去る金曜日は仕事の関係で大津に行ったのだが,住みやすそうななかなかの町だった。大津は東海道五十三次の宿場だったのだが,よく調べてみるとその次の宿場はもう京都の三条大橋なのである。実際に新幹線を利用して京都まで行き,ローカル線に乗り換えると,京都から約9分で大津に到着してしまう。すごく京都に近い町なのである。
大津駅に着いたのがちょうどお昼どきだったので,駅に近いビルの中にある手打ちうどん・そばのお店に入った。「三喜」という屋号のお店で,鶏そぼろごはんとそばがセットになったメニューを注文した。老夫婦が一生懸命に厨房内で働く姿に好感がもてた。ごちそうを食べながら,でも何で「三喜」という屋号なんだろうと思っていたら,割り箸が入っていた紙の袋にヒントがあった。そこには「父母私 三人が 舌鼓み」とあった。なるほどね。
その後は,現地でお仕事。これも無事に終了。あとは現地でゆっくりしようかなと思ったのだが,この日は午後6時から名古屋で会合が予定されていたため,あまりゆっくりもできない。そこで思い立ったのが,せめて琵琶湖を眺めようということである。大津でのお仕事の先から琵琶湖までは歩いても20分くらいの距離だった。かばんは重かったが,琵琶湖周辺をゆっくりゆっくりと歩いた。いい町だなと思った。道行く人もなぜかみんな穏やかな表情なのである。精神的にゆとりのある表情なのである。地図で見ても,琵琶湖は滋賀県のど真ん中に堂々と位置している。琵琶湖は滋賀県民の心を一つにまとめるような何かがある。湖畔の町大津は,特に住民が共通して感じるアイデンティティーの一つとして琵琶湖があるのだろう。
琵琶湖散策の後は,ちょこっとだけ旧東海道も覗いた。往年の面影を感じたいのであれば,むしろ浜大津の方が良いのであろう。この日はもう時間がなかったので,帰途についた。午後6時からは名古屋でちょっとした宴会だったのだが,京都から名古屋へ向かう新幹線の中で,フライングしてビールをいただいた(おつまみは鯛ちくわであった)(笑)。
今日は仕事の関係で滋賀県大津市まで出かける。これまで長浜や彦根に行った記憶は確かにあるが,大津はどうだったかな。でも調べみると大津というのは,天智天皇が近江大津宮に遷都して以来の長い歴史をもつ古都なのだ。ところで大津で連想したのは,どういう訳か新撰組の山南敬助のことである。
山南敬助は近藤勇の試衛館時代からの人物で,新撰組を語るときには欠かせない。しかし,この山南敬助の最期には諸説がある。新撰組には局中法度があって,隊からの脱走は切腹となる。巷間よく言われているのは,山南敬助が,局長近藤や副長土方との路線の違い(尊皇攘夷のとらえ方,屯所の西本願寺への移転問題など),参謀伊東甲子太郎の加入による相対的な地位低下などにより新撰組を脱走し,追っ手となった沖田総司が大津宿で山南を発見して京都の屯所に同道し,切腹して果てたというものである。数年前に好評を博したNHK大河ドラマ「新選組!」でもそのように描かれていた。
私は,新撰組の個々の隊士は割と魅力的に感じるのだが,特に山南敬助がとても好きである。新撰組の中ではそこそこ学問もあり,人格円満で対外的な交渉力もあり,小野派一刀流免許皆伝(その後北辰一刀流)の腕利きで毅然とした対応もとることのできる人物である。その切腹の際の見事な態度は語りぐさとなっている。
さきほどの説に立脚するとして,大津宿で共に一泊した山南と沖田はどんなことを話したのであろうか。昔話だろうか,それとも今後のことであろうか・・・。山南は「脱走」の前に「江戸に行く」との置き手紙を残していたという。しかも,よりによって京都から近い東海道大津宿を経由し,追っ手に発見されやすい状況も厭わなかった。彼は本当に「脱走」の意図があったのだろうか。追っ手に捕まったら今後のことをじっくりと局長近藤らと話し合いたかったのではないか。謎が残る。
最終的には切腹となったのだが,彼は介錯を沖田総司に頼んだ。沖田に対するあつい信頼があったのだろう。今日の大津旅行は,山南敬助を偲びながらの小旅行となる。
中国の紙幣は人民元札のようだが,私は今までに一度も手にしたことがないので正確なことは知らないが,人民元札の肖像はいずれも毛沢東のようである。この人物は,現在では中国でどのような評価を受けているのであろうか。具体的には,中国の独裁政権を維持している中国共産党では毛沢東をどのような人物だったと総括しているのか,また,民衆レベルではどんな評価なのか,少なからず関心がある。でも,紙幣にその肖像が載る訳だから,それはそれはかの国では高く評価されているのであろう。
読み終えるのに少し時間がかかってしまったが,「毛沢東の私生活(上・下)」(李志綏著,アン・サーストン協力,新庄哲夫訳,文春文庫)という本を読破してしまった。毛沢東を評価するに当たっては,彼が指導者として重要な役割を果たした歴史的事実,たとえば,百家争鳴・百花斉放運動(「反革命分子」のおびき出し),大躍進(どだい無理な政策・目標設定による約2000万人とも言われる餓死者の発生),文化大革命(果てしない権力闘争と大量の殺戮,政治的混乱と文化破壊など)の評価を抜きにして語れないし,これらの点については既に多くの著作がある。でもこの毛沢東の私生活ぶりについてはどうか。中国共産党によって神格化が図られ,その権力維持のためには明らかにできないような私生活面での情報はヴェールに包まれていたのである。
この本は,毛沢東の主治医として約22年間も身近で接することを余儀なくされてきた李志綏博士という医師が書いた本である。ごく身近にいた人間でなければ知り得ず,語り得ない内容が多く含まれている。この本の中には「解題 毛沢東とは何だったのか-本書に寄せて-」というアンドリュー・ネイサン(コロンビア大学教授)の論考があり,次のような記述がある。
「史上、毛沢東ほど数多くの人々の上に、それもあれほど長期にわたって権力をふるった指導者はほかにいないし、また自国民にあれだけの破局をもたらした指導者も皆無である。毛沢東のあくなき権力欲と裏切られることへの恐怖は、足もとの〝身内〟や国家を混乱の坩堝に陥れつづけた。毛沢東のビジョンと手練手管は中国を「大躍進」とその戦慄すべき結末である大飢饉や「文化大革命」に突入させ、数千万人の死者を出したのだった。そればかりではない。二十二年間も主治医として務めた人物によるこの回想録で語られている毛沢東と同じくらい、親しく観察された指導者がほかにいただろうか。・・・現政権は今なお毛沢東の公式イメージという間接照明によって統治しているのである。いかなる公認された回想録を見ても、李博士のそれと同じような真実の響きを持った毛沢東像は描かれていない。本書はこれまで毛沢東について書かれたもののなかで、またおそらくは歴史上のどんな独裁者について書かれたもののうちでも、もっともわれわれの蒙を啓いてくれる本だ。」(同書510頁,522頁)。
ページ数が多くてとても大変だけれど(笑),一度は読んでみてもいい本だと思う。
名古屋グランパスがとうとうJリーグ発足18年目にして初めてリーグ年間王者に輝いた。優勝してくれたのである・・・・・うれしい(涙)。
私が名古屋出身であるにもかかわらず巨人ファンであるのは,それはもう幼少時代に長嶋茂雄選手の勇姿にワクワクして以来だから,これは仕方ない。これからも巨人ファンをやめるつもりはないし,やめられないのである。でも,サッカーのJリーグはというと,地元ナショナリズムとでもいうべきか,Jリーグ発足時から名古屋グランパスのファンだった。心から応援し続けてきた。
でもグランパスの船出,そしてそれ以降の航行は苦難の連続であり,リーグ下位に低迷していた。イングランドからは鳴り物入りでゲイリー・リネカーが入団したが,右足親指付け根の古傷があり,年齢的にもピークは過ぎていたため,ストライカーとしてはチームに貢献できたとは言い難い。2年目はリネカーと同じイングランド出身のゴードン・ミルン監督(確か当時はトルコリーグのベシクタシュの監督だったと思う)を招聘して臨んだが,ダメだった。当時は年間の前半はサントリーシリーズ,後半はニコスシリーズと呼ばれていたが,この年のニコスシリーズでは最下位に沈んだ。あーあ,という感じ。まあ,最初の2年間はリネカーにこだわりすぎたのだと思う。
当時司法修習生だった私は,地元での実務修習を終えて司法研修所に戻った。翌年の弁護士登録に向けて試験勉強をしなければならないのだが,来シーズンに向けての名古屋グランパスの補強の情報が気になっていた。その頃である,翌年度からはアーセン・ベンゲル監督を招聘するという情報に接したのは。サッカー評論家のジャック・ティベールが高く評価し,ベンゲル監督肝いりの選手(デュリックス,パシ,トーレスなど)の補強も着々と進んでいた。前年に入団したドラガン・ストイコビッチ(現監督)もかつてベンゲル監督の母国フランスリーグ(オリンピック・マルセイユ)でプレーしていたから,それはそれは大いに期待した。私もベンゲル監督時代はしょっちゅう瑞穂陸上競技場に足を運んで観戦したが,いいサッカーをしていた。4-4-2の布陣でディフェンスラインを上げてコンパクトにし,相手にスペースを与えず,高い位置からプレスをかけてボールを奪い,ワンタッチ・ツータッチの球離れの良さ,サイドチェンジの多用など,当時ヨーロッパを席巻していたモダンフットボールだった。ベンゲル監督が在籍したシーズンは3位と2位と好成績を収め,天皇杯も制した。
でも,それからのグランパスは万年中位のような感じで鳴かず飛ばずであり,Jリーグ発足時に「お荷物球団」と不名誉な言われ方をした同期入社の浦和レッズもガンバ大阪も年間王者に輝いたというのに,名古屋グランパスは年間リーグ優勝の栄冠は得られないままであった。私が瑞穂陸上競技場に足を運ぶことはなくなってしまった。
それがとうとう今年ようやく念願のリーグ優勝を果たしたのである。本当にうれしい。年間王者に輝くということは,クラブチームとしても選手としても大きな自信になるだろうし,これからも毎年上位で優勝争いのできるチーム作りをしてほしい。ストイコビッチ監督が高々と優勝盾をかかげている直ぐ近くに,見覚えのある顔があった。トヨタ自動車の豊田社長である。リコール問題で米国の公聴会で証言せざるを得なかったあの豊田社長である。そうだ,トヨタ自動車はグランパスの最有力スポンサーだった。
グランパスの初制覇の報に接したアーセン・ベンゲル氏(イングランドプレミアリーグのアーセナル監督)のコメントは次のようなものである。
「名古屋とは今でも連絡を取り合っている。彼らの決断などについて話をしているんだ。わたしは名古屋で仕事を始めたし,個人的にこれは非常にハッピーなことだ。とても誇りに思う。彼らにとって偉業だし,祝福したいと思う」
本当に度し難い連中である。柳田法相の国会軽視発言といい,仙谷なる確信的反日左翼の「暴力装置」発言といい,本当に腹に据えかねる。
この仙谷なる男は,参議院予算委員会で,国を守るべき職責を有する自衛隊を「暴力装置」と表現したのである。産経新聞でも指摘されているように,「暴力装置」という言葉はもともとドイツの社会学者マックス・ウェーバーが警察や軍隊を指して用い「政治は暴力装置を独占する権力」などと表現した。それをロシアの革命家レーニンが「国家の本質は暴力装置」などと,暴力革命の理論付けに使用した。このようなことから,かつて日本の全共闘運動などでは主に左翼用語として流行した。もともとこの仙谷なる男は,あろうことか現在ではこの国の官房長官の座を占めているが,その学生時代は日韓基本条約反対デモなどに参加し,「フロント」と呼ばれる社会主義学生運動組織で活動していたのだから,「暴力装置」なる左翼用語は体の随まで浸透していたのであろう。民主党政権というのは,所詮そんな連中の集まりなのである。
でも,官房長官という立場は,有事の際には自衛隊への出動命令などに関与する重要なポストである。現在の自衛隊が,実態としてウェーバーの指す「暴力装置」に当たるのかもしれないが,だからといって,国会という場で,あたかも否定的な価値判断を含むかのような文脈で「暴力装置」なる表現をすることは極めて不当であり,自衛隊員に失礼である。宮崎の口蹄疫問題が発生した時,自衛隊員は炎天下で隊服の上にさらに防疫服を着て汗水たらして黙々と家畜の処分に従事していた。震災の時などの自衛隊員のがんばりは被災地の住民からも高く評価されている。インド洋沖の給油活動も諸外国から高く評価されていたのである。こんな仙谷なる反日左翼に「暴力装置」呼ばわりされたからといって自衛隊員の士気が低下するとは思いたくないが,彼らに対する敬意を欠く不当な言説である。
柳田法相や仙谷なる男は,国会内での暴言を指摘されて,形ばかりの謝罪と撤回をしたが,こういった問題は実はその者の有する体質,資質の問題なのであり,資質そのものは謝罪や撤回したところでどうしようもないのである。
昨日,2年ぶりに人間ドックを受けた。いろいろな検査種目があるが,ようやく自分の一番苦手な検査種目が何なのか,この日はっきり分かった。腹部エコー検査である。どうしても途中で笑うというか,吹き出してしまうのである。悪気は全くないのだが,検査をしてくれている医師に対しては誠に失礼な話である。前にもこのブログで書いたが,私は,状況的に絶対に笑ってはいけない時にはかえって強迫観念が高じて,結局は笑ってしまう性質の人間なのである。
腹部エコー検査のこの時の担当者は,2年前と同じ年配の男性医師であった。2年前の時も笑ってしまって気まずくなったので,今回も笑ったら嫌だなと思って診察台に横になっていた。いよいよ始まったが,結局は2,3度吹き出してしまった(笑)。私はそういう星の下に生まれてきた人間なのである。笑っちゃいけないと思うと笑っちゃうのである(笑)。だって,どうしてかというと,特にこの腹部エコーの担当医師は,被検者に息を吸い込んで腹部をふくらませる指示をする時に,「はい,おなかポーン」,「おなかポーン」,「ポーン」って言うのだ(笑)。もう少し別の言い方をしてくれたっていいのに(爆笑)。感覚的には分からなくもないが,でも何で「ポーン」なんだ?
まあ,幸い腹部には異常はなかった。それに,胸部X線撮影検査の際も,誠に不謹慎ながら側面撮影の時に笑ってしまった(笑)。だって,この男性レントゲン技師の人は,被検者に指示する時の声と言い方が歌舞伎役者のようなんだもの(爆笑)。正面撮影の時は何とか笑わずに必死で我慢したが,側面の時は「息を止めて」と言われたにもかかわらず,撮影中に2度にわたって笑ってしまった(爆笑)。これは絶対怒られるだろうな,撮り直しだろうなと思ったら,不思議なことに何のおとがめもなく終了した(笑)。
人間ドックの最終的な検査結果は後日突きつけられるが,当日分かった数値を見ると,予想したほど不健康ではなかった。大切な検査中に笑ってしまうという精神状態こそが不健康なのかも・・・。
なお,身体測定の時に機械で計った私の身長は171㎝だった。それで思い出したのは,かつて私が所属していた比較的大人数の事務所の同僚弁護士の面々のことである。私が独立する数年前から,割と小柄な弁護士,たとえばK弁護士,H弁護士などが続々とその事務所に入って来た。それまでは最も小さかったN弁護士が鬼の首をとったようにその後輩の小柄の弁護士との差別化を図り,150㎝台後半と思われる各後輩弁護士を前に自分は「164㎝ある」と声高に主張していた。返す刀で,そのN弁護士は,正真正銘171㎝ある私に対して,「本当に171㎝あるんですか?もう少し小さいんじゃないですか?」などと言いがかりをつけたこともある。要するに,四捨五入しても170㎝台に到達しないうっぷんをはらそうとしていたのかもしれない(爆笑)。大人の私は全く取り合わなかった。一方,同じ事務所にいたY弁護士は,確かに一番背が高いことをいいことに,自分の身長を178㎝と吹聴していた。しかし後日,それが実際には174㎝しかないことが発覚した。こともあろうに,大胆不敵にも4㎝もゲタを履かしていたのである。弁護士は,人権擁護だけでなく「社会正義の実現」という重要な使命を担っているのに,この始末である。まあ,N弁護士の164㎝については実は今でも疑念をもっているが,私の身長が171㎝であるという厳然たる社会的事実は,昨日の人間ドックで改めて証明されたのである。
先頃開催されたAPECの日中首脳会談の様子を見せられて,私は心底,民主党なる綱領なき政党による政権に絶望した。実際にはもっともっと早くから絶望しているのだけれど(笑)。それにしても,政治家としての菅直人という人の見苦しさといったら,もう見るに堪えない。本当に唾棄すべき政権である。
日中首脳会談の冒頭の部分が映像で流されたが,この菅という人は,「ようこそお越しくださいました」的な前口上でさえも,相手の目を見ることなく,頭を垂れて,あろうことか原稿を読んでいるのである。プレス関係者を部屋から出して実際の中身の議論に入る段階では,時には手元のメモ等を読むこともあろうが,カメラを前にした段階で(当然全国にその様子が映像として流れるというのに)頭を垂れて原稿を読むとは・・・(苦笑)。こういったシーンを見るにつけても,民主党政権の外交というものは巷間揶揄されているように,正に叩頭外交なのである。恥を知るべきである。この男はいやしくも(国民にとっては誠に不幸なことであるが)内閣総理大臣という日本の代表でしょう。首脳会談ならば相手の目をしっかと見据えて,堂々たる態度で臨まないでどうするのだ。
沖縄県では近々沖縄県知事選挙が実施される。現職の仲井真弘多知事と,前宜野湾市長の伊波洋一という候補との事実上の一騎打ちだと言われている。この伊波洋一という候補は社民党や共産党などが推しているが,この伊波という人の新聞記事におけるインタビュー記事を読んで,すごく違和感を覚えた。もう約1か月も前のことになるが,10月22日の読売新聞の朝刊には,この人の発言内容として次のようなものが掲載されていた。
「沖縄の米海兵隊を米領グアムに(全面的に)移転し、基地はなくすべきだ。」
「今の日米安保条約は時代錯誤的だ。日本は同盟深化より日米平和友好条約の締結を視野に入れるべきだ。」
「沖縄は明治時代、日本に併合されるまで中国と朝貢などの関係があり、中国はとても身近に感じる。(政府が検討中の沖縄の)先島諸島への自衛隊配備には反対だ。」
この伊波洋一という人は,中国が根拠もなく不法にも尖閣諸島は中国領だとの主張をしているのに,そんな中国をとても身近に感じるようなのだ(笑)。尖閣諸島は紛れもなく石垣市に属し,沖縄県の一部なのですよ。有事の際にはどうやって沖縄県を守ろうとしているのだろうか。こういう人が沖縄県知事の候補なのであり,とても違和感を覚える。
明日は2年ぶりの人間ドック。検査結果を突きつけられるのがとても怖い(笑)。
安倍晋三氏は第90代内閣総理大臣であり,きのう日曜日の昼下がり,名古屋で講演をされるということで私も拝聴した。演題は「国家主権の確立と東アジアの安定」というもの。会場は静かながらも熱気というものがあり,どの来場者も現今の民主党政権の亡国的外交と日本の行く末を憂えている人たちだったと思う。
第一次安倍内閣は「お友達内閣」などと揶揄された面もあったが,私は今でもその目指した方向性は間違っていなかったと思う。安倍晋三氏が唱えた戦後レジームからの脱却,これは極めて重要なことだ。GHQによるWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)と焚書,空想的平和主義を標榜する現憲法の下,軽武装経済至上主義で日本は経済復興は見事になし遂げたが,精神的な復興はまだなされていない。それが戦後レジームからの脱却ということだと思う。要するにまずは普通の国になるということ。
第一次安倍内閣は,約1年の短い間ではあったが,憲法改正国民投票法の制定,教育基本法の改正,防衛庁の防衛省への昇格などなど,多くの実績を上げている。この人はまだ若く,何とか自由民主党を立て直して欲しいと思う。もういくら何でも,そしてさすがに,民主党に政権を取らせてしまうことのリスクを国民はいやというほど分からされたに違いない。えっ?まだピンとこない?それは変だよー(笑)。
一方,自由民主党については,今後仮に一時的に数は減るとしても立党の精神に立脚できる人材ばかりに純化していかなければならない。なぜならば,左翼が牛耳っている民主党の議員と何ら変わりがない議員が自由民主党の中にもウヨウヨいるからである。安倍晋三氏には,何とか自由民主党の中核となり,それなりの憂国の士を糾合し,この日本を徐々に立て直してもらいたい。この日の安倍晋三氏の講演の締めくくりでは,日本の教育の立て直しに言及された。正にそのとおりである。教育こそ国家百年の大計である。
他人の食べ物の好みなんか知りたくもないとお思いでしょうが,今日は僕の嫌いな食べ物のことが話題です。彼らに全く罪はないが,僕の嫌いな食べ物は,内臓(ホルモン,レバー,砂肝など),フグの白子,ホワイトアスパラ,なまこ,・・・そしてギンナンです(笑)。
僕はこれまでのところギンナンで失敗したことはない。失敗という意味は,うっかり食べてしまうということである。ギンナンの生息地はたいていの場合は,茶碗蒸しの底の方である。これまではスプーンで首尾良く探し出し,誤食(笑)を未然に回避してきた。自慢じゃないが,これに失敗したことはない。
しかし先日,多くの目上の人たちと夕食と会話を楽しんでいた際,惨事が起こった。こういった料理の名称は知らないのであるが,縦型のスープカップの口をパンで屋根のように覆ってあり,その中に美味しいスープが入っているという料理である。そしてパン製のドーム状の屋根をスプーンで崩し,それと一緒に中のスープを味わうのである。話がはずみ,しかも相手は目上の人が多かったので,このスープに対する注意力が散漫になってはいた。
そう,・・・とうとうやってしまったのである。中にギンナンが生息しているとはつゆ知らず,とうとう誤食(笑)してしまったのである。こうなったら,いったん口に入れた天敵ギンナンをはき出すわけにはいかない。人の目もあるのである。・・・飲み込んだ。ところが,その後がいけない。また油断してしまい,スープカップの底にもう一つのギンナンが生息していることにも気づかず,一度ならず二度までも誤食(笑)し,これまた飲み込まざるを得なかったのである。
ギンナンというものは,何も茶碗蒸しの中だけに生息しているわけではないという冷厳な社会的真実,これを肝に銘じた秋の夜長であった(笑)。
最近の読売新聞の報道によると,菅内閣の支持率は35%,不支持率は55%であるという。この状況下にあっても,未だに35%の人々が支持しているという事態が全く信じられない。菅直人という人の近頃を見ていると,もう,いっぱいいっぱいなのであろう。この人は市民運動家であり,それ以上でもそれ以下でもなく,一国の宰相としての資質・能力には明らかに欠けている。ただ少しでも長く総理大臣でいたいだけの人間である。
この人は対中国との関係に言及する時,バカの一つ覚えのように,「戦略的互恵関係」を維持,発展させていくと繰り返している。では逆にこの人に対し,「じゃ,中国との戦略的互恵関係とはいったい何を意味するのですか?」と改めて問うた時,ちっとも説明できないのではないかと思う。今の菅内閣のどこに戦略というものがあるのだろうか。尖閣諸島に対する紛れもない日本の領有権が中国によって不当に脅かされている局面で,どこに互恵関係というものがあるのだろうか。
この人は,恥ずかしげもなく「官邸に情報が集まらない」などと愚痴をこぼしているが,こんなことを諸外国の要人や諜報機関が耳にしたら,ほくそ笑んだりあきれかえったりするだろう。「政治主導」などと大見得を切ったものの,実際には官僚やその有する情報をうまく使いこなせず,副大臣や政務官らとともに,情報や人脈,戦略から隔絶している。さらに悪いのは,傲岸不遜の確信的反日左翼である仙谷なる人間に官邸を牛耳られ,ことごとく国益を害していることである。この男は,国会の答弁で「日本の中国への属国化は今に始まったことではない」などと信じがたいことを平気で述べているのである。これまた,政府要人が国会でこんな答弁をしている事実を諸外国の首脳が耳にしたら,もう日本なんか相手にしないであろう。こんな連中が日本の政権の中枢に巣くっているのである・・・。もういいかげんに,日本は普通でまともな国にならなければならない。異常な事態に長く置かれていると,異常な事態が普通となってしまい,本来あるべき正常な状況が忘れ去られてしまうのである。
尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件における映像が漏洩した件について,この政権は犯人捜しや原因究明を最優先としている。一般論として,機密管理は強化すべきであるが,少なくとも中国漁船衝突事件における映像が漏洩した件については,犯人捜しや原因究明だけの問題に矮小化してはならない。真実を正確に伝える映像そのものをひたすら国民の目から隠そうとしたその行動こそ責められるべきである。事件の初期段階において広く公開すべきであったのである。それでこそ日本の正当性が全世界に説得力をもって示すことができたのだし,中国がとった一連の措置(レアアースの輸出制限,邦人社員を人質に取るかのような身柄拘束,謝罪と賠償要求などなど)の不当性を満天下に主張することができたのである。今頃映像が流出しても,編集されていたり,中国からは偽造だなどといちゃもんをつけられたりで,公開自体が遅きに失しているのである。中国は臆面もなく,恥も外聞もなく,欧米や日本の大使にノーベル平和賞の授賞式に出席しないように圧力をかけている。中国とはそういう国なのである。ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン博士は,中国を「ならず者の経済大国」と表現している。
それにしても,今この日本を危殆に瀕する状態に陥れているこの救いようのない政権は,ただ「冷静に」という言葉を連発し,外交的に有効な手を何ら打つことなく,ただ嵐の過ぎるのを待つだけ,そして何が何でも首脳会談をセットしたいということに汲々としている。度し難く,国益を害すること底なしの政権である。