平成22年の年の瀬もせまってまいりました。皆さんはこの1年はどんな年でしたでしょうか。自分自身のことを申しますと,歳のせいかあまり楽観的に物事を考えることができず,今年も何とか無事に年を越せそうだとの安堵の気持ちでいっぱいというのが実情です。
さて,来年の7月からは地デジ放送が始まり,それまでのアナログテレビは映らなくなります。最近では画面が黒く縁取られ,その旨のメッセージが流され,「早く地デジに切り替えんかい!」とばかりにプレッシャーをかけられているような感がありました。そこで私もとうとう,窮鼠が猫を噛むように,先日地デジテレビに切り替えたのであります。確かに画像が鮮明です。
そんなある晩,夕食をしながら家族でその新品のテレビを見ていたら,L’Arc~en~Cielというバンドが演奏しておりました。私はこのバンドのことはあまり知らなかったのですが,隣に座っていた娘のあかねちゃんに,「L’Arc~en~Ciel」というのはフランス語で虹という意味なんだよ。」と教えたら,「ふーん。そうなんだぁ。」と感心しておりました。私がどうしてそれを知っていたかというと,大学時代に選択しなければならなかった第二外国語はフランス語だったからですし,何よりも当時好きだったシャンソンの「パリの空の下」の歌詞の最後が「arc en ciel」だったからです。
そしてその家族団らんの時,私は「パリの空の下」というシャンソンの名曲のメロディーを頭に浮かべながら,遠い昔の自分の幼少時代のことを思い出したのです。私は姉と妹にはさまれた3人兄弟で,両親とともに5人暮らしをしていたのですが,子供部屋は母屋とは棟が別の離れになっていました。私は幼少のころから風邪をひくとよく扁桃腺が腫れ,寝込んでおりました。そういった時,離れのベッドで一人ポツンと寝ており,食事の時以外は「静かに寝ていないと直らない」とか「お姉ちゃんたちにうつるから」などと養生するように言われ,食事の時以外は家族と一緒に過ごせないことが多かったのです。風邪で扁桃腺が腫れた時は,子供ながらにすごくさびしかったのであります。そういうある日曜日の晩,ああ早く夕食にならないかなぁ,母屋の方に行って家族と一緒にご飯が食べたいなぁ,などと思いながら夕食のお呼びがかかるのを待っていたのです。それぐらい離れで一人過ごすのは寂しいのでありました。そして,ようやく夕食のお呼びがかかりました。私は家族と暖かい部屋で合流し,一緒に晩ご飯を食べたのです。本当に暖かく,「家族っていいなあ。」と心もうれしかったのです。その時にテレビコマーシャルで流れていた音楽が「パリの空の下」だったのです。強烈に印象に残っております。もちろんその当時はその曲名は知るよしもなかったのですが,そのメロディーが頭に焼き付いており,大人になってからその曲名を知ったのです。古いシャンソンの名曲で,その後はよくジュリエット・グレコの歌で聴きました。
先日,そんなことを回想しながら新しい地デジテレビを見ておりました。
さて,全国6192万人もの読者のために(笑),今年も割とまめにブログを更新してきました。来年も,仕事そっちのけで(爆笑),更新していきたいと思います。皆様良いお年をお迎えください。
天皇陛下は12月23日,77歳,喜寿の御誕生日を迎えられた。御皇室の弥栄を心からお祈りいたします。
天皇は天壌無窮,いつの時代も日本と日本人の心の中の,何ものにも代え難い存在であると思う。日本という国は易姓革命などといったものを受け入れる国ではなく,その時々の世俗権力の帰属主体が変わったとしても,天皇はいつも日本と日本人の心の中の,何ものにも代え難い存在であったし,これからもそうである。
御誕生日を迎えられた天皇陛下は,皇居・宮殿で記者会見をされ,「人々の老後が安らかに送れるようになっていくことを切に願っています」と語られた他にも,絶滅したとされていたクニマスの発見,日本人2人のノーベル化学賞の受賞,小惑星探査機「はやぶさ」の偉業などにも触れられた。
ところで,これは他のブログを読んでいて初めて気づいたのであるが,天皇陛下のご会見を伝える新聞報道における言葉の使い方が新聞社によってずいぶんと異なるのである。わが産経新聞は,文句なしの敬語が使われている。これはとても満足である。読売新聞はというと,「・・・と述べられた。」,「・・・にも思いを寄せられた。」,「・・・と明かされた。」などとなっており,これもまあ合格点とは言える。
ところがである,朝日新聞,毎日新聞,地元の中日新聞などはどうしようもないのである。これらの各紙は,「・・・と話した。」,「・・・とした。」,「・・・をたたえた。」,「・・・と気遣った。」などとなっており,敬語が全く使用されていない。これにはすごく違和感を覚えたのである。どうやらこれらの各紙は,この種の報道に敬語は使わないと決めているとしか思えないし,何やら明確な意図すら感じられるのである。これらの各紙の普段の報道姿勢も極めて問題だし,最近では特に,ことさら「報道しない」という形式での問題性も感じている。われわれのメディア・リテラシーを研ぎ澄ましていかなければならない。
日本の在中国大使は,丹羽宇一郎という人であるが,これも当然に民主党政権による人選である。新聞報道によると,丹羽大使は,今月上旬に外務省本省に対して,日本から中国への政府開発援助(ODA)の強化,増額を意見具申していたということである。
しかもその理由たるや,対中ODAが日中間の経済,交流関係を強化する外交手段として有効であるなどと述べ,9月の尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件などで悪化した日中関係の改善に,ODAの「増額」が効力を発揮するとの判断があったようである。
懲りない日本人の典型である。昭和54年以降,これまで日本は中国に対し,累計で3兆6000億円を超える巨額のODAを実施してきた。平成20年度の実績も53億円で,日本は世界最大の対中支援国になっている。でもどうだ?このような実績を中国政府は国民にはほとんど知らせていない。相変わらず中国人民は愛国教育の名の下で反日教育を施され,日本に対する反感はあっても感謝などはない。私自身は,いみじくも李克強第一副首相が述べているように中国の国家統計などは全く信用していないが,中国は今年,GDPで日本を抜いて世界第二位の経済大国になろうとしているし,金にあかせてアフリカ諸国を懐柔して資源漁りに邁進している。そのような国に政府開発援助など必要だろうか。中国は,20年近く連続で前年比10%超の割合で軍事費を増大させ,アメリカ国防省が昨年まとめた「中国の軍事力」という報告によると,日本を射程内におさめる中距離核弾道ミサイルは100基前後にのぼり,日本にも照準が合わされているという。中国はロシアやアメリカとは既に首脳間で,それぞれ照準を外すことを約束しているが,日本との間ではそのような約束はなく,かえって日本固有の領土である尖閣諸島を盗りにきている。
丹羽という大使はどこの国の大使なのであろうか。この人は,ビジネス上中国とのつながりの深い伊藤忠商事の社長,会長,相談役をやってきた人であるが,要するに商売人なのである。大使というものは,国の名を冠し,国益をはかるために邁進すべき存在である。しかし,彼の頭の中にあるのは,ただただ中国に進出した日本企業の商売がやりやすいように,また中国をできるだけ怒らせないように,機嫌を損ねないようにという発想である。そうでなければ,今回の外務省本省への意見具申は理解に苦しむし,5度にわたって中国当局から呼び出され,時には深夜にもかかわらずノコノコ出かけていくなどといったことはしないはずだ。この人は名古屋大学法学部を相当前に卒業し,名古屋にはゆかりの人だが,大使になるような人ではない。これも民主党政権のお土産である。
平成22年(2010年)も,もうすぐ暮れようとしている。2009年はメンデルスゾーンの生誕200年記念の年だったし,2010年はショパンの生誕200年記念の年であった(また,心から敬愛するバッハ没後260年でもあるけど)。
でも,2010年はドイツが生んだ作曲家シューマンの生誕200年の年でもある。ショパンとシューマンは同年の生まれなのである。2010年ももうすぐ暮れようとしているのだから,どうしてもシューマンのことについても触れておきたい。
自分の明確な記憶として,私がシューマンの曲を最初に鑑賞したのは12歳(小学校6年生)の時である。音楽の授業でロマン派の曲の鑑賞をし,その際にシューマンの歌曲「流浪の民」を耳にしたのである。その迫力とすばらしさに圧倒された記憶がある。その後もシューマンの曲は何度も耳にしたが,私が好きなのは交響曲ならば第1番「春」と第3番「ライン」である。特に第3番「ライン」はとうとうと流れるライン川を彷彿とさせるし,心をわくわくさせるものがある。あとは,先ほどの歌曲「流浪の民」,それからピアノ組曲となっている「子供の情景」から「知らない国々」,「珍しいお話」,「トロイメライ」なんかが好きである。シューマンは妻のクララとの間に8人の子をもうけ,大変な子煩悩だったといわれているが,「子供の情景」の各曲を聴くとそんな感じがよく出ていると思う。「トロイメライ」って変な名前だなと思っていたが,どうやらドイツ語で「夢想」とか「夢想にふける」といったような意味のようである。確かに曲調からすると,夢見がちな子供が何かしら静かに夢心地で夢想にふけっている感じがある。
私が12歳だったころは趣味でピアノを習っていた。少しでもうまくなりたいと願っていた。そんな頃にシューマンの伝記を読んでいたら,シューマンはやはり少しでもうまくなりたいとの一心からピアノの猛練習をし,それがたたって薬指に怪我をし,ピアニストの夢をあきらめ,音楽家,評論家としての道を歩むことになったとのこと。ピアニストの夢をあきらめざるをなかったことに,子供ながらに同情したものだ。ショパンと同時代に生きたシューマンは,評論家としても著名で,本日のブログのタイトルは,評論家シューマンがショパンを初めて世に紹介した時の言葉である。
どうやらシューマンは,晩年はライン川に身を投げたりして精神を病み,不遇だったと伝えられるが,その作品群の価値は不滅である。改めて伝記と,珠玉の作品群を鑑賞してみたいと思う。伝記については,「シューマン-愛と苦悩の生涯」(若林健吉著,新時代社)が好評のようだ。一度読んでみよう。
ひみ子「・・このホテル,今日は洋食のランチバイキングよねぇ,楽しみだわ。久しぶりにいっぱい食べちゃお。」
さくら「・・・久しぶりって,あなた・・・(苦笑)。いつもいっぱい食べてるじゃない。そんな風に食べまくってると,北朝鮮の後継者,ほら,金正恩とかいう人みたいになっちゃうわよ。あの人あれでまだ20代なんでしょ。何であんなに栄養状態がいいのかしら。」
ひみ子「あら,それって私に対して失礼ねぇ!いくら何でもあんなに太ってないわよ。あー,でもこのタンシチュー美味しいわ。・・・それにしても,今の民主党見てると,もう怒りを通り越してむしろ滑稽にさえなってきたわ。そうは思わなくって?」
さくら「ホントに。たまにはいいこと言うわね。民主党が政権の座についた頃は,かなりの疑いの目で見てたの。その後,ルーピー鳩山の振るまいに度肝を抜かれて極度の不安に陥り,徐々に心底怒りに震え,イラ菅,空き菅,いや菅直人になってからも底なしの絶望感に苛まれ,最近ではむしろ面白くなってきてしまったわ。滑稽なんだもの。楽しみですらあるわ・・・。」
ひみ子「楽しみっていうのは,ここまで有権者の前で醜態をさらし続けているんだから,次の総選挙が楽しみということなの?」
さくら「ご明答!茨城県議会議員選挙の結果も民主党にとって悲惨だったしね(笑)。あー,それにしてもホントに美味しいわね。」
ひみ子「あっ,それ何?その黒いの・・」
さくら「ペンネじゃないかしら。イカスミの・・」
ひみ子「いいなぁ,私も後で取ってこよっと。まあ,民主党のどの議員にも付ける薬はないけど,小沢一郎という人は本当に国民の空気が読めないわね。口にする政策も国益を害するものばかりだし・・・。でもね,小沢一郎の発言で一つだけ私が評価しているのがあるのよ。」
さくら「えー,何?どんな発言なのよ。」
ひみ子「自民党の福田内閣の時に小沢一郎が大連立を画策して失敗したことがあったじゃないの。その時に小沢一郎が『民主党には政権担当能力がないから。』って言ったの。スゴイと思わない?その限りでは民主党の真実を知り抜いていて,珍しく真実を語っているんですもの。」
さくら「あの顔は何をどうしても好きにはなれないけど,そんな正論を語っていたとはね。その限りでは見直したわ。」
ひみ子「菅という人も,本当にうわべだけを取り繕う軽薄な人間ね。諫早湾開拓事業の裁判の上告断念だって,肝心の開門時期や方法,それまでに巨額を投じて展開されてきた干拓地での営農に与える影響,対策などを具体的に詰めた上での政治判断じゃなかったようなのよ。長崎県など地元にも全く根回しもなく,農水省の役人は途方にくれているそうよ。指導力を発揮したかのようなパフォーマンスをすれば支持率アップにつながると単純に考えたんじゃないかしら。場当たり的な沖縄訪問や,突如の硫黄島訪問も,しょせんはそれなのよ。よく言われるようにモグラたたきの政治家ね。」
さくら「菅という人は,反国家権力でここまで来た市民運動家ですもんね。いったん権力の座についてみて,よく考えたら,この国をどうしようというビジョンも国家観も何もないことに今気づいているような感じ・・・。だって,この菅という人は,国旗国歌法に反対した人なのよ。あの君が代も『嫌いではないけど,もっと元気のいい歌でもいい。』なんて言ってるような人間。こんな人に国益を守っていくちゃんとした政治などできっこないじゃないの。私なんか君が代を聴くと,いつもじーんときちゃうの・・・。」
ひみ子「それが日本人というものよ。あなた知ってる?」
さくら「何を?」
ひみ子「インターネットで,たとえば『君が代 野々村』って入れて検索してみたら?甲子園球場で当時高校生だった野々村彩乃さんが君が代を独唱している動画を見ることができるわ。本当に感動するわよ・・・(涙)。」
さくら「・・・・・あ,あなた,何も泣かなくったって・・・(苦笑)。イカスミのペンネ,取りに行かないの?」
ひみ子「あっ,そうだった。行ってくる。」
昨晩,どうやら悪夢にうなされていたようだ。何時頃に目が覚めたのかは分からないが,目が覚めた時には恐怖でドキドキしていて,その直前に実際に声を出していたようである。実際に声を出していたような感触がのどにあったのである。悪夢にうなされるというのはこういうことだったのか。
こういうことは最近ではまったく記憶にないことである。その悪夢のストーリーや脈絡も覚えてはいないが,少なくとも誰かに追いかけられている夢であったことは間違いない。何かしら迷路のような大きな建物内で追いかけられ,身を隠していたところへ追跡者が目の前に現れ,私が思わず大声を出したところで目が覚めた訳である。追いかけられる夢というのは怖い。
悪夢と言えば,民主党政権である。平成21年8月30日の総選挙で,有権者が民主党に何と308もの衆議院議員の議席を与えてしまったところから悪夢が始まった。財源の十分な裏付けもなく,単に人気取りのために作成したとしか思えないマニフェスト。政権の中枢に位置する面々,たとえば,鳩山由紀夫,小沢一郎,菅直人,輿石東,仙石由人,岡田克也などなど・・・,こういった連中が中長期的なビジョンも国家観も定見もなく,内向きの権力闘争に明け暮れ,迷走を重ね,どんどん国益を害しているのが現実である。正に悪夢である。最近ではニュースなどでこれらの面々の顔が3分割で表示されたりするが,本当に吐き気を催す。
米軍海兵隊普天間基地移設問題にしても,ルーピーと揶揄された鳩山由紀夫がちゃぶ台をひっくり返して台無しにし,政権末期にようやく勉強して抑止力に思い至ったとバカげたことを言うし(笑),菅直人もこれまでは「仮免許」だなどと言っては国民に甘え,これまでこの問題(基地移設)について何も前進させてはこなかったし,あげくに,予算関連法案を通すためだけの単なる数合わせのために一度は離婚した社民党にすり寄り,武器輸出三原則の見直しまで先延ばしにした。定見も何もあったものではない。
評論家の櫻井よしこ氏の産経新聞に寄せた論稿の一部を引用する(12月9日朝刊)。
「中国は年々増額する国防費で空母建設に取りかかり、第5世代戦闘機も開発中だ。日本には、中国が大量に保有し、日本にも照準をあてる核ミサイルもない。空母建設はもちろん、第5世代戦闘機については、米国は日本に売る意思もなく、入手のめどもない。考えられる唯一の道は米欧のF35の開発に参加し、それを日本の第5世代戦闘機にすることだ。そのためには、今回、期待されていた武器輸出三原則の見直しが必要である。だが、社民党と組む菅首相、首相に同調する北沢俊美防衛相らの私益に駆られた政権維持のために、見直しは先延ばしにされる。国益は打ち捨てられたのだ。このような政権に、国民は、汚い表現だが、すでに『ぶち切れて』いると、首相は認識せよ。」
こんな私でも,個別的労使紛争の解決のためのあっせん活動に一役買っている。労使間の労働紛争,たとえば,解雇,雇い止め,労働災害などで紛争が発生した時に,厚生労働省からの委託を受けて話し合いのあっせんをさせてもらっているのである。話し合いには紆余曲折あるが,ちゃんとまとまる(合意が成立する)ことが多い。
昨日もめでたく合意が成立した。その合間にあっせん員の控え室の一隅に何気なく目をやると,厚生労働省のパンフレットがあった。そのパンフレットの表紙には,ちょっと懐かしい人の姿があった。お笑い芸人のヒロシである。そのパンフレットには,「ヒロシです。悩んでるだけでは、いかんとです。」とあった。懐かしい不幸顔である。割と好きな芸人であった。数年前に発行されたパンフレットだろうが,彼はこのような形でも活躍していたのだ。例の自虐ネタで公の仕事もしていたのだ(笑)。
ヒロシのネタで好きなのは・・・。
「今度会うときは違う服を着てきてねと言われたことがあります・・・」
「友達の家に遊びに行ったら、おれのシャツとカーテンが同じ柄だったとです!!・・・」
「こんな布団もう嫌だと思いながら14年が経ちました・・・」
「猫から睨まれました・・・」
「携帯電話が鳴らないから・・・たまに鳴るとビックリするとです・・・」
「彼女の浮気が心配で、こっそり携帯電話をのぞいてみました・・・俺の番号は、取引先のグループに分けてあったとです・・・」
私は,厚生労働省のあっせん員の控え室の一隅で,懐かしい芸人を思い出し,感慨にふけっていたのであった(笑)。
大久保「・・・あー,よく飲んだなあ,お互い。」
西 郷「うん,お前とは意見が合うんだか合わないんだかよく分からんが,お酒だけは進んじまうな・・」
大久保「この店じゃ,やっぱり締めはお茶漬けだよな。おれはこの梅茶漬けが一番いい。口の中がスッキリするんだ。」
西 郷「そりゃおめえ,締めの茶漬けは,この野沢菜の茶漬けに決まってるだろ。あー,日本人に生まれてきてホントに良かったわ。」
大久保「あのさぁ,今日の昼にな,コンビニでちょっと可哀そうなOLがいたよ。その人はどうやら豚丼弁当をカウンターで温めてもらってたようだけど,店員がさぁ,店内に響き渡るような大きな声で『豚丼でお待ちのお客様ぁー!』って叫ぶんだよ。」
西 郷「ぷ,ぷっ(米粒を2つくらい噴き出す)。」
大久保「おめえって奴は・・・。店の中はお客さんは相当いたけど,カウンターの前で温めてもらってた人はどう見たってその,ちょっとばかし太めのそのOLさんだけなのよ。店員もマニュアルどおりなのかも知らないけど,もっと臨機応変に対応してあげればいいのに。小声で『はい,おまちどおさま』って。」
西 郷「『この人はこれから豚丼を食べるんですよ!』と公に宣言されてしまったようなもんだよな・・・。気の毒に。」
大久保「ホントだよ。そのOLさん,割と愛嬌があって感じよさそうな人だったのに,後ろ姿が若干さびしそうだった・・・。」
西 郷「・・・おれ,米粒噴き出しちゃったけどな,中国政府が関与してるかどうかは知らんけど,あの『孔子平和賞』ってのにも思わず噴き出しちゃったよ(笑)。」
大久保「ああ,ノーベル平和賞に対抗するように発表されたやつだろ。受賞者とされた台湾の連戦氏は受賞を拒否したらしいじゃないか(笑)。それも本人は事前に知らされてもいなかったらしいし,授賞式では連戦氏とは全く関係のない女児がトロフィーを受け取ったらしい(笑)。その女児は連戦氏のことを全く知らないとも言ったらしい(爆笑)。お前が米粒噴き出したように,こういうのを噴飯ものというんだ。」
西 郷「授賞式に呼ばれた外国メディアの人たちは,ばからしくて途中で退席する人も多かったようだ。この『孔子平和賞』なるものの関係者は,ノルウェーで開かれるノーベル平和賞の授賞式を意識したものではないと言っているが,『孔子平和賞』のパンフレットにはノーベル平和賞を非難する文章が書かれているそうだ。中国政府は今年のノーベル平和賞のことを茶番劇だと非難したが,むしろ『孔子平和賞』こそ茶番だ。」
大久保「そもそも中国という国は文化大革命時代には『批林批孔運動』なるものをやっていて,孔子像などもボコボコにされたというんだ。『批林批孔運動』は,そもそも林彪,孔子,儒教を否定して罵倒する運動だろう。なんでいまさら孔子を持ち出すんだろう。」
西 郷「中国共産党というのは,なりふり構わないんだな。ノーベル平和賞授賞式に行くなと各国に圧力をかけたし,そんなことをして恥ずかしいと思わないのかね。」
大久保「バカな民主党政権は中国に遠慮して,APECを『成功』させたい一心で,ノーベル平和賞の出欠回答期限を数日遅らせ,ようやく出席するという回答を平和賞委員会に提出した。」
西 郷「中国じゃ,CNN,BBC,NHKなどの海外メディアがノーベル平和賞の授賞式のことを報道すると,とたんにテレビ画面がまっ黒になるんだって(笑)。そういう国なんだよね。日本は価値観外交を展開すべきだと思うよ。」
大久保「なんか,酔いがさめたっぽくないか?」
西 郷「おお,そうだな。寝酒代わりにもうちょっとビール飲む?」
大久保「お茶づけも食べたことだし,生小ぐらいにしとくか。」
西 郷「うん・・・,おねぇさーん!生小2つ。」
先日ある年配の方と一緒に歩いていましたら,それはそれは本当に美しい花が咲いておりました。割と高い木に咲いていたのですが,人間の握り拳の大きさで真っ白いきれいな花でした。私は恥ずかしながらあまり花には詳しくないので,その年配の方に「何の花でしょうか。」と尋ねましたら,「これはさざんか(山茶花)ですよ。」と教えてくれました。真っ白の見事なさざんかでした。そうか,さざんかというのはこんなに美しい花だったのかと思いました。また自分もいい年をして何も知らないのだなと恥ずかしく思いました。若い頃には路傍の花やその他の自然に見入るようなことはほとんどなかったのですが,最近では年のせいか,それとも精神的な余裕か,それとも現世への未練か,自然に見入ることが多くなりました。
さざんかで思い出したのは,童謡の「たきび」です。この歌の2番は次のような歌詞になっております。
「さざんか さざんか さいたみち たきびだ たきびだ おちばたき あたろうか あたろうよ しもやけ おててが もうかゆい」
いい歌ですね。好きな歌です。特に「あたろうか あたろうよ」という箇所も好きで,これは子供たちの会話のようで,とりわけ仲良し同士という感じがよく出ています。そうか,この夏はあんなに暑くて閉口したのに,もう「きたかぜぴいぷうふいている」季節になってしまったのですね。
また,私の好きな俳人種田山頭火には,さざんか(山茶花)を季語にした次のような作句があります。
「雨の山茶花の散るでもなく」
「また逢へた山茶花も咲いてゐる」
昨日のブログで櫻井よしこ氏の講演を聴いたことに触れたが,今度は同氏が第26回正論大賞を受賞されたというニュースである。誠に喜ばしいことである。この正論大賞というのは,フジサンケイグループが主催する「特筆すべき言論活動を行ったオピニオンリーダー」に贈られる賞である。
この正論大賞の過去の受賞者を見てみると,渡部昇一,曾野綾子,西尾幹二,田久保忠衛,江藤淳,石原慎太郎など錚々たる言論人ばかりである。櫻井よしこ氏のこれまでの執筆,講演活動などを評価すればこのたびの受賞も当然のことであろう。
この受賞に寄せての櫻井氏の言葉が産経新聞に掲載されていたが,その中に「書くことは、考えるというひとり作業である。現在進行形の世界の状況を横軸としてとらえ、それを、縦軸としての長い歴史の中に置きつつ近現代史の一次資料に当たる。先人たちの思想や行動が少し身近に感じられるようになるとき、横軸と縦軸の交差地点に浮かんでくる現在の日本の姿ほど心もとないものはない。戦前戦後を通じて、日本が繰り返し犯してしまう失敗の根深い原因も、両軸の交差する地平から見えてくる。特に戦後の日本の営みを見詰めるとき、わが国に理念が欠落し、政策に一貫性が欠けているのは明らかだ。なぜ、これほど漂流するのか。現状への深い失望や憤りは、日本を愛すればこそである。」とあった。私も日本国を愛する一人として,櫻井氏の今後の活躍を期待したい。櫻井よしこ氏は,「日本文明を誇りとする」立場から,シンクタンク・国家基本問題研究所の理事長としても活躍されている。
日本文明といえば,サミュエル・P・ハンティントンは「文明の衝突」という著作の中で,世界を9つの文明に分け,いわゆる中華文明とは明らかに異なる独自の文明として日本文明をとらえている。この誇りある文明は,今後も死守していくべきものである。その何物にも変えがたい日本文明の面影は,特に江戸時代の庶民や武士の生活にうかがえる。それを手に取るように著した好著が「逝きし世の面影」(渡辺京二著,平凡社ライブラリー)である。