西 郷「あぁーっ,仕事の後に飲む冷たいビールはホントに美味いねぇ,なあ大久保ちゃん。」
大久保「あぁーっ,うめぇ,・・・お前もたまには説得力あること言うね。ホント美味いわ。」
西 郷「素直にハイって言やいいんだよ。・・ったく。そりゃそうと,お前たまごかけごはん無茶苦茶好きなんだってな。社内でもっぱらのウワサだぞ。」
大久保「はっ,はっ,は。確かに好きだけど,ウチの社員って,他に何か考えることないのかね。」
西 郷「あのさぁ,昨日コンビニでおにぎり買ったけど,『たまごかけごはん風』っていうおにぎりが売ってたぞ。食ったけど,まあまあその雰囲気が出てた。」
大久保「えっ,どこのコンビニ?」
西 郷「好評のこのブログを多数の皆さんが見てるのに,俺が特定のコンビニだけ宣伝する訳にはいかないだろう。ウソは言ってねぇ。コンビニを3箇所くらい回ってみろ。きっと見つかる。」
大久保「ふーん。・・・・・・あっ,お前,見た?見ただろ?」
西 郷「何を。ワールドカップか?」
大久保「えっ,ち,違うよ。でも,ワールドカップも見応えがあるな。日本代表はよく頑張った。」
西 郷「うん,まあ,あれが精一杯だよな。これから先は世界のレベルを堪能しよう。ブラジル,ドイツ,スペイン,アルゼンチン・・・すごいねぇ。あれっ,お前さっき何を見たって聞いたの?」
大久保「お前,知らないの?読売新聞や産経新聞に書いてあったけど,48人の中国人が今年の5月以降に次々に入国して,その直後から次々に大阪市に全員が生活保護を申請したんだってよ。」
西 郷「えーっ?・・・・・・・・(絶句)」
大久保「大阪市西区在住の78歳と76歳の2人の日本人女性がいてな,その親族を名乗る中国人48人が今年の5月以降,次々に入国したそうだ。その入国の目的としては,全員がその2人の高齢者の介護をしに来たのだと。もとはと言えば,その2人の高齢者も中国から帰化して日本国籍を取ったそうだ。そしたら今度は次々に入国したその48人が5月6日から6月15日までの間に在留資格を取得して,外国人登録の3日後くらいから次々に西区,港区,大正区,浪速区,東淀川区の5つに『仕事がない,収入がない』として生活保護の申請をしたんだと。彼らは現在では17世帯に分かれて生活をしているようだけど。」
西 郷「・・・・・・・・(絶句のまま)」
大久保「結局,大阪市は32人に生活保護費の支給決定をしてしまったんだと。おいっ,西郷,お前目開けたままで寝てんのか?何とか言え。」
西 郷「・・・介護目的で48人も一挙に入国して,挙げ句に『仕事がない,収入がない』で生活保護の支給か。言葉も分からない人たちが特定の人のための介護で一挙に押しかけてきて,全員が仕事が見つけられる訳ないだろう。最初から分かり切ったことだ。外国人登録の3日後から続々と保護申請なんて・・・。それ目的での入国だろう。・・・それにしても大阪市の役人って・・・(絶句)。」
大久保「ようやく大阪市も,この特定女性の親族にかこつけた大量の生活保護申請に不審をいだいて,残りの申請分に対する決定は保留し,既に決定した32人分の保護決定の取消も今後検討するそうだ。」
西 郷「当たり前だっ,遅いっ。まず要保護性の審査が甘すぎる。俺なんか税金ばかり取られ,小遣いも削られてるのに。」
大久保「その割りにはよく飲んでるね。」
西 郷「うるさいっ。・・・でもさ,中国の大卒の平均初任給は上海が一番高いそうだが,全国的な平均は約3万円だ。そうすると,今回保護が決定された32人が一人当たり仮に9万円の生活保護費を受領するとなると,中国の大卒新人の3倍の月収を手にすることになる。しかも,物価などからした貨幣価値の比較では日本と中国とでは10倍くらいの開きがあるそうだから,1か月に90万円相当の現金を手にした感覚だろう。少なくとも中国の農村部での生活を想定するとそんな感覚だろう。」
大久保「これからこういうことは頻発するかもしれないね。48人の申請だったからさすがに『アレッ?』となった訳だけど,全国各地で数人の申請がなされるような形だったら問題視されないままに過ぎてしまったと思う。」
西 郷「こういう申請を臆面もなくするというのは,さすがに日本人のメンタリティーではできないね。」
大久保「うん。」
西 郷「こんな状況であるにもかかわらず,民主党政権はいよいよ7月1日から中国人観光客のビザ発給要件を緩和する。」
大久保「今度の選挙ではしっかりとした選択をしないとな・・・」
サッカー日本代表,デンマーク戦の快勝,そして決勝トーナメント進出決定,おめでとう!
このゲームでは日本は3得点したが,いずれも素晴らしい点の取り方だった。初めの2得点はいずれもセットプレーからのものだったけど,MF本田だけでなく,状況やコースに応じてMF遠藤という選択肢の幅があることも分かった。いずれも見事なフリーキックだった。そして何よりも圧巻だったのは,3点目。普通はペナルティーエリア内に入ったら功を焦ってやみくもにシュートしがちになるものであるが,本田は相手選手を十分に引きつけておいて,これを翻弄するかのように冷静にFW岡崎に華麗なパス。岡崎は難なくこれを決めた。見事なプレーであった。こういうプレーは,状況判断の良さと視野の広さ,スキルの高さを備えていなければできない。
本当は,開幕前の日本代表の連戦連敗ぶりを見ていて,そして岡田監督の戦術上の迷いなどが露呈していて,正直言って期待はしていなかった。でも,初戦のカメルーン戦での4-5-1システムが機能し,あとは基本的には本田のワントップで,順次1・5列目からの飛び出しをしていく,積極的なサイド攻撃も多用するなどしてうまくいくようになった。オランダ戦も善戦と言えるし,選手間でもだんだんと自信が自信をよぶようになったのではないだろうか。
あと,君が代をほぼ全員が歌っているのもいい。でも,もう少し元気よく歌って欲しい。外国の選手の中には思いっきり音痴だけどすごく元気よく,誇らしそうに,無邪気に歌っている選手がいるように,日本代表もそうして欲しい。君が代が流れるとじーんときてしまう。
さて,決勝トーナメント初戦の相手はパラグアイである。したたかでハングリー精神に溢れていそうである。パラグアイという国は人口は635万人くらいで,わが愛知県の人口よりも約100万人くらい少ないし,経済的には南米でも最も貧しい国の一つのようだ。それだけにハングリー精神に溢れ,今大会の南米予選ではブラジルやアルゼンチンを破った試合もあるそうだ。強い。でも,今の日本代表ならば試合ごとに自信をつけていそうであり,29日もきっといい試合をしてくれるであろう。
あっ,そうそう,もうそろそろお中元の品を選ばなければ・・・。
サッカーにおける鉄則とも言うべきものに,「数的優位を作る」というのがある。攻撃面でも,守備面でも,ある局面で自分が1人,相手チームが2人だったら,仮に自分がボールを持っていても相手方に奪われてしまう可能性が高くなるし,逆にボールを奪いにいこうとしても,上手くパスされてかわされてしまう。要するに,それぞれの局面では味方が多い方が有利なのである。
よくあることだが,昨日も一人ランチであった。味噌ラーメンが無性に食べたくなった。こうなると頭の中は味噌ラーメン以外には何もなくなる。事務所から歩いて10分くらいの所にあるラーメン屋に直行である。しかし,このラーメン屋において完全な数的優位を作られてしまった。
午前11時30分に入店。いいねえ,自由業は。勤務時間を自分で決められるし,好きなときにランチに行ける。ところが,入店したら店のスタッフ2名がいるだけで,他には全く客がいなかった。予定どおり味噌ラーメンを注文。ほどなく注文の品が届く。山盛りになった白髪ネギを箸でスープ内に沈め,一味唐辛子を振りかけて食べ始める。しかしその2人のスタッフは,ともに並んで僕の方向を見ている。僕の方向を見ているだけなのか,僕を見ているのかは分からない。というのも,僕は彼らの顔を見たり,目を合わせたりはしなかったから。それにしても彼らは微動だにしない。また彼らは互いに全く会話もしない。完全に1対2である。数的優位を作られた状態である。北京の天安門広場に田舎から直訴に来た農民1人と,武装警察官(公安)2名とが対峙しているかのような風情であった(爆笑)。
ここのラーメンは旨いと思う。特に味噌ラーメンは野菜タップリでシャキシャキした食感も良く,スープがクリーミーで旨いのである。麺も僕好みの中細だし。ただ難点を言うと,1000円近い値段なのに,チャーシューが一枚も入っていないことであった。トッピングしないとダメなようだ。これをすると1000円の大台に乗ってしまう。それにしても11時30分というと,もうそろそろお昼時であり,街中なのだから他に客がいてもよさそうなのに僕だけであった。このままだと,数的優位を作られた結果,ボールを奪われてしまう(笑)。まぁそのうち誰かお客が来て,視線リスクの分散に寄与してくれるだろうと楽観していた。し,しかし誰も来ない。気分的に落ち着いてラーメンを味わいたいと思っているのに・・・。半分以上食べ終わっても,相変わらず天安門広場での対峙が続いている(笑)。もう一人味方がパスコースに来てくれればパスできるのに。
結局,味方は現れなかった。味噌ラーメンはとても旨かったが,「本当はもっと精神的に落ち着いて味わいたかったのに・・・」という敗北感が残った。次回は何とか頑張りたい(笑)。何を頑張るんだ(爆笑)。
あーーっ,肩と首がこる。いつもこういう傾向にある。しかも梅雨時で何かしら精神的な停滞感がある。・・・・・・そうだっ,こういうときはマッサージを受けるに限る。そう,マッサージは実にいい。
事務所から歩いて6,7分くらいの所にある行きつけのお店に電話すれば,たいていは思い立ったそのときに予約を入れてくれる。この店に通い始めた頃は,施術前に「どこか,お疲れの所はありますか。」と聞かれ,僕は決まって「首と肩がこってます。」と答えていた。最近では特に僕が言わなくても「首と肩ですね。」と言われてしまうようになった。くどいようだが,あーっ,マッサージはいい。
マッサージの語源は,ギリシャ語のマッシー(揉む),アラビア語のマス(押す),ヘブライ語の「触る」,ラテン語の「手」などの言葉のようである。施術してもらっていると,静脈系の血液循環,リンパの循環が改善される。ポカポカしてくるし,いかにも血液やリンパ液の循環が改善されたように感じるし,何よりも元気になる。施術してくれる人の手は「神の手」のように思えてくるのである。
それはそうと,サッカーのワールドカップをテレビ観戦していると,やはり世界的に活躍している選手のレベルは凄いなと思う。Jリーグの試合とは格段の差がある。スピード,スキル,スリル,スペクタクル・・・。ただ,ブラジル対コートジボアール戦で,ブラジル代表のFWのルイス・ファビアーノの上げた2点目はいただけない。あれはハンドの反則によるものではないか。そのシーンをリプレイで何度見てもそのように思う。これについて本人は,「あれは『聖なる手』が助けてくれました。わたしの人生の中でもとてもいいゴールだったと思う。」とコメントしている。似たようなことは,1986年メキシコ大会で,アルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナがイングランド戦でハンドによる得点を決め,「神の手」ゴールなどと呼ばれたことがある。
でもねぇ,こういったゴールは「聖なる手」や「神の手」によるものとは言い難いと思いますよ。ましてや「わたしの人生の中でもとてもいいゴールだったと思う。」とのコメントには辟易した。武士道精神の日本人には,こういうコメントができるというメンタリティーはないと思う。
僕の誕生日は6月6日。この日にはカミさんと娘からそれぞれプレゼントをもらって素直に嬉しかった。そしたら昨日は父の日。娘からまたプレゼントと手紙をもらっちゃったどぇーす。手紙の文面で涙にむせぶ夜ではありました。
僕は梅雨時の生まれだからか,雨は嫌いではない。むしろ雨の日の方が落ち着くこともある。ある日裁判所での仕事を終えて,傘を差しながら事務所までテクテクと歩いて帰ったのだが,その日は急に裁判所近くにある護国神社の構内を横切るルートにした。あじさいが咲いていないか見たかったからである。そしたら,あちこちに咲く色とりどりのあじさいが本当に見事だった。白色を含め,どのあじさいも美しかったが,とりわけ薄い青紫色のやつが素晴らしかった。水滴に濡れ,みずみずしさと生命力に溢れていた。・・・・・あじさいはいいね。
その日はどういう訳か風流心がめばえ,ふっと好きな種田山頭火のことが頭に浮かんだ。梅雨時の行乞も大変だったろうな・・・。でも,山頭火にとっては自然現象である雨も当然に自分の一部であって,「濡れたらいやだな」などといった心情からはもう超越しており,濡れたって全く平気だったのだろう。
「山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆふべもよろし」
「笠をぬぎ しみじみと ぬれ」
「雨ふるふるさとは はだしであるく」
ジトジトした梅雨時は早く風呂にでも入ってサッパリしたい。今日は仕事も早めに切り上げて風呂にでも・・・。山頭火の次の句もユーモラスでまことに好きである。
「ちんぽこの 湯気もほんに良い湯で」
娘のあかねちゃんは夢見がち。テスト勉強や部活などの時は類い希な集中力を見せるが,非番(笑)の時は,将来のことについては夢見がちである。自分が高校生だった頃とそっくりである。
夢見がちといえば,あかねちゃんは夢(睡眠中に体験するやつ)もよく見るようだ。朝食の時などは,家族でそれぞれ前夜に見た夢の内容を告白することが多いが,その告白の回数ではあかねちゃんがダントツである。あかねちゃんが告白した一番最近の夢の内容は,次のようなものであった。
→ 時間帯はいつなのかは分からないが,外国人窃盗団が家に侵入し,お父さんが仕事でいつも着ている背広,スーツ,ワイシャツなどを片っぱしから盗んでいった。それで仕方なく,お父さんはチェック柄のシャツとチェック柄のズボンを身につけてショボンとして仕事に出かけた。しかし,はいているズボンは半ズボンだった。
あかねちゃんが見た夢の内容は概ね以上のようなものだった。なぜ半ズボンなのだろうか。なぜその柄は上下ともチェック柄なのだろうか(笑)。そもそも僕はそんなシャツやズボンは持ってもいねぇのに。ちっとも理解できない(爆笑)。
夢の話はこの程度にして,昨日の昼間は自分で運転して車で移動した。その車中のラジオ番組で,ビートルズの「レット・イット・ビー」という曲がかかっていた。懐かしかったし,改めてこの曲の素晴らしさを思った。「・・・Mother Mary comes to me Speaking words of wisdom 〝Let it be.〟」聴いていて胸がジーンとなった。思えば,ビートルズに関心をもつようになったきっかけの曲がこれだったのである。朝食の時はCDで音楽を聴きながらの食事で,平日の場合は主にクラシック音楽(バッハの曲が圧倒的に多い)をかけるが,土曜日や日曜日の朝はビートルズの曲をかけることが多い。あかねちゃんはその影響からか,ビートルズの曲が大好きである。彼女にとっても,ビートルズの曲は古さを感じないのだそうだ。僕もそう思う。
昨日は東京地方裁判所での仕事があった。こういう日は,たとえ裁判所での仕事が1時間程度であったとしても,往復の移動時間を考えると結局は1日仕事ということになる。午前10時ころの新幹線だから,東京駅にはお昼少し前に着いた。
あとは当然に,八重洲地下中央口の近くにある旭川ラーメン「番外地」に直行である。これは僕にとってはあまりにも当然の行動であるし,注文もあまりにも当然な「塩バターコーンラーメン」である。東京駅にはラーメンストリートというのが出来たのは百も承知だが,僕はどうしてもこのラーメン屋に足が向いてしまう。魚介系のダシの利いたスープを好むんでしょうね。
午後1時には東京地裁に到着し,予定の仕事を終えた。最初に応対してくれた若い女性の書記官はテキパキして美人だった。でも,面接した男性の担当裁判官の方はあまり感じは良くない。物腰もさることながら,全く相手の目を見て話さないのが不快感を与える原因なのだろうと思う。前日には名古屋地裁豊橋支部に出張に行ったのだが,その担当裁判官は非常に感じが良かったのに。様々だね。
さて,その後は裁判所の構内から依頼者と自分の事務所の事務員さんに指示を出し,あとはどうしてくれよう。鈴本演芸場で落語を聴いてやろうかとも思ったが,最近は仕事に追われていることもあり,そこはグッとこらえて帰路についた。八重洲地下にあるNHKキャラクターグッズを売っている店で「ぜんまいざむらい」の弁当箱を新しく購入しようと思い立ったが,ここもグッとこらえた。今使っている「ぜんまいざむらい」の弁当箱は確かに古くはなったし,絵の一部もはがれているけど,もう少しの間は使えると思ったからだ。まだ古いやつを捨てるにはかわいそう過ぎる。結局,ビール2缶とつまみを買って,新幹線の中では一人で宴会状態であった。ただ,あちこちで「プシュッ」とビールのふたを開ける音は聞こえたけど。
東京出張もたまにはいい。気分転換になるし・・・。でも,タクシーの運転手さんに,思わず「キャディーさん」と言い間違えて,案外しらけた態度をとられてしまったことは,返す返すも悔いの残る出来事ではあった。
日本が打ち上げた小惑星探査機「はやぶさ」が,約7年間の宇宙の旅を終えて地球に帰還し,最終任務であったカプセルをもたらした。これは世界的な偉業なのである。この「はやぶさ」は,エンジンの故障や通信途絶などの艱難辛苦を乗り越えて,60億キロメートルもの距離を進み,決して諦めることなく地球帰還を目指し,それこそ満身創痍の状態で大気圏に突入し,自らの身は燃え尽き,最終任務であったカプセルを落下予定地にもたらしたのである。しかもこの「はやぶさ」は,計画どおり,大気圏に突入する前の時点で生まれ故郷である地球の姿を撮影することにも成功している。「はやぶさ」がその任務どおりに地球を撮影した映像を見て,じーんと胸が熱くなった。
この「はやぶさ」の打ち上げから大気圏突入時に燃え尽きるまでの行動,途中で数々のトラブルに見舞われながらもそれを乗り越えて任務を完遂した事実を知れば,僕としてはどうしても「はやぶさ」を擬人化してとらえてしまうのである。擬人化してとらえた場合,「はやぶさ」はまことの武士であったと思う。国,そして生みの親である宇宙航空研究開発機構(JAXA)に対する忠義,自己犠牲を伴う任務遂行,散り際の潔さ,正に武士道精神である。
「はやぶさ」がもたらしてくれたカプセルに,小惑星「イトカワ」の土壌(砂ぼこりでもいい)が含まれていれば,月以外の天体からの土壌試料回収も世界初の快挙となる。仮にそれが含まれていなくても,今回の様々な経験は今後の日本の宇宙開発研究の意義ある一里塚となろう。
しかしながら,現在のところ,この「はやぶさ」の後継機の開発については,かの民主党政権が事業仕分けによりその予算を最終的には3000万円ほどに削減してしまい(前政権時における概算要求額は17億円),目処が立たない状況になっているようである。このような研究分野は,数年で研究成果が出るというものではなく,基礎科学の土台の上で,それなりの予算を背景に,長年の地道な努力の積み重ねにより花開くものなのである。民主党の事業仕分け人のように,何の資格があってか知らないが,やみくもにバサバサッと予算を切ってしまうようなことを続けていれば,宇宙開発を含む科学技術分野の研究は回復しがたい遅れを来すことになりかねない。子供手当て(現制度では要件さえ具備すれば外国に住む子供にも支給される)や高速道路無償化などのバラマキ政策のしわ寄せを食ってよい訳がない。まことの武士であった「はやぶさ」の偉業を今後に生かさなければならない。
わが栄光の読売巨人軍のセパ交流戦での成績は12勝12敗という成績で,貯金することすらできなかった。残念ではあるが,これからは気持ちを切り替えて,セ・リーグ4連覇を目指して頑張ってほしい。
その読売新聞の書評記事で見つけた本に,「『死の舞踏』への旅-踊る骸骨たちをたずねて」(小池寿子著,中央公論新社)がある。朝食後にボサーッとしながら書評を読んでいくうちに何やら興味をおぼえ,実際にこの本を読んでみたいと思っちゃったのである。
ヨーロッパでは,15世紀以降,「死の舞踏」(ダンス・マカーブル)の壁画があちこちで造られるようになり,その後は壁画だけでなく木版画としても表現されるようになった。「死の舞踏」の絵図というのは,死者(骸骨)と生者とが交互に配置され,死者が生者の手をとって墓場まで誘うという状況を表したものである。不気味な感じもするし,死者(骸骨)は足を跳ね上げて踊っているようにも見えるユーモラスな面もある。筆者はこの「死の舞踏」の壁画の存在やその意味を研究素材の一つとする学者であり,さきに挙げた本は約1年間にわたる「遊学」と「死の舞踏」の壁画等が点在する各地を実際に旅した成果を記したものである。この本の序章には次のようなくだりがある。
「暮れなずむヨーロッパ中世に影を落とす生者と死者の舞踏行列。骨と化し、あるいは、内臓や皮膚を残す干からびた死者たちが、身分の貴賤、老若男女を問わず、生きている者たちの手をとって墓場へと誘う。生者たちは、さまざまなポーズをとりながら、過ぎ去りし人生をふり返っては嘆き悲しみ、また、いとおしむ。死者たちはささやく。いくら生を謳歌しても、人はいつか死にゆくもの。それが定めというものさ。」(3頁)。
この不気味な「死の舞踏」の壁画などが各地で造られた背景として筆者が指摘するのは,「死体や墓を前に死について思いをめぐらせることを勧め、現世での傲慢をいさめて生のむなしさを説くという説教とその思想は、黒死病をはじめとする疫病や飢饉、戦争の支配した中世後期に、死の舞踏を頂点とする死のテーマやその美術を生み出す土壌となった」という点である(114頁)。当初成立時期としては「死の舞踏」よりも古い「三人の死者と三人の生者」の壁画などについても,このような思想的背景があったとも指摘されている。
この本には,表紙のカバーを含めて実際の「死の舞踏」の壁画などの写真がちりばめられている。どれもこれも興味深いものばかりである。こういう世界,こういう研究対象もあるのだなあと感心した。それにしても,「死の舞踏」の壁画などを見た時,不気味な感じがするというよりは,何かしら共感や癒しを覚えてしまうのである。それはなぜかというと,恐らく筆者が指摘するように,「死の舞踏は、むしろ、死すべき生をよりよく完結させるためのステップを、死者が生者に教えるという趣向なのである。・・・つまり、死の舞踏には、死すべき生をいかに成就するかという、いわば積極的な姿勢が見られる」からであろう(116頁)。
・・・何やら薄気味悪い世界なのかもしれないが,この本は一読に値する。
中学生の時も,高校生の時も,音楽の時間の歌のテストはとても苦手だった。僕は音楽自体はとても好きだったのだが,歌のテストだけは気が重かったし,恥ずかしかったのである。先生の伴奏に合わせて個室でテストされるのならまだしも,衆人環視,みんなの前で一人ずつというのはどうも・・・。
おとといの夕食の時,娘のあかねちゃんが,来週音楽の時間で歌のテストがあると言って何やら口ずさんでいた。そのメロディーを聴いてすぐにピンと来た。何と,僕が以前から好きだったヘンデルの「私を泣かせてください」というアリアである。どうやら,この歌のテストは生徒が2曲のうちから好きな方を選択できるようで,もう1曲はメンデルスゾーンの「歌の翼に」という曲だそうだ。あかねちゃんは,「私を泣かせてください」の方を選ぶとのこと。
「私を泣かせてください」というのは,とても佳い曲,美しい曲で,ヘンデルの歌劇「リナルド」の第2幕で登場する有名なアリアである。敵の魔術師に捕らわれたアルミレーナという女性が悲嘆にくれながら恋人を想って切々と歌う。その歌詞の冒頭は次のようなものである。
「私を一人で泣かせてください 過酷な運命に ため息をつかせてください 失われた自由に ・・・・・・」
あぁー,ヘンデルもいいよね。メロディーメーカーだわ。ヘンデルはバッハと同じ年(1685年)にドイツで生まれたが,ロンドンに渡って大活躍した。この歌劇「リナルド」はロンドンに渡って初めて世に問うた歌劇で,初演は大成功を収めたということだ。
あと,ヘンデルの歌劇のアリアでお勧めなのは,ご存知,「ラルゴ」という名で知られた「オンブラ・マイ・フ」である。これは歌劇「セルセ」第1幕第1場で出てくるアリアであり,そのメロディーの美しさはたとえようもない。それにしても,部活で真っ黒に日焼けしたボーイッシュなあかねちゃんが,「私を泣かせてください」を歌うとは。想像もできないし,仮に想像できたとしても思わず笑っちゃう(笑)。