今日も初老の男性が独りごちることにします。自分だって人の顔をとやかく言えないことはよく自覚しているが,少なくとも選良と言われている人やテレビによく映る人については,めやすき人がよい。
昨日,民主党の両院議員総会が開かれたが,その場に映った輿石東という同党参議院議員会長の顔ときたら,とても選良とは思えないし,こういう人に政治を託しているこの日本及び日本人の行く末に大いなる不安を抱かせる。見ればわかる。この人は日の丸・君が代大反対の日教組のドンと言われており,その選挙区は山教祖の組織ぐるみの選挙活動でつとに有名である。この輿石という人もかつては教員だったのだろうが,その顔のような教育を行ってきたのだろうか。
その両院議員総会には民主党の実力者小沢一郎という人は案の定出席していなかった。9月の同党代表選挙でこの小沢という人がどのような行動に出るかが焦点になっている。一人の実力者の一挙手一投足に戦々恐々としている議員で構成されているこの民主党という政党は,一体いかなる政党なのであろうか。この小沢一郎という人の顔も,とても選良とは思えないし,こういう人に政治を託しているこの日本及び日本人の行く末に大いなる不安を抱かせる。このブログを読んでいただいている皆さんにも既にご案内のとおりである。
人のことは言えない顔のことはこの程度にして,民主党は,このたびの参議院議員選挙の敗因については,菅首相の消費税増税発言が国民に唐突な印象を与えたことなどだと分析しているが,はっきり言って分かっていないと思う。今の日本の財政状況,諸外国における税率などからして,国民の過半は消費税の増税はやむを得ないと考えているのである。このたびの選挙で民主党に厳しい結果が出たのは,自由民主党に回帰するのもはばかられるが,民主党という政権を勝たせすぎるととんでもないことになるという危機感が有権者にはあったのだと思う。昨年9月に鳩山政権が誕生した後の迷走振りを見れば一目瞭然である。旧社会党系が相変わらず幅を利かせ,日教組や自治労などに依存し,財源の目処もたたないのに俗耳に入りやすくできもしない約束をし,現在の安全保障上は不可欠となっている同盟の相手方を徹底的に困惑させてきた。有権者もこういう状況に危機感を抱いたのではないかと思う。でもだからといって,みんなの党に票を入れるなどという投票行動は全く解せない。みんなの党に一票を入れた人は,この党がどんな日本を目指し,そのために当面は具体的にどのような政策を実行しようとしているのか,この政党がどんな国家観をもっているのかについて理解をしていたのだろうか。
初老の男性が独りごちることにします。最近のCMは余り好感のもてないものが多い。古い人間だからかもしれないが,昔のCMの方が結構面白く,癒されたり,もう一度見てみたいというものが多かったように思う。最近のものはやたら音量がデカかったり,画面切り替えのテンポが速かったり,日本語が乱れていたり・・・。
その中でも以前から何となく違和感を覚えていたのが,さる携帯電話会社の白い犬が父親役のCMである。このCMが流れると不愉快になり瞬間的にチャンネルを変えてしまう。お前それは考えすぎだろうと言われるかもしれないが,愛すべき,そして今後もその文明,文化を守っていくべき日本という国,日本人が何かしら暗に否定されているようなニュアンスを感じ取ってしまうのである。この白い犬が父親役をやっているこの「家族」は,設定上は日本の家族というものであろうから。
父親が犬で,その家族から何か軽視,揶揄され,ひいては日本の家族というものを内側から溶解させたいかのような漠然とした意図を感じるのである。さらに最近ではこのCMは,この白い犬の名を「白戸次郎」としている。終戦後,その果たした役割や数々の言動などで,気骨ある日本人として知る人ぞ知る白洲次郎の名をもじったのではないかと疑ってみたくもなるのである。非常に不愉快である。
さらにこの携帯電話会社のCMの最新のバージョンを昨日の夜テレビで見せられてしまった。ボケーッとテレビを見ていたら,偶然に目に入ってきてしまったのである。そのバージョンでは,SMAPが屋台のラーメンを食べながら会話をしているのだが,そのセリフの中に,不正確な再現で申し訳ないが,国境という枠なんかそのうち何の意味もなくなる,国境などなくなるという趣旨のセリフが出て来たのである。国境がなくなるということは,日本という国がなくなるということでしょうか。どこかの国の「自治区」などに成り下がってしまうということでしょうか。ますますこの会社のCMに対する不信感が高まってしまった。
ぜんまいざむらいのキャラクター,例えば,ぜん様,豆丸,だんごやおばば,ずきんちゃん,なめざえもん,かみちよねーさん,わたあめひめなどは,NHKの専属なのだろうか。もし許されて彼らが民放のコマーシャルに登場するようなことがあれば,絶対にウケると思うのだが(笑)。
今日7月28日は,あのヨハン・セバスティアン・バッハの命日である。今年は没後260年となる。思い起こせば,僕にとってバッハの音楽は,自分の若い頃から初老の今日に至るまで,絶えず癒しの源泉であった。
昨年の7月28日もバッハの命日にちなんだ記事をこのブログで書いた。僕がいくら天才ブロガーといえども(笑),昨年のこの日に書いたバッハの命日にちなんだ記事以上のものはもう書けない。だから今日は,バッハの音楽に対する僕の偽らざる思いを,音楽評論家の加藤浩子さんの著作を引用する形で伝えたい。
実は以前にも1度,このブログで取り上げた著作に,「バッハへの旅」(加藤浩子著,東京書籍)というのがある。これは著者が,バッハ生誕の地であるアイゼナッハからその終焉の地であるライプツィヒまでの旅を綴った本で(写真家の若月伸一さんの写真が豊富に掲載),これ1冊でバッハゆかりの地を実際に旅した気分に浸れるし,バッハの伝記にもなっているし,音楽史や楽曲に関する知識も得られる。
この著作の随所に現れる表現内容からしても,バッハ及びその音楽に対するこの著者の心からの敬愛の情を窺い知ることができる。だから今日は,バッハの音楽に対する僕の偽らざる思いを,この加藤浩子さんの著作を引用する形で伝えたい(同書342~343頁の「あとがき」から)。
「バッハに導かれて、ここまできた。いつ出会ったか、記憶にないままに。けれど気づいてみたら、いつもバッハがいた。好きな作曲家は大勢いるのに、好きな音楽もたくさんあるのに、ふと佇んだとき、曲がり角にいるとき、いつもバッハがそこにいた。バッハはさりげなかった。そして強かった。・・・・・だがその足跡をたどればたどるほど、私はバッハの音楽へのかぎりない愛を、音楽を極めたい、その高みに上り詰めたいというたぎるような情熱を、感じずにはいられなかった。それがどれほど破格であることか。それはバッハに魅せられたひとりひとりが知っている。バッハに慰められたひとりひとりが知っている。行く手の見えなかった私がここまで歩いてこられたのも、バッハの強さの、破格さの、証明であるように思えるのだ。」
金賢姫元北朝鮮工作員は23日の午後に韓国へ帰って行った。民主党政権は,一体全体,いかなる目的でこのたびの金賢姫という人の来日計画を立てたのだろうか。拉致被害者の家族との面談はしたけれど,何か拉致被害者の救出に結びつくような直接,間接の新情報が得られたということもないようだ。実は今回の行事にはとても違和感を覚えている。大韓航空機爆破事件による被害者は115人に及ぶ。非常に痛ましい大事件である。このような重大な結果を引き起こした金賢姫という人間が,あたかも国賓のような待遇を受けている様子を見るにつけ,どうしても違和感を禁じ得ないのである。
多額の国費を使って,挙げ句に遊覧飛行的な時間まで確保してやって,何の成果があったというのだろうか。しかもその滞在先が何故鳩山元首相の軽井沢の別荘なのだろうか。この鳩山という人は,首相を辞する時には次期衆議院議員選挙には出馬しないと明言していたが,最近ではそれを簡単に撤回するかのような言動までしており,相変わらずその言葉は軽く,定見がない。今回の行事で別荘を提供し,その存在感を見せたかったのだろう。
民主党政権は本気で拉致問題に取り組もうとしてはいないと思う。というのも,安倍晋三内閣の時のこの問題に対する基本方針と,さる6月に示された菅政権下でのこの問題に対する基本方針とでは相当に違いがあり,明らかに後退してしまっているからである。また,あるネットの情報によれば,金賢姫元北朝鮮工作員が晩餐会に臨んだ帝国ホテルに,政府認定拉致被害者以外の拉致被害者を調査している「特定失踪者調査会」の荒木和博会長が特定失踪者の写真を持って同ホテルを訪れ,政府関係者に対し,金賢姫元北朝鮮工作員にこれらの写真を見てもらって見覚えのある人がいないかどうかを確認してもらう機会を与えて欲しいと申し入れたそうだ。しかしながら,拉致担当大臣の中井という人は,言を左右にしてこれに応じず,荒木会長を約1時間も待たせた挙げ句,結局そのような写真確認の機会を与えなかったという。荒木会長の申し出は極めて当然のことであり,これを認めなかった中井という大臣は本当に拉致問題を解決しようという覚悟があるのだろうか。そのような覚悟はないと思う。この中井という大臣は赤坂議員宿舎のカードキーを妙齢の女性に渡して出入りさせていたというニュースで世間を騒がせたことはあっても,拉致問題でそれらしい仕事をしたという情報は寡聞にして知らない。
民主党政権が企画したこのたびの行事は,国民向けに拉致問題も忘れてはいませんよというポーズをとろうとしただけの浮薄な動機に基づくものだろう。
ドイツの哲学者フィヒテは,「ドイツ国民に告ぐ」という標題の講演を行ったが,僕は日本国民に告ぐ。何を告ぐのかって?もちろん日傘のことである。
みんな,何で日傘を差さないの?このブログでもたまに書くけど,猛暑,炎暑,炎天の今の季節,日傘ほどありがたいものはないと思う。つくづくそう思う。直射日光,有害な紫外線から大切な頭を保護することができるし,何しろ炎天下で歩いていても日傘があればそんなに暑くないし,暑さ・まぶしさ・辛さからくる夏特有の顔(表情)のゆがみも起こらない。比較的涼しい顔で歩くことができるのだ。
英語では主に雨傘のことをアンブレラ,主に日傘のことをパラソルと呼んで区別するけど,どうやらアンブレラもパラソルも語源上は日傘のことらしい。男が日傘なんて・・・と思うかもしれない。確かに僕も使い始めのころは,人目を気にしていた。すれ違う人はきっと「変なやつだ」と思っているんじゃないかと・・・。しかし,しかしだ。こう暑くっちゃあ,こうも日差しがきつかっちゃあ,さすがの僕も腹が決まる。誰がなんと言おうと日傘である。しかも,日傘なるものはできるだけ通行人の邪魔にならないように,小ぶりにできているし(たださすがに,人混みの中は迷惑だろうから避けた方がいい)。
男性用の日傘の普及を目的にした社団法人でもできたら,理事の一人に就任して粉骨砕身,その普及に心血を注いでもいいくらいだ(笑)。それくらい重宝している。あえて日本国民に告ぐ!みんな,もっと日傘を差そうじゃないか!特に男っ!(笑)
暑いなー。健康のために少しは晩酌を控えようと決意はするものの,どうしても夕飯の時に冷たいビールが飲みたくなる。悲しい男の性(さが)である。でも,こうも暑くっちゃ,ビール飲むしかないでしょう(笑)。
「かたはらいたい」といっても,何もビール飲み過ぎて腹が痛い訳ではない。かたはらいたい,という言葉の意味は,国語辞典によると,「他人が実力以上のことを行っているのが、こっけいで苦々しく感じるさま。笑止千万だ。」という意味である。
先の参議院議員選挙では民主党が大敗を喫したので大いに気分を良くした。だから多少気になったことはあったものの,そのままやり過ごしていた。でも,今思い出してもどうにもこうにも腑に落ちなかったのは,柔道家の谷亮子議員の当選確実が出された際の彼女の言動である。そんなことどうでもいいじゃないか,了見が狭いなと言われそうだが,これは言っておきたいのだ。谷議員は当選確実が出された際,「感謝・啓(ひらく)」とボードに書いた。これについて彼女は,「私に1票を預けてくれた方への感謝と,(啓は)国民に政治をひらくという意味」と述べた。
待てよ?感謝の意味は分かるけど,「啓」というのは啓蒙思想の啓だよな。気になって国語辞典を見たら,啓(ひら)くの意味は,「知識を授ける。啓発する。」とあって,用語例としては「蒙を啓く」とある。では「蒙(もう)」とは何か。国語辞典によると,「道理をわきまえず、愚かなこと。無知なこと。」とある。
ということは,谷議員は,政治に対する国民の蒙を啓くと言ったのか?これは僕の誤解であって欲しい。確かに僕は柔道のことは知らない。僕が谷議員とガチンコで柔道の試合をしたら,内また,一本背負い,払い腰,大外刈り,横四方固め,あげくに絞め技などでボコボコにされるだろう。でも,政治マターになっている様々な社会的事象などのことについては,谷議員よりは僕の方が少しは詳しいという自負がある。少なくとも僕は,谷議員に僕の無知や愚かさについて知識を授けられたり,啓発されたくはない。むしろ僕は,谷議員に対して,せめて高額の議員歳費をもらっているのなら議員としての職務を全うするようにしてもらいたいし,ロンドンオリンピックでも金メダルを目指すなどと言って欲しくはない。
返す返すも,かたはらいたい瞬間ではあった。
夏だから暑いのは当然なのかもしれないが,暑すぎる。老体にとっては辛い面がある。この気温と湿度だと,本来ならば相当に汗をかかなければならないのだろうが,事務所でも,寝る時もどうしてもエアコンをかけているので,不自然に発汗が抑制されている。こういうのは,自律神経の乱れの原因になるし,汗腺が不活発になり代謝が悪くなるそうである。
それを何とかするために,僕としてはお得意の半身浴をしようと思うのだが,どうしても冷たいビールを夜飲んでしまうので,これもできない(僕は飲酒した日は半身浴は差し控えている)。1週間のうち3日程度は晩酌を控えて,半身浴をしなければ・・・。半身浴でかく汗の量は半端ではなく,爽快で,いかにも代謝が良くなる感じがするから。
あとは,夏を何とか乗り切るには,食事である。いろいろあるが,夏は夏で鍋もいい。前にもこのブログで書いたかもしれないが,我が家で割と評判がいいのが,料理研究家の枝元なほみさんのレシピによる「エスニックなべ」である。袋入りのインスタントラーメンのうち塩ラーメンを2つ使う。粉末スープ2袋を約1300ccのお湯で溶いて沸騰させ(レシピ上は1000ccとなっているが,最後に麺を入れて食べるときにスープ不足となる傾向があるので,我が家では約300~400cc余分に入れることにしている),豚肉,エビを入れて煮る。その後に,白菜(夏場は品薄かも),エリンギ,もやし,にんじんなどの野菜を入れ,レモン汁とナンプラー(魚醤)を振りかける。さらに僕は,家族の反対を振り切って唐辛子を振りかける(以前,唐辛子を入れすぎて家族の顰蹙を買い,その事実を厳粛に受け止め謝罪したことがある)。各自取り皿にスープを適量入れ,具をどんどん食べていく(元気をつけなければならない僕は,取り皿にさらにおろしニンニクも入れる。最近では娘のあかねちゃんもこれをやり,元気を倍増させている【笑】。おかげさまで成績も右肩上がりである)。最後に,だしのよく出たスープを再度煮たたせて,シメに麺を入れて食べるのである。美味しい。特にナンプラー(魚醤)という調味料は何か魅力的である。
あとは,夏場を乗り切るには男性用日傘である。これはいい。僕以外にこれを使用している人は余り見かけないのであるが,なぜなのだろうか。女々しいという印象があるからだろうか。でも今朝,珍しく男性用日傘を差して歩いている男性を見かけた(恐らく男性だと思う【笑】)。これは人目を気にすることなく,敢然と使用していきたい。夏を乗り切らねばならないからだ。
あー,昨日の試合はともかくとして,最近の読売巨人軍の試合を見ていると,不安がよぎる。セ・リーグ4連覇は大丈夫なのだろうか。特徴的なのは,先発投手が5回もたないということである。内海,藤井,ゴンザレス,オビスポなど・・・。7,8点を平気で取られてしまっている。辛うじて東野に安定感がある程度だ。
先日の対横浜戦で7-8で逆転サヨナラ負けした時には全身から力が抜けた。仕事をしていた最中だったので,途中経過をネットで確認していた。早い回に3点を取られてしまい,先発がノックアウト。0-3のままでいっちゃうのか・・・。次に恐る恐るネットで途中経過を見てみると,ジャイアンツがビッグイニングを作って7-3としていた。おぉーっ!やるじゃん。安心して仕事に戻る。気になって次にネットで調べたら,もう途中経過ではなく,「結果」になっており,何と,7-8。7-4で迎えた9回裏の横浜の攻撃,抑えのクルーンが先頭打者にヒットを打たれ,次の打者は打ち取ったものの,その後2者連続四球,1アウト満塁で横浜の4番打者に逆転満塁サヨナラホームラン・・・・・(絶句)。
クルーンという投手は四球を連続して与えたり,暴投をしたりで独り相撲をして試合をひっくり返されてしまうことがこれまで何度もあった。今度も同じようなシーンを見てしまった。本来の既視感(デジャヴュ)とは意味が違うだろうが,このシーンどこかで見たというやつだ。確かに球は速いが,安定感に欠けるし,ストライクが入らなくなると頭に血が上って冷静さを欠き,ますますボールが続いてしまうのだろう。マンガみたいな逆転劇であった。
それにしても,米軍海兵隊普天間基地移設問題で,担当大臣の一人である北澤防衛省がまた訳の分からないことを言い始めている。読売新聞の報道によると,沖縄県も含めて日米両国で最終合意を得る時期について「県民世論が選挙に表れることを考えれば、知事選以降でないとはっきりしたことは言えないと思う」と述べ,11月に予定されている沖縄県知事選後にずれ込むという見通しを示したというのだ。去る5月の日米共同声明では,8月末までに専門家協議で代替滑走路の場所や工法について結論を出すと明確に合意したにもかかわらずである。北澤防衛相のこの発言について,菅首相も岡田外務大臣も格別異論めいたことを述べていない。
つける薬がない。防衛,安全保障という国の根幹にかかわる事項に関する意思決定を,一つの選挙結果に委ねようとする異常事態である。諸外国は呆れかえっているのではないか。鳩山前首相,民主党政権がこの問題で迷走を繰り返し,大切な同盟の相手方を徹底的に困惑させ,その信頼を喪失させたあの状況は基本的には今も変わっていない。これも本来の既視感(デジャヴュ)とは意味が違うだろうが,このシーンどこかで見たというやつだ。北澤防衛相に尋ねてみたいのだが,11月の沖縄県知事選で基地全面撤去を標榜する候補者が当選したら,この問題をどう処理するつもりなのだろうか。
僕は自民党がこれまで推進し,あと一歩のところまでこぎ着けていた現行案(これを鳩と名のつく人と民主党政権がメチャクチャにしてしまった)は,中長期的に見れば,少なくとも米軍基地に関する沖縄の負担を軽減していくまずは第一歩なのだと理解している。
読売ジャイアンツの対阪神戦は,昨日も雨で中止だった。今のジャイアンツの状況だと,それはそれで良かったのかもしれない。ただ,読売新聞のスポーツ欄で巨人軍の活躍振りを伝える記事がないと何か寂しい。
読売新聞の海外欄に目をやると,中国ではすごいことになっている。記事によると,今から10年後の2020年には結婚適齢期を迎える男性が女性より約2400万人も多くなり,結婚相手を探すのが極めて困難になるそうだ(いわゆる嫁不足)。中国では伝統的な男尊女卑の考え方が根強く,1979年から続く「一人っ子政策」のために,出産前に性別を鑑定して女子なら堕胎するという違法行為が横行し,これがさきほど述べた男女比の著しい不均衡の原因だそうだ。
こういった男性の結婚難の状況を背景にして,女性を誘拐して売り飛ばすなどの犯罪行為が増えており,浙江省では,何と・・・,既婚女性の省外出身者20万人中,3万6000人が誘拐の被害者であったことが判明したという(絶句)。
ゆ,誘拐だと・・・。その被誘拐率は18パーセントに達するということになる。すごいことになっている。わが栄光の巨人軍の元になっている読売新聞が今朝の朝刊で伝えているのだから,そして僕は曲がりなりにも漢字は読めるのだから,この報道は間違いないと思う。
中国は北京オリンピックの開会式の際,雨が降らないようにと,「人工消雨作戦」と称して1104発ものミサイル(ヨウ化銀を搭載したもの)を発射し,雨雲が開会式場周辺に寄ってくるのを阻止した。自然の摂理に反してでもメンツの方を重視したのであろう。日本人のメンタリティーというのは,雨になるのは残念だけど,雨なら雨でしょうがない,雨の開会式もまた一興だ,という風に考えるだろう。また,男の子が生まれるか女の子が生まれるかは自然の摂理のままである。妊娠・出産に際して,日本人のメンタリティーなら,それぞれの家庭で性別についてのなにがしかの希望は一応もっていても,女の子であれ男の子であれ元気な赤ちゃんが生まれてくれば言うことない,と思うだろう。お腹の中にいる段階で性別鑑定して女の子だったら堕胎するなどといったメンタリティーは日本人にはないと信じたい。戦前にアメリカの外交官として中国で仕事をしていたラルフ・タウンゼントという人が書いた「暗黒大陸中国の真実」(田中秀雄・先田賢紀智訳,芙蓉書房出版)という本をかつて読んだことがある。中国は経済成長を続け,GDP世界第2位になりつつあり,オリンピックや万国博覧会も誘致できるまでになったが,この著作で指摘された中国人のメンタリティーそのものは,基本的には変わっていないのではないかと思う。
梅雨の終わりがけは特に降雨量が多いと言われているが,今年はまたよく降る。九州地方,中国地方では土砂災害や冠水などの被害が相次いでいるという。被災された方々には心からお見舞い申し上げます。先日テレビを見ていたら,山口県防府市の水害の模様が放送されていた。そこでふと思い出した。実は昨年の同じ時期にも防府市で集中豪雨による悲惨な事故があり,このブログでも取り上げたことを思い出したのである。防府市は漂泊の俳人種田山頭火の生まれ故郷でもあり,そのブログでは山頭火の句(「雨ふるふるさとは はだしであるく」)を取り上げた。
そうなのか,もうあれから1年も経ったのか・・・。この話題でブログを書いたのがついこの前だったような感覚だったのに。ほんとうに月日が経つのは早い。実感である。
それにしても,わが栄光の巨人軍。選挙のドサクサに紛れて4連敗してしまった。ゴンザレス投手が去年とは打って変わっちゃったし,内海投手も安定感に欠ける。打線は何とかなると思うが,何しろ投手力が去年より低下しているのではないか。先日の甲子園球場での阪神戦も,テレビのスイッチを付けたら途中2-4でリードされていた。あァ,5連敗かよと思っていたら,何とか7-6で逆転勝利。ほっとしたよ。決勝点は長野の3ランであった。長野という選手は,割りと好きな選手である。原監督や僕に似て男前もいいし(笑),やってくれそうな雰囲気がある。ただひとつ気になるのは,バッターボックス内でスタンスをとる位置が,少しホームベースから離れすぎているのではないかということである。外角いっぱいの厳しいコースをつかれたらカットするのが精一杯なのではないか。まァ,これも同選手のやりやすいスタイルなんだから,実績さえ上げればいい訳だけれど。
思いつくままに,今度は床屋さんの耳そうじ後の「ポン,ポン」ってやつについて述べる。先日床屋さんに行った時も,耳そうじの後に耳の穴にフタをして,指で「ポン,ポン」としてくれた。昔からこれにはどういう意味があるのだろうと疑問に思っていた。この動作の意味論について深く考察し,解明のためにもがき苦しみ,明け方まで眠れなかった夜もあった(爆笑)。先日,意を決して床屋さんに尋ねてみた。そうしたら,自分にも分からない,同業者のみんなも昔からやっているからということだった。そうかァー,別に意味があった訳ではないんだ。慣例だったんだー,何かほのぼのしてきた。