先日の晩も,今日も一日終わったなどと思いながら,晩酌をしようとしておりました。たまたまその時にテレビで放送されていたのは,3年前に亡くなった作曲家の遠藤実さんのお姿でした。その番組が何だったのか覚えはありませんが,NHKだったことは間違いなく,「あの人に会いたい」シリーズだったのではないかと思います。
遠藤実さんといえば,日本の戦後歌謡界を代表する作曲家です。昭和生まれの人ならば,誰でも遠藤実さんの曲の多くを耳にしたことがあるはずでしょう。その番組で遠藤さんがしみじみと,時には涙ながらに語っておられた話を聞いて,私も思わず目頭が熱くなってしまいました。晩酌前に・・・。
功成り名を遂げた遠藤さんも,お若い頃はなかなかお金を稼ぐことができず,奥様(節子さんとおっしゃるそうです。)に苦労をかけ,結婚式も挙げられなかったそうです。そのような中で遠藤さんは,西荻窪かどこかの時計屋さんのショーウィンドーに飾られているオパールの指輪を,そこを通るたびに額をガラスに押しつけながら何度も何度も見ていたそうです。いつかお金に余裕ができたなら,結婚式も挙げてやれなかった妻のために,絶対にこのオパールの指輪を買ってあげようと固く決意しておられたようです。そのようにして毎日のようにその時計屋さんのショーウィンドーに額を付けてその指輪をご覧になっていたそうです。そしてようやく自分の曲がヒットし,お金が入ったので,念願のそのオパールの指輪を奥様に買って差し上げたそうです。
遠藤さんは残念ながら奥様に先立たれてしまったのですが,贈ったその指輪は,寝室のベッド脇の大切な物入れの中に奥様が大事そうにしまわれていたそうです。
遠藤さんが奥様を看取る際には,遠藤さんは半身で起きた奥様を抱え,今までの心からの感謝の気持ちを伝え,これに対して奥様は「あなた,私は幸せ者でした。」とおっしゃったそうです。その番組はそのように涙ながらに語る遠藤さんの生前のお姿を放送したものでしたが,晩酌前だというのに,私は若干もらい泣きをしてしまいました。
さて私の場合はどうでしょうか。いまわの際(きわ)に,「あなた,私は幸せ者でした。」と言ってもらえるのでしょうか。
国旗に向かっての起立や国歌斉唱はそんなに悪いことなのであろうか。私は「日の丸」や「君が代」は,この愛すべき日本国の象徴だと思っている。日本代表選手が優勝などして日の丸が掲揚され,君が代が流れる瞬間はじーんと感動するのである。スポーツの世界に限らず,世界中のどの国にも国旗や国歌があり,それぞれ自国の国旗・国歌には誇りをもち,敬意を表しているであろう。逆に,自国の国旗・国歌に誇りをもてず,ないがしろにするような人間は諸外国からは尊敬もされない。
しかるに,この国には誠に奇妙で,思考が停止してしまっているとしか思えないような集団が存在する。入学式などで国旗に向かって起立することや,国歌斉唱することを要求されるのは自分の思想・信条を侵害するものと考えている教職員が,慰謝料支払などを求めて訴訟まで提起しているのである。その訴訟では,平成18年9月に東京地裁でとんでもない判決が出されたのを昨日のことのように記憶している。詳細は省くが,結論的には東京都に対し,教職員1人当たり3万円の慰謝料の支払を命じたのであり,その判決理由の中で,日の丸や君が代のことを,「第二次世界大戦が終わるまで軍国主義思想の精神的支柱だったのは歴史的事実」とまで述べている。この判決が出された報に接した時,私は唖然としたし,こんな判決は上級審で必ず破棄されるだろうと確信していた。
ありがたいことに,上級審である東京高裁は,平成23年1月28日,この妙ちくりんな東京地裁判決を破棄し,入学式や卒業式で国旗に向かっての起立や国歌斉唱を求めた東京都教育委員会の通達や校長の職務命令は憲法に違反するものではないとして,教職員らの請求を棄却したのである。極めて真っ当な判決であり,まずは一安心である。
よくよく冷静に考え,思ってもみて欲しいのである。入学式や卒業式など人生の感動的な一ページ,一場面で,国旗掲揚時や国歌斉唱時に,起立もせず歌いもしないふてくされた教職員の姿を目にした児童,生徒がどのように感じるのか。教職員という公的で教育的配慮を要求される立場にありながら,国旗を前に起立もせず,国歌を歌いもしないこのような手合いの行動が,多感な児童,生徒に与えてしまう悪影響を・・。彼らはそのようにして示威行動をしているのである。唾棄すべきである。
妙ちくりんな東京地裁判決は,日の丸や君が代のことを「第二次世界大戦が終わるまで軍国主義思想の精神的支柱だったのは歴史的事実」と断定しているが,軍国主義の時代であろうとなかろうと,日本国民は古来昔から,心の奥底で万世一系の天皇を心のよりどころにし,君が代や日の丸があまねく浸透していった時代以降は,これらも精神的支柱の一つとしていたのである。君が代や日の丸がその属性として軍国主義思想に結びつくかのような論は短絡的過ぎる。この判決を出した裁判官は,歴史というものを深く勉強したことがあるのだろうか。また,当事者となっている教職員は,自分たちが教職員という公的で教育的配慮を要求される立場にあることを深く自覚すべきであろう。こういった人たちは,相変わらずGHQのWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の影響下にあり,「閉された言語空間」の中にあり,ひょっとしたらコミンテルンの残党なのかもしれない(笑)。プライベートならば自分の主義,主張を最大限に表明することはいいが,公的で教育的配慮を要求される立場にあるのならば,自ずと制約もあるのである。要するに,入学式や卒業式での日の丸や君が代がそんなに嫌なら,教員を辞すれば良いのである。この方々は先日出された東京高裁判決に不服で,最高裁に上告するとのこと。こんな訴訟に精力をつぎ込む時間と余裕があるのであれば,少しでも児童,生徒から尊敬されるような存在になるべく努力すべきなのではないだろうか。お互様ではありますが(笑)。
我が家の朝ごはんの時には,前夜見た夢の自慢話で持ちきりになることがある。自慢話といっても,自分が前の晩に見た夢がどんだけ奇妙なものであったかを競い合い,自慢し合うのである。
数日前の朝ごはんの際には,私は完全に聞き役に回る羽目になり,娘のあかねちゃんとカミさんに圧倒されてしまった。まず,その前夜にあかねちゃんが見た夢の断片は,次のようなものであった。お父さん(私のこと)は既に寝室で床に入り,寝ているはずなのに,玄関先でゴソゴソと物音がしたため,不審を抱き怖くなったあかねちゃんとお母さん(カミさんのこと)とが一緒に恐る恐る玄関の方へ見に行ったところ,全く同じ顔をしたお父さん(私のこと)がそこに2人いて,その2人が仲良く手をつないで入って来たという夢だったそうな。ある意味ではすごく怖い夢である(笑)。とても奇妙である。
これを聞いたうちのカミさんは,これと張り合うかのように,鬼の首を取ったようにその前夜に見た夢を得意げに語り始めた。うちのカミさんのその夢の断片は,次のような単純かつ奇妙なものであった。うちのカミさんの面前に巨大な蝉(セミ)が現れ,その巨大なセミがカミさんを圧迫するかのように迫ってきたものだから,彼女は必死に両手を突っ張ってその巨大なセミを向こうに押しやろうとし,その際に思わず声が出てしまい,その自分の声で目が覚めたというのである。と,とてもシュールな夢である(笑)。単純で奇妙過ぎるにもほどがある(爆笑)。シュールだ。キリコやダリの絵のように(笑)。
このように,その日の朝は前夜の夢の奇妙さ自慢で,あかねちゃんとカミさんに圧倒されてしまった。我が家には,「こんなん見ましたけど・・・」とか,「・・,まだまだ,・・・自分なんかもっと変な夢だったけど」などと,前夜の夢の奇妙さを自慢し合う風土がある。それにしても,目前の巨大なセミを両手で押しやるなどといったシュールな夢を平気で見てしまうような連れ合いと,これからどのように折り合いを付けて暮らしていけばいいのかしらん・・・(笑)。
私は新選組に関する読み物が結構好きです。古くは,子母澤寛のいわゆる新選組三部作「新選組始末記」,「新選組遺聞」,「新選組物語」などは読破しておりますし,そのほか,新選組を題材にした歴史小説なども読んだことがあります。
作家の浅田次郎氏も新選組を題材にした著作があり,「壬生義士伝」は素晴らしかった。これを読んでいる最中に不覚にも何度も泣いてしまったこともありました。恥ずかしながら嗚咽してしまったこともあったほどです(笑)。でも,この「壬生義士伝」を読んでいて同じような失態を演じてしまった人を私はもう一人知っております。それくらい感動的な小説でした。私がこの「壬生義士伝」を読んだのは,ちょうど大所帯の法律事務所から独立しようとしていた頃で,これからは自分の知恵と甲斐性と責任で生活の糧を得,愛する妻子を守っていかなければならない立場の自分を,主人公である吉村貫一郎の懸命な姿に重なり合わせてしまったのでしょう。
浅田次郎氏がその次に新選組を題材にして世に送り出した作品が「輪違屋糸里」でした。再び「泣かせて欲しい」と思っていた私は,早速この本を買い求めて読んだのですが,残念ながらこれについては全く泣けませんでした。はっきり言って感動もそれほどは・・・。
そうこうしているうちに,浅田次郎氏の最新作「一刀斎夢録」が登場しました。私としては,「壬生義士伝」の時のように泣かせて欲しいと思っておりましたし,何よりもこの本の宣伝の中に「慟哭必至」なんていう文句もありましたから,かなり期待して飛びついて読み始めたのです。でも残念ながら,「泣く」という目的からすると見事に当てが外れたのでござる(笑)。新選組の小姓で不遇の生い立ちであった市村鉄之助が,実家と宿世の縁を切りたかった斎藤一の気持ちを忖度する場面,死を覚悟した土方歳三が市村鉄之助の命を助けるために,彼に自分の遺品となるもの(写真と愛刀)を持たせて,土方の故郷の佐藤彦五郎宅に遣った場面は,確かにじーんときましたし,目頭が熱くなりましたが,「壬生義士伝」の時のような嗚咽には至りませんでした(笑)。確かに浅田氏の取材力と表現力には素晴らしいものがあります。しかし,斎藤一という隊士は新選組の中でもナゾに包まれている部分が多く,薩摩藩の中村半次郎(後の桐野利秋)のように「人斬り」のイメージは確かにあるのですが,ここまで鬼畜のような人間として扱ってしまうのには違和感がありますし,戦場で偶然にも再会した市村鉄之助に斬ってもらいたいという思惑だったのに,逆に彼を斬ってしまったという大団円は「何かなー」という気がするのです。史実だったのならば仕方ありませんが。どこかに泣ける本はありませんかねぇ・・・。
このようにして,この本はほとんど泣くことができず,当てが外れたのでござるが(笑),サッカー日本代表のアジアカップ制覇は,誠にあっぱれでござるよ。