久しぶりの「つける薬がない」シリーズの登場です(笑)。本当にしみじみと思うのですが,菅という人にも,民主党という綱領すらなき政党にもつける薬がないと思うのです。昨日は通常国会の冒頭に,菅直人という,およそ日本国の首相には最もなってはならないような類(たぐい)の人が,とりとめのない,実現可能性もない,総花的で退屈な施政方針演説をぶっておりました。相変わらずほとんど官僚が作ったような原稿から目を離しません(笑)。
私がこの菅という人を好きになれないのにはいろいろと理由がありますが,特に最近嫌だと思うのは,自分が山口県出身であるからか,ことあるごとに長州藩出身の偉人に言及し,あろうことか自分になぞらえるかのような発言をすることです。全くもって笑止です。この人がよく引き合いに出す吉田松陰や高杉晋作には何よりも覚悟というものがありました。覚悟です。いやしくもこの愛すべき日本国の舵取りを任されたのであれば,命を懸けてもよいはずです。それくらいの気概と覚悟が要求されるはずです。吉田松陰先生は「かくすれば かくなるものと知りながら 已むに已まれぬ大和魂」と詠われたように,覚悟というものがあり獄中で落命されました。奇兵隊を率いた高杉晋作も覚悟がありました。
菅などという人が,いくら同郷の偉人だとしても口にするべきではありません。的外れです。なぜならば,彼には覚悟というものがないからです。昨年の参議院議員選挙前に消費税増税をぶち上げ,大敗すると「若干唐突な感じを国民の皆様に与えてしまった」などと弁解して,その後はシュンとなりました。尖閣諸島沖中国漁船衝突事件での処理は国辱ものでした。菅という人の卑怯さは,彼の学生運動時代,公安当局から「第4列目の男」と言われていただけあります(笑)。それにしても今朝の産経新聞には良いことが書いてありました。明治・大正期の言論人で政治家の徳富蘇峰が吉田松陰を次のように評していたというのです。「彼が一生は、教唆者に非(あら)ず、率先者なり。夢想者に非ず、実行者なり。彼は未(いま)だかつて背後より人を扇動せず、彼は毎(つね)に前に立ってこれを麾(さしまね)けり」
ところで,菅という人は,小沢一郎という人の政治とカネの問題は十分に分かっていながら,昨年の小沢氏の私邸で開かれた新年会では乾杯の音頭までとっていた人です(笑)。ただただこの人は,総理大臣になりたいだけの人,少しでも長く総理大臣でいたいだけの俗物です。鳩山由紀夫という人の後釜に座る直前には,自分には火の粉が降りかからないように,普天間基地移設問題では自分は関与していなかったなどと発言もしておりました。よく覚えております。さらに,先日の新聞で読んだのですが,在日中国人ジャーナリストからは,菅直人という人の最大の特徴は自分の考えというものを全く持っていないことだと喝破されてもおりました(笑)。
相変わらず「最小不幸社会」のことに彼は言及していました。それに少し前までは,「一に雇用,二に雇用,三に雇用」などと連呼しておりましたが,直近のデータでは大学生の就職内定率は過去最低の68.8%となっています。「最小不幸社会」なるものは,結局は富の再配分ということになろうかと思いますが,それよりも何よりも富自体を稼ぎ出すべく,まずは企業が元気にならなければ雇用など創出されません。当たり前のことです。菅という人の空念仏はもうやめにして欲しいと思う今日この頃です。