読売巨人軍の木村拓哉内野守備走塁コーチが急逝した。誠に残念である。37歳で鬼籍に入ることになろうとは・・・。記者会見で原監督は涙を流していたし,グラウンドでは阿部慎之助主将ら多くの選手がアンダーシャツや帽子で涙をぬぐっていた。その人柄が偲ばれるし,プロ野球選手として尊敬を集めていたこともうかがえる。
選手とコーチとでは当然に立場も異なるし,中間管理職としての苦悩もあったのかもしれない。野球に真摯に向き合い,よりよい仕事をしようという意識が高いだけプレッシャーもあったであろう。ネットで見た写真のうち,木村コーチが広島カープの現役選手だった頃,グラウンド上で長嶋茂雄巨人軍元監督のアドバイスを受けている様子を写したものがあった。その写真の長嶋元監督の表情は愛情に溢れ,一方の木村選手はヘルメットを取り,ほぼ直立不動の姿勢で熱心かつ真摯に長嶋さんの話に聞き入っていた。木村コーチはそういう選手だったのだ。ジャイアンツに移ってからの木村選手の活躍振り,時には捕手もやり,確実に犠打をこなし,俊足をとばしていたあの姿は記憶に残っている。心からご冥福をお祈りする。
吉田兼好の徒然草の第155段には,次のような文章がある。
「死期(しご)は序を待たず。死は前よりしも來らず、かねて後(うしろ)に迫れり。人みな死ある事を知りて、待つ事しかも急ならざるに、覺えずして來る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の滿つるが如し。」
これは,春夏秋冬の四季には順序があるけれども,死期には順番がない。死というものは前から来るとばかり思っているが,実は人が気づかないうちに後ろから迫っている。死が迫っているのを知らないうちに死は突然やってくるのである。沖の干潟は遥か遠くに見えるけれど,気づいてみたら足もとの磯から潮が満ちてくるようなものである,というほどの意味だそうだ。いつ死んでもいいような人生,仕事も立派にやり,生活も十分に楽しむような人生を送りたいものである。