鳩山由紀夫という人の今の政治家としての有り様は悲惨の一語に尽きる。しかも一国の首相なのである。この人は,先の遅すぎた沖縄訪問の際に,ようやく「抑止力」という言葉を用いた。この米軍海兵隊普天間基地移設問題は,「抑止力」に対する考察抜きには考えられない問題だというのに・・・。防衛や抑止力について「学ばせていただいた」末にようやく思い至っただと(笑)。
ある雑誌で久保紘之というジャーナリストが,今の鳩山由紀夫という人の政治家としての有り様について,政治学者マックス・ウェーバーの「心情倫理」という言葉で説明していた。僕はこの説明に思わず納得し,腹に落ちた。日本大百科全書(小学館)ではこの「心情倫理」のことを次のように説明している。
「M・ウェーバーの用語で,責任倫理と対をなす。彼は,あらゆる倫理的行為を律する二つの対立した原則として,この二つを理念型的に区別する。行為の類型からすれば,心情倫理は価値合理的行為に,責任倫理は目的合理的行為に対応する。心情倫理においては,ある行為がどのような結果をもらたそうとも,それを意に介することなく,ひたすら自分が正しいと信じる究極的価値ないし倫理的命令に従って行為することが求められる。事の成否は問わない。『人事を尽くして天命を待つ』という態度である。・・・・・ここでは純粋な心情の炎に燃えて無条件かつ一義的に献身することだけが求められるから,もしその目的に成功の望みがなく実現不可能な場合には,破滅的な結果ともなりかねない。」
この鳩山由紀夫という人は,「日本列島は日本人だけのものではない」,「駐留なき安保」などと言ったり,「東アジア共同体」をぶち上げたりしており,最終的には国という形をなくしてしまう「地球市民」的な友愛発想に凝り固まっているのであろう。自分の信念に従って自分なりに頑張って努力したんだから,仮に普天間問題で上手くいかなくても信念と努力とを認めて欲しいという態度なのではないかと思う。そうすると,正にさきほどの「心情倫理」という言葉,定義で説明がつく。
し,しかしだ。政治は結果責任だと思うよ。少年野球だったら一生懸命やればそれなりに褒められるけど・・・。いやいや,本人は一生懸命のつもりだろうけど,例えばこの普天間問題だって,果たして一生懸命と言えるのだろうか。極めて疑問である。実効性ある外交がなされているとは到底言えない。「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(若泉敬著,文藝春秋)という本を読むと,当時の沖縄返還交渉問題について,佐藤首相,保利官房長官,愛知外相,岸(信介)特使,若泉特使らの組織的,一体的,意欲的,実効的な外交が展開されていたことが手に取るように分かる。今の政権と比較するのも失礼なくらいである。次元と格が違いすぎるのである。