今回の選挙で,いくつかの選挙区はとても気になっていた。そのうちの一つが神奈川選挙区であり,僕は千葉景子という現閣僚(法務大臣)の落選を心から願っていた。そのとおりになって本当に良かった。ただ,どうやら菅氏は9月に予定されている民主党代表選後の内閣改造時まで引き続き千葉景子氏に法務大臣を続投させる旨明言している。現行憲法上,内閣総理大臣以外は大臣は何も国会議員である必要はない。しかし僕が選挙前から千葉氏の落選を心から願っていたように,この人は法の執行機関の最高責任者である法務大臣の資格はないと考えている。
この人はバリバリの死刑制度廃止論者であり,その就任後は一度も死刑執行命令書に署名していない。しかし,この千葉という人が議員として,立法論として死刑制度の廃止運動に邁進するのはいいが,法務大臣というのは,さきほども述べたように法の執行機関の最高責任者なのである。死刑制度が現実に存在し,刑事裁判によって死刑が確定している以上は法の執行機関としてその死刑執行命令書に署名しなければなるまい。自分の主義・主張でこれに署名しないということは「不作為」による職権濫用である。そのような主義,主張によって死刑執行命令書には絶対に署名しないと心に決めているような者は,そもそも大臣を拝命すべきではない。大臣としての仕事の一部が絶対にできないことが分かり切っているからである。
またこの千葉という人は,菅という人ともども,北朝鮮による日本人拉致実行の容疑者の釈放嘆願書に署名している。これは本人らが認めていることである。全く論外である。その他,この千葉という人のこれまでの歪んだ歴史認識に基づいた反日的な諸活動の数々は,ウィキペディアに詳しい。こういう人が議席を失ったことは,何よりである。それにしてもこういった人たちが重要閣僚を構成しているなんて(ちょっと前までは「社会主義インターナショナル副議長」の社民党の福島という人が連立により大臣に任命されてもいた),民主党というのは一体どんな政党なんだろう・・・。
あとは山梨選挙区の結果はいただけない。輿石東という日教組のドンみたいな存在の落選を心から願っていたのだが,これは果たせなかった。残念である。
こういう風にブログで書いていると,この人は他人の落選ばかり願っているネガティブな人なのかと思われそうだが,決してそうではない。現在の日本を憂えている国士のようなしかるべき人には国会で大いに活躍して欲しいのである。今回も心から応援していた候補者の中には,当選を果たした人もいるし,残念ながら落選した人もいる。
きのうの参議院議員選挙には僕も投票に行った。危機感を感じていたからである。選挙告示後は,さすがに僕もこのブログで政治的な意見をガンガン言うのは差し控えてきた。でも今度の選挙が極めて重要な意味を持っているということだけは言いたかった。
というのも,今回の参議院議員選挙が終わると,参議院議員の次の改選期まではあと3年ある。衆議院議員はというと,任期が4年で昨年夏に選挙が行われたばかりだから,国民に信を問うべき「政局」でも現れない限りはあと3年程度は衆議院議員選挙がない。3年というと,民主党という危険な政権与党が,議員立法であれ政府提出法案であれ,国民生活に直結するような重要な法案を成立させ,制度化していく十分な期間となる。それがとても恐かったのである。
奥歯にものがはさまったような言い方はやめて,はっきり言うと,永住外国人地方参政権付与法案,選択的夫婦別姓を可能にする民法改正案,人権侵害救済機関設置法案の3つについて,民主党内では法案の提出が予定されていたのであり,これらが成立してしまえば由々しき事態になってしまう。選挙前何よりも僕が不納得だったのは,民主党という政党は,これらの法案提出ないし準備を積極的にすすめ(地方参政権付与法案にいたってはこれまで15回にわたって実際に法案提出をしてきた),現担当大臣やその政党の上層部が積極論者であるにもかかわらず,そして現に法案提出を推進しているにもかかわらず,ことさら今回の選挙用のマニフェストから「除外」しているということである。票が逃げたり,国民的な議論,争点になることを恐れてとしか言いようがない。卑怯である。武士道精神に反する(笑)。
いや,笑い事ではない。ジョン・レノンの「イマジン」ではないけど,こういった法案がことごとく通り,制度化されてしまった後のこの日本の姿を「想像してごらん」。戸籍制度や家族が崩れ,地方公共団体によっては日本の国益に反する事態が発生し,「人権侵害救済」の美名の下に正当な言論が抑圧され,もはや国の体を為さないような状況になってしまう。
とりあえず,改選・非改選を含め,参議院では民主党系が110議席,自由民主党を中心とした野党系は132議席となったことは評価できる。まずは民主党単独で過半数などといった由々しき事態が回避できたことは何よりだ。でも,132議席の中には公明党,共産党,社民党などといった政党の議員も含まれている。したがって,日本という国を内側から解体してしまう,先ほどのような3つの法案が提出された時にはまだまだ予断を許さない。それにしても,民主党に厳しい結果となった今回の有権者の投票行動は何が要因となったのであろうか。菅氏が消費税に言及したからであろうか,それとも民主党という政党の危うさにやっと気づいたからであろうか。もしも消費税増税はいかなる意味でも絶対にイヤ,でも「子ども手当」は満額ちょうだいというのだったら,もうこの国はダメだ。もしそういうことなら,今の日本はローマ帝国が「パンとサーカス」で滅んでしまったのと似ているからである。
僕がかつて大所帯の法律事務所で勤務していた頃は,同僚の弁護士と連れだってよくランチに行ったものだが,独立した現在は,「ぜんまいざむらい」の弁当箱に入った弁当を食べる時以外は,一人でランチすることが圧倒的に多い。確かに,最初の頃は一人で食べるのは何かしら苦手な面もあったが,最近では慣れてしまった。日によってはむしろ気楽でいいとさえ思う。
でもね,週刊誌で読んだんだけどね,信じられない現象が起こっているんだって。「便所飯」という現象が若者の間に広がっているんだって。学生食堂や社員食堂で一人でさびしく食べている姿を同級生や同僚に見られたくないばっかりに,トイレで昼食を済ますんだと。どうやら,そういう行動をとる人は,一人で食べているような人は友達がいない=最低な人間だと思いこみ,そんな評価を受けるんだったらいっそのことトイレで食べた方がマシだという発想をするらしい。
・・・・・信じられない。人の目を気にしすぎだ。もっと武士ならば武士らしく堂々とせよ(笑)。僕なんかは,何やらトイレ独特のにおいや不衛生な雰囲気の中で食事するのと,一人で食べているところを見られるのとどちらがいいかというと,全く選択の余地がない。一人で食って何が悪い!トイレでメシ食うくらいなら,いっそのことコーヒーか牛乳を飲んで一食抜く方がマシである。
ランチついでにもう一つゴーマンかます。先日いつものように一人ランチのために行きつけのそば屋に行った。お一人様用に丸く細長い10人くらいが座れるテーブル席がある。大好きな海老おろしそばを食べていると,向かい側に僕と同じか少し上の年齢と思われる会社員風の男の人が座った。その人は,その店に置いてあったマンガを読み始め,注文の品が来てもマンガを手放さず,終始食べながらマンガを読んでいた,あるいはマンガを読みながら食べていた。箸で食べ物を口に入れながら,目はマンガの方へ・・・。とても見苦しかった。分別盛りのいい大人があんな食べ方をするものではない。こういう人は自分がそんな振る舞いをしているのだから,家庭内でも自分の子にロクな躾ができていないだろう。余計なお世話だって?・・・余計ではないっ(笑)。
最近,ちょこっとブログの更新率が低くなっている。弁護士のブログの割りにはまめに更新している方だとは思うけど,それでも今までよりはサボることが多い。仕事が本当に忙しいのである。目が回るくらいである。めまいが起こったらイヤだな。今の僕の業務量の多さからすれば,うちの事務所に若い弁護士さんを迎え入れても良さそうなのであるが,いざ迎えるとなると経営のことや相性のこともあって二の足を踏んでしまう。いまどきは,やみくもに司法試験合格者を増やしており1年間で2000名を超えている。そんな訳で,司法修習生を経てせっかく弁護士になったのに就職できないという人も増えている。僕の事務所でも是非採用して欲しいという圧力はかかっているのだけれど・・・。
近況といえば,僕が最後に人間ドックを受けてから2年が経とうとしている。これまでは年に1回は受けていたのだが,ここのところ足が遠のいている。人間ドックを受けるのが少し恐ろしくもあるのである。腹部エコー検査の時にこそばゆくて笑い出した前科が何度もあったり,胃部バリウムX線検査の際の発泡剤のゲップを我慢しきれにすぐにゲップした前科が何度もあったけれど,今度もそんなことになるのではないかという心配などからではない。実は,ロータリークラブの夜のお付き合いがあったり,その他の会合でお酒を飲むことが多くて,どう考えても不摂生をしていて,検査結果や数値に直面する勇気がないのである。でも,ここ数か月は摂生に心掛けて,再び人間ドックは受けてみようとは思う。
近況といえば,年齢だからしょうがないとはいうものの,髪の毛が少なくなってきている。年相応ということならば仕方ないけど,やっぱり気にはなる。熾烈なハゲ競争(少しでもその進行を遅らせるという意味)でデッドヒートを繰り返しているライバルのY弁護士の近況はどうだろうか。引き離されてでもいたら・・・。今度逢うのが恐い(笑)。でも,仮に僕がリードを許していたとしても,彼は僕より相当若い。その意味では自己を正当化できる要素がある(笑)。
「墓標なき草原(上・下)-内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録」(楊海英著,岩波書店)という本を読んだ。昨晩読み終えたのだが,今でも得体の知れない心の動揺がある。この本の内容は,そのサブタイトルが示すとおりであって,内モンゴル自治区における被害者及びその遺族の慟哭が聞こえる。
この本は,著者自身の実際の体験だけでなく,むしろその内容の中心となるのは内モンゴル自治区に出向いて歴史の生き証人にインタビューして得た貴重な証言である。これは決してプロパガンダなどではなく,歴史の真実なのであろう。実際にその生き証人が見聞きしていなければ表現できないような具体性と迫真性をもっている。
中国共産党による文化大革命とは一体何だったのか,とりわけ内モンゴル自治区におけるそれは何だったのか。この本の終わりにある「視座 ジェノサイドとしての中国文化大革命」や「おわりに」の箇所に要領よくまとめてある総括部分が圧巻であるし,非常に説得力がある。平成16年7月に中国で開催されたサッカーアジアカップにおける日本人及び君が代に対するブーイング,食料やペットボトルの投げつけ,暴言,平成17年4月の北京における反日暴動で日本大使館の窓ガラスが割られたり,日本料理店が襲撃された事件,平成20年に長野・善光寺一帯を埋め尽くした中国人による威圧と乱暴,これらの事件を見聞きするにつけても,そこに「造反有理」を叫んだ文化大革命の紅衛兵の亡霊を見るのである。
この本は岩波書店から出版されているが,これは少し意外だった。いずれにしても,この本は一読に値するし,強くお勧めしたい。
新聞報道によると,福岡県久留米市で5歳の女の子が首を絞められて殺害された。その母親が殺人の疑いで逮捕されたとのこと。本当にやり切れない記事である。この母親の虐待は既に昨年末ころから住民に通報されていたようだ。車内に放置されたり,駐車場でこの母親が被害者の女の子を足蹴りしているところを目撃され,市に通報されている。何故この子を救えなかったのだろうか。こんなことをされるために生まれてきたのでは決してないのに。
今回の殺人事件は6月27日に発生したとのこと。新聞記事によると,次のように記載されていた(読売新聞)。
「6月23日には、萌音ちゃん(被害者のこと)が通う託児所から『2週間前、萌音ちゃんの首に絞められた跡のような傷があった』との情報が市に通報されたが、市や児相は『2週間も前の話だから緊急性はない』と判断し、萌音ちゃんを保護しなかった」
・・・・・もはや何をか言わんやである。仮に2週間前の出来事であったとしても,首に絞められたような跡があったことが現認されているのだよ。そもそも虐待というものが残念ながら反復継続して繰り返される性質のものだということすら,市や児童相談所の担当者の頭の中にはない。想像力がない。この子がかわいそうだという共感力もない。全く絶望的な対応である。
それと,そのような通報内容を耳にしていながら「緊急性がない」などと判断した市や児童相談所の担当者は,実は卑怯なのだと言わざるを得ない。「卑怯」という言葉を国語辞典で調べると,「勇気がなく、物事に正面から取り組もうとしないこと。正々堂々としていないこと。また、そのさま。」などとある。児童虐待の防止等に関する法律というのがある。そこには,通告,立入調査,臨検,警察への援助要請,一時保護,施設入所措置,親権制限などの定めがある。せっかくこういう制度があり,しかも今回のように現実に通告がなされているにもかかわらず,しかも2週間前とはいえ首に絞められた跡があったとの情報が提供されているにもかかわらず,当の担当者自体が卑怯ならばどうしようもない。怠慢,卑怯ももういい加減にして,真剣に再発防止に取り組むべきである。
あー,暑いなあもう。僕ももう年だ。正直言って,夏を越すのは辛い。日中に移動するときは自慢の男性用日傘を愛用しているが・・・。
先日,裁判所からの帰り道に愛知県護國神社の前を通ったら,「夏越の大祓」という表示があった。へぇ,「夏越(なごし)」という言葉があったのか。夏越の大祓というのは,毎年6月の晦日(30日)に執り行われる神事のようだ。炎熱の夏を迎えて荒廃しがちな心を清め,また,人間も作物も何とか無事に一夏を越せますようにと祈るのだ。またこの時,茅輪(ちのわ)くぐりも行われる。やはり,夏を越すという言葉があったのだねぇ。辛いのは僕だけじゃないんだ。
今日も梅雨の晴れ間が広がりそうだけれど,梅雨はジメジメして何となく気分がすぐれないし,体がだるく感じる。雨自体は嫌いではないけど,湿度が高いのは体にこたえる。おとおいだったか,車を運転して仕事先まで向かう途中で,ラジオで「てるてる坊主」の童謡が流れていた。てるてる坊主は僕も小さいときに作って,軒先に下げたことがある。でもこの童謡の3番目の歌詞を耳にした時,エッ,と思った。その3番目の歌詞はというと,
「てるてる坊主 てる坊主 明日(あした) 天気にしておくれ それでも曇って 泣いてたら そなたの首を チョンと切るぞ」
そういえば,僕も幼い時にこの歌詞を知って「エッ」と思った記憶がある。久し振りの「エッ」であった。ただこの歌の童謡としての価値は十分で,人口に膾炙している。
あー,暑いなぁー。あー,スイカ食べたーい。あー,めちゃくちゃスイカ食べたい。よーし,こうなったらどんな卑怯な手を使ってでもスイカを手に入れ,今日は絶対スイカを食べるぞー(笑)。