者であることに相当の違和感,いや恐怖感さえ覚えてしまう。
わが国の一万円札の肖像画は,明治時代のオピニオンリーダーであり,「脱亜論」を唱えていた福沢諭吉先生である。
とうとう「つける薬がない」シリーズも13までいってしまった。新聞報道によれば,アメリカのワシントン・ポスト紙の人気コラムの中で,先の核安全サミットに出席した鳩山由紀夫首相について「このショーの最大の敗北者は断然、哀れでますますいかれた日本の鳩山由紀夫首相だった」と表現されていることが明らかになった。確かにこのような表現は,一般論としては一国の首相に対して非礼であろう。でも,非礼ではあるが,その内容は正しいのである。この首相がその任に就いてからのこれまでの言動を総合的に評価すれば,やはり国の内外からこのように蔑まれても仕方がない。そのように評されても無理ないのである。
普天間飛行場移設問題に関する現行案というのは,日米の政治家,実務者が10数年にわたって協議し,これが政治的にも軍事的にも持続可能で最善だとして成り立ち,一旦は名護市も苦渋の選択として受け入れたものである。鳩山政権はそれが何故だめなのかについて説得的に説明をしてきただろうか。思い起こせば鳩山首相は,昨年秋のオバマ大統領との会談の際に「プリーズ,トラスト・ミー」と言って一応安心させた直後に,今度は現行案を前提とするなら協議する意味がないなどと180度違うことを言ってアメリカ側の不信を買った。折しも,訳の分からない「東アジア共同体」構想を打ち上げた頃だったから,その不信感は増幅した。その後この人は,現状では軍事的にも政治的にも極めて重要な日米同盟よりも,社民党のような政党との連立維持を重視して「国外,最低でも県外」などと成算もなく軽々しく述べた。結局その年には,移転先を「決めない」ことを決めた(笑)。
挙げ句には,年明けの名護市長選挙では少差だったが移設受入れ反対を表明した候補が当選し,ますます混迷の度を深めた。そして3月末までには政府案を確定すると言いながら,その期限直前には「3月末までにやらなきゃならないなんて,法律で決まっている訳ではない。」と言い出して,少なくとも僕は呆れかえった。それまでの間,「脱官僚」だか何だか知らないが,防衛省の実務者を交えながら防衛戦略上有効で実現可能な案を練ってきたフシもないし,かつてのように首相自らが沖縄を何度も訪れたということもないし,しかもアメリカ側と密に協議してきたフシも全くない。さらには,この人が「腹案」と称しているものについても,アメリカ側としては協議以前の案だと評価している。というのも,陸上部隊とヘリ部隊とを分断するような案が軍事的・防衛戦略的に有効なものとは到底言えないからだ。アメリカ側としては,政権交代がなされたことは事実として踏まえつつも,「鳩山らはもっとちゃんと仕事をしてくれ!」と言いたいのであろう。当たり前である。
実は先の核安全サミットにおけるオバマ大統領との僅か10分間の非公式会談の際,新聞報道によれば,この鳩山という人は,同大統領から「きちんと責任取れるのか」などと厳しい言葉を投げかけられたようだ。この鳩山という人のあまりにも軽く,あまりにも信頼するに足りない言動からすれば,アメリカ側がこのように抜きがたい不信感をもつのも当然なのである。
有権者は,昨年の衆議院議員総選挙で民主党に308もの議席を与えてしまった(僕はこれには絶対寄与していない)。でも,「民主党 やらせてみれば この始末」。バッハのマタイ受難曲第一部の最後に「人よ,汝の大いなる罪を悲しめ」という大コラールがある。今の政治状況は,正にこの曲名のとおりである。
日本国内で薄毛を気にしている人は約1300万人に上るそうだ。僕もその一人(笑)。ニュースでやっていたけど,日本皮膚科学会がまとめた「薄毛治療のガイドライン」というものが発表されるという。日本皮膚科学会に所属する合計10人の皮膚や毛髪の専門医が,治療や植毛など10種類の対処法について,公表されている研究論文をもとに科学的根拠の有無を調査し,分類したものである。
このガイドラインも十分参考になるだろう。僕もここ数十年,ハゲの恐怖に苛まれながら生きてきたのだが,これまでの経験や付け焼き刃の知識に基づいて,この方面の専門家ではない僕なりに,薄毛に関してほんの少し考察を加えてみたい。
必ず物事には原因と結果がある。薄毛になるということは,やはりそれなりの原因があるはずである。遺伝説や男性ホルモン説などもあって,難しいことはよく分からないが,薄毛になる体質や生活習慣などがとても大きいと要因だと最近では思っている。特に血流。髪の毛は血の余りのようであるし,毛髪の生成は何よりも毛母細胞,毛乳頭の働きを活発にするための栄養が血液で十分に運ばれていなければならない。僕としては,頭皮の外からやみくもに育毛剤を振りかけたり,自毛であれ人工毛であれ頭皮に植え込んだり,などといった手法には限界があると思っている。要するに,体の内側からのアプローチが重要だと思う。薄毛になる体質を内側から変えていき,そのために生活習慣なども改善していくことである。
体温を上げ,血流を良くする。運動,マッサージだけでなく,血流の良くなる食材を使った料理など。次に,ストレスをほどよく緩和するための工夫。ストレスが過剰になると血流が悪くなるそうだ。それにストレスは皮脂の過剰な分泌の原因となる。これは皮脂腺を肥大化させ,さらに皮脂量を増やすという悪循環に陥る。仕事に精出すのも結構だが,時にはリラックスしたり体操したりするのが良いと思う。ストレスを感じた時や,リラックスするために喫煙する人もいるが,毛細血管の血流を悪くするので,このような育毛にとってのマイナス因子をできるだけなくすべきである。それと,何よりも睡眠を十分にとることである。これも極めて重要。成長ホルモンは午後11時ころから午前2時くらいまでの間に多く分泌されるので,毛髪の成長のためにはこの時間帯にはぐっすり眠っているのがいい。これに加えて,過度の摂取はだめだけど,亜鉛などのサプリメントの活用,それとコラーゲンなんかもいいのではないだろうか。まだまだいろいろとあるが,キーワードは「体の内側から」であろう。
あとは,達観である。人間,年相応というものがある。髪にいつまでもしがみつくべきではない。年相応の毛量で結構である。それに,髪の毛フサフサで女性にモテモテであっても,果たしてそれだけで心が満たされるであろうか(笑)。・・・決して負け惜しみなんかではない(爆笑)。人間,むしろ中身が大切である。髪が薄くても一緒に話していて楽しい,良い時間を過ごせたと思われるような人間になればいいと思っている。「ぜんまいざむらい」に出てくるぜん様と,なめざえもんとでは,毛量としてはなめざえもんの方がかなり上回っているであろう。ぜん様の頭頂部はなにしろぜんまいなのであるし,なめざえもんは立派で長すぎるほどの髷である。それでも,ずきんちゃんがぜん様の方に心惹かれているのは,結局はぜん様の人柄なのである。毛量なんかではない。
3日ほど完全にお酒を止めていたら,割りと体調も良く,体重も僅かながら減った。前にもこのブログで書いたが,僕は非常に分かりやすい体なのだ。「酒は百薬の長」と言うから,適量だったらむしろ血行が良くなったり,よく眠れたりするから薬になる。だけど,飲んでて楽しかったり興が乗ったりすると,つい量が過ぎてしまう。しかも僕の場合はつまみがないと飲めないので,やはり太ってしまうのだ。お酒もほどほどにして標準体重に戻そうと思う。
それにしても,昨日のジャイアンツは情けない。本拠地東京ドームで3回までに6対0でリードしていたのに,その後がいけない。要するに打線がせっかく頑張っているのに,投手がだめなのだ。不用意な投球,だから連続してホームランを打たれ,あっという間にリードが3点になる。代わった投手はというと,最初の打者には全くストライクを取れずにストレートの四球を与え,その直後に2ランホームランを簡単に打たれ,これまたあっという間に1点差になる始末。最終的には逆転負けを喫した訳である。打線が頑張って7点取っても,相手に9点も取られちゃ・・・。今年はグライシンガーも一軍登録できないし,投手陣に不安がある。
ついでに言わせてもらうと,名古屋グランパスは現在4勝1敗,勝ち点12で4位につけている。得点10,失点4(得失点差6)というのも評価できる。しかも,グランパスはサンフレッチェ広島と共に,現時点では他チームより消化試合が1試合少ないため,潜在的にはもっと上位にいると言ってもいい。しかし,しかしだ。試合内容を見ていると,やはり本当に強いのかという疑問がある。ここんとこ,3試合連続で2-0で勝利し,無失点で抑えていることは評価できるとしても,中盤を機能させているとは思えないし,流れの中での得点が少ない。例えば,ジュビロ磐田戦の開始早々のブルザノビッチの約70メートルのロングシュートは風に乗った幸運なものだったし,リーグ戦のその次のヴィッセル神戸戦の2得点もいずれもブルザノビッチのフリーキックがゴールに結びついたものだった。さらにその次の京都サンガFC戦の2得点のうちの1点はやはりセットプレーからの得点である。流れの中で得点できていないことが気になるのである。試合後の闘莉王のコメントも,今のグランパスには課題も多く,必ずしも試合内容に満足はしていないというものだった。年間王者を目指して是非修正してもらいたい。