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弁護士ブログ

2010/11/26

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 今日は仕事の関係で滋賀県大津市まで出かける。これまで長浜や彦根に行った記憶は確かにあるが,大津はどうだったかな。でも調べみると大津というのは,天智天皇が近江大津宮に遷都して以来の長い歴史をもつ古都なのだ。ところで大津で連想したのは,どういう訳か新撰組の山南敬助のことである。

 

 山南敬助は近藤勇の試衛館時代からの人物で,新撰組を語るときには欠かせない。しかし,この山南敬助の最期には諸説がある。新撰組には局中法度があって,隊からの脱走は切腹となる。巷間よく言われているのは,山南敬助が,局長近藤や副長土方との路線の違い(尊皇攘夷のとらえ方,屯所の西本願寺への移転問題など),参謀伊東甲子太郎の加入による相対的な地位低下などにより新撰組を脱走し,追っ手となった沖田総司が大津宿で山南を発見して京都の屯所に同道し,切腹して果てたというものである。数年前に好評を博したNHK大河ドラマ「新選組!」でもそのように描かれていた。

 

 私は,新撰組の個々の隊士は割と魅力的に感じるのだが,特に山南敬助がとても好きである。新撰組の中ではそこそこ学問もあり,人格円満で対外的な交渉力もあり,小野派一刀流免許皆伝(その後北辰一刀流)の腕利きで毅然とした対応もとることのできる人物である。その切腹の際の見事な態度は語りぐさとなっている。

 

 さきほどの説に立脚するとして,大津宿で共に一泊した山南と沖田はどんなことを話したのであろうか。昔話だろうか,それとも今後のことであろうか・・・。山南は「脱走」の前に「江戸に行く」との置き手紙を残していたという。しかも,よりによって京都から近い東海道大津宿を経由し,追っ手に発見されやすい状況も厭わなかった。彼は本当に「脱走」の意図があったのだろうか。追っ手に捕まったら今後のことをじっくりと局長近藤らと話し合いたかったのではないか。謎が残る。

 

 最終的には切腹となったのだが,彼は介錯を沖田総司に頼んだ。沖田に対するあつい信頼があったのだろう。今日の大津旅行は,山南敬助を偲びながらの小旅行となる。

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