この時期に避難などといった言葉を軽々に発するのは不謹慎かもしれませんが,昨日私は,ある喫茶店から,あたかも避難するかのように逃げ出しました。昨日は午前中から約3時間,ある場所で法律相談を担当し,次のお仕事(労働者側と使用者側との間の紛争解決のあっせん)まで約1時間の余裕がありました。そこで思いついたのは,あるデパートの最上階にある中華料理店でとても辛いマーボー豆腐を食べることでした。
しかし,既に午後1時を回っているというのに,この日はあいにく満席のようでした。困った・・・。次の仕事が始まるまでに腹ごしらえをしなければ。結局,あちこちにチェーン店を展開しているある喫茶店に入り,サンドイッチとコーヒーを注文したのです。注文を聞きに来たのも,食事を持ってきてくれたのも同じ女性で,話し方から中国の方だと思われました。レジや食器洗い,その他の店員さんも,その話し方からやはり中国の方だと思われました。最近ではコンビニ店員も外国人を雇用しているケースが極めて多く,もう驚かなくなりつつあります。
ところが,その店員さんらの食器(コーヒーカップや水を入れるコップ)の扱い方がとてつもなく粗雑,乱雑で,尋常ではなかったのです。ガチャ,ガチャ,ガチャーンといったような音が,頻繁に私の席の後ろの方でするのです。特にコーヒーカップの仕様は厚くて頑丈そうだし,ひょっとして放り投げているのではないかと思ったくらいです。こんな食器の扱い方には,私は慣れておりません。恐怖感さえありました。午後のひととき,ゆっくりと食事をしながらコーヒーでも,と思っていたのに,ガチャーン,ガチャーン,ガチャ,ガチャ,ガチャーン・・・,です(苦笑)。私は,あわててサンドイッチをほおばり,あたかも避難するかのようにその喫茶店を出たのです。
午後2時から予定されていた仕事はうまくこなすことができました。でも,事務所に帰ってロッカーの鏡を見ましたら,何と私の右頬にパンの粉が2つほど付いたままだったのです。慌ててサンドイッチをほおばって,逃げるようにして避難したからでしょう。右頬にパンの粉を付けたままの紛争解決あっせんですか・・・。それだけで説得力がないのに,よく合意をしてくれました。私は普段から,ランチの時は,カレーや味噌煮込みの味噌などがワイシャツやネクタイに付かないように気をつけて食事するようにしています。なぜならば,法律相談や打合せなどで,いくら私が法律家として理路整然とお話ししても,カレーや味噌がネクタイ等に付いたままですと,依頼者などにとっては,それだけで説得力がなくなってしまうのではないかと危惧するからです(笑)。昨日は恥ずかしい思いをしました。ほっぺたですからね。それにしても,誰か教えてくれたらよかったのに。
今はただ,被災者の生活・再建の支援と福島第一原発の事故対応に全力を挙げていくべきであり,政権批判ばかりしている局面でないことは十分に承知していますが,やはり菅政権の対応ぶりを見ているともどかしさ,憤りを感じます。
特に福島第一原発の事故については,その対応を誤ると取り返しのつかない事態に発展する危険性があるのに,ありとあらゆる知見と情報,英知を結集したオール・ジャパンの体制で対応しているとは到底思えないのです。ここにもどかしさと憤りを感じます。記者会見は,官房長官,東京電力,原子力安全・保安院,原子力委員会などによりそれぞれバラバラに行われ,現在はいかなる状態にあって今後どうすべきかなどがわかりやすく国民に示されておらず,「原子力に詳しい」とされる菅という人は,最近では引きこもりがちで,挙げ句,専門家に「臨界って何ですか。」と質問までする始末です。世界に向けての情報発信もほとんどなく,情報が隠蔽的であるとさえ批判されています。
この菅という人は,最近やたら民間人を内閣官房参与に任命しようとしておりますが,もっと官僚を効果的,機能的に使うべきだという忠告には全く耳を貸さず,「(東京電力や官僚は)情報を隠している」と不満を漏らすだけですし,この期に及んでも怒鳴り散らしたり,イライラするだけで,「政治主導」のパフォーマンスの下,相変わらず官僚を効果的,機能的に使い切れておりません。またそのつもりもないようです。
この人は,何とか対策本部などといった複数の本部を7つほど作ったようです。しかしこの人は,例えば,内閣府に設置された被災者生活支援特別対策本部を初めて訪問したのは,震災後約2週間も経ってからですし,その滞在時間は僅か4分間だったそうです。また,この人は,防衛省災害対策本部の会議に初めて出席したのは,ようやく昨日だったそうです。「本部」はいくつもあるようですが,有機的に機能しているのでしょうか。何よりも重要なのは,そんなものをやたらに作ることではなく,ありとあらゆる情報が目詰まりなく集中し,ありとあらゆる知見を駆使してこれを分析し,有効な対策をたて,指揮命令系統を明確化し,人体のように有機的,機能的に力を発揮できるような体制を一つだけ作ることです。もう「政治主導」のパフォーマンスはたくさんです。
思えば,この民主党という政党は,ついこの間まで小沢,反小沢で事実上の分裂状態にあったのですし,党内にもいくつかのグループが林立し,今の菅政権はとても挙党態勢で支持されているとは到底思えません。しかも,このたび官房副長官に任命されたり,首相補佐官に任命されたのは,それぞれ仙谷由人,馬淵澄夫といういずれもついこの間問責決議がなされて退いた人々です。それに平成21年8月の総選挙で308議席も獲得した中には1年生議員が無数にいて,タンポポの種のように風に吹かれて国会議事堂に吹き寄せられてきたような人たちです。人材が払底しているのでしょう。
・・・もうやめましょう。気が滅入ってしまいます。とにかく,くどいようですが,今一番大切なのは,ありとあらゆる情報が目詰まりなく集中し,ありとあらゆる知見を駆使してこれを分析し,有効な対策をたて,指揮命令系統を明確化し,人体のように有機的,機能的に力を発揮できるような体制を一つだけ作ることです。
さる3月26日には,名古屋市内で総勢約80名によるゴルフコンペが開催され,私は幹事の一人としてプレイもせずに裏方に徹しました。このコンペはずいぶん前から企画,準備されてきた訳ですが,このたびの東北関東大震災での甚大な被災状況にかんがみ,開催するかどうか熟慮されましたが,最終的にはチャリティーを兼ねつつ予定どおり実行することに決しました。
このゴルフコンペには,森口祐子さんをはじめとして合計3名の女子プロゴルファーもご出席いただきました。私は,このゴルフコンペの表彰式等の司会を担当したこともあって,森口祐子プロとお話することがあったのですが,大変に気さくな方でした。森口祐子プロは,何とツアー通算41勝,現在僅か6名しかいないLPGAツアーの永久シード保持者のお一人です。
このコンペも無事に終了し,表彰式も盛会でした。私もその他の幹事も,プレイもせずに裏方に徹したご褒美でしょうか,何と・・・,森口祐子プロのサイン色紙をいただくことができました。しかも,その色紙には私の名前も記載してくださいました。このサイン色紙さえ保持していれば,スコアアップは間違いありません。私のゴルフの守り神です。
また,チャリティーを兼ねたこのゴルフコンペの開催により,20万円近くもの義援金が集まりました。是非,被災地の皆様のために役立ていただきたいと思います。
今朝の産経新聞に,「『日本に恩返し』思いが宙に浮く-各国の支援行き届かず-」という見出しの記事が出ていました。東北関東大震災の被災者の方々の肉体的,精神的苦痛はいかばかりかと,発する言葉もありません。救援物資がスムーズに行き渡らず,一日の配給が二食分しかなく,しかも一食がおにぎり一個だったり,パン一個だったりの地域もあるようですし,春とはいえ被災地は厳しい寒さであり,一枚でも多くの毛布が欲しいでしょう。
そんな中で,今朝の産経新聞の報道によると,日本に対する諸外国からの善意と支援の一部が行き場を失っており,「日本に恩返しをしたい」という各国の思いが宙に浮く格好になっているようです。たとえばある国は,毛布を数万枚送ると申し出てくれたにもかかわらず,日本政府はサイズ(80㌢×80㌢)を指定し,送られる予定の毛布が20㌢ほど「規格」に合わないとわかると,受け入れに強い難色を示したようです。結局は日本政府のいう「規格外」の毛布は,すったもんだの末にようやく日本に届けられたということです。何という硬直したばかげた対応でしょう。被災地にいる人の低体温症が危惧される中で,一枚でも多くの毛布で身を包みたいでしょうに,20㌢ほど「規格」に合わないことがどうして善意受け入れの障害になるのでしょうか。
「日本からはいろいろな支援を受けてきたので、その恩返しをしたい。受け入れ側の事情も理解しており、不必要なものを送るつもりもない。それでも日本政府の対応は首をかしげる」(東南アジア筋)という声は小さくないそうです。ある国などは,日本に米を送るに当たり,少しでも日本人の口に合うようにと,モチ米を混ぜる工夫までしていたとのことです。本当に,本当にありがたい善意です。
また,他国の善意を失礼,非礼で返すような菅政権の許し難い行為もあります。震災直後,比較的親日的な台湾政府は,すぐに救助隊の派遣を準備し日本にその受け入れを申し出たにもかかわらず,菅政権は,この台湾からの救助隊派遣を二日間も待たせたのです。その間,他国からの救助隊は続々と日本に来ているのにです。中国政府からの救助隊が3月13日に到着したところで,菅政権はようやくその夜に台湾政府からの救助隊受け入れを決定し,同政府からの救助隊はやっと3月14日,羽田空港に到着したのです。菅政権は,政治的な思惑から台湾政府の善意を足止めしたとしか思えません。極めて非礼で,許し難い対応だと思います。
「落栗の 座を定めるや 窪溜まり」
井上井月という江戸末期の俳人については,これまでこのブログでも二度ほど取り上げたことがあります。何しろあの種田山頭火が心から敬愛し,慕っていた俳人ですから。
この井上井月という俳人は,何となく私も好きなのです。井月の出自については定かでないことが多いのですが,有力な説によると,この人は長岡藩士であり,武術に優れていたし,何しろ学問もでき,高い教養を有していたとのことです。そして,彼は愛する妻や娘を故郷(長岡)に置いて江戸で仕事に励んでいた訳ですが,1844年(弘化元年)の上越大地震で,不幸にも,妻,娘,養父母を亡くしてしまいました。どれほどの精神的打撃だったでしょうか。大切な人の死に直面し,それがきっかけで行雲流水の生活に身を置く人は少なくありません。彼も敬愛する松尾芭蕉のような句を求めて漂泊の旅に出てしまいます。
結局,井月は,信州の伊那谷に行き着き,そこで約30年以上も漂泊し,高く評価され味わい深い句を作り続けたのです。冒頭の句などは,枝から落ちた栗がころころころがって,ようやく窪みの所でおさまり,漂泊の旅の末に終の場所として伊那谷に落ち着いた,安堵の心境を反映しているかのようです。
地震で死んでしまった愛する娘が,彼が与えた土雛を握ったままであったことを知って,彼は慟哭したそうです。
「遣(や)るあてもなき 雛買ひぬ 二日月」
山頭火がいかに井月を慕っていたのかは,彼が西国から遠路はるばる伊那谷にある井月の墓を二度にわたって訪れたことからも分かります。このうちの一度は近くまで来たのに病気で墓参りは断念しています。山頭火がようやく二度目で念願の井月の墓参りができた時に詠んだ句の一つは,
「お墓撫でさすりつつ、はるばるまゐりました」
また,井月の辞世の句として伝えられているのは,
「何処やらに 鶴の声聞く 霞かな」(絶筆)
少し時間ができたら,井月に関する本でも読んでみたいと思っています。何かしら興味があるのです。手始めに,「井上井月伝説」(江宮隆之著,河出書房新社)からにしようか。
このたびの東北関東大震災で被災された方々には心からお見舞い申し上げます。新聞やテレビでその未曾有の被災状況を目にするたびに,この気持ちを強くします。私としては現時点で自分にできることをするのみです。
予断を許さぬ福島第一原発の問題,被災者救済の問題,今後のインフラ整備等の災害復旧の問題などが山積している現在,今の政権で何とか効果的な対策を決断,実行していかなければならず,政権批判はできるだけ差し控えなければならないのでしょうが,やはりどうしても言いたいことがあります。
フジテレビ系「新報道2001」が先日首都圏で実施した世論調査によると,菅内閣支持率が24%から35.6%に急上昇したそうです。私はこの数字を見てもびっくりしませんでした。即時に自分なりに分析できたからです。この数字は大地震が発生した後の菅内閣の対応が素晴らしかったと評価した結果では毛頭なく,この未曾有の大災害を前にしては,政治的空白を一瞬でも作ってはいけない,今はただ挙国一致でこの国難を乗り越えなくてはならないという意志の表れだと思います。私に言わせれば,よりにもよって最低・最悪の政権の時に最悪の大惨事が発生した,でも今は総辞職や解散総選挙などで政治的空白を作れない,こんなどうしようもない連中でも「何とか頑張れ」と言って任せるしかないという有権者の気持ちの反映だと思います。でも翻って考えれば,国家の命運がかかっているこのような非常時においても有権者(首都圏)の約3分の2は支持していないような政権って・・・。
新聞報道によると菅という人は,去る土曜日の午前中に首相官邸で会った人物は,鳩山前首相,小沢元代表,前原前外相だけだったようです。一体全体何をやっているのでしょうか。福島第一原発は予断を許さない状況,被災地には物資が届きにくい状況だというのに,こういった面々に会ったところで何になるのでしょう。何らの根回しもせず,電話一本で自由民主党の谷垣総裁に入閣を求めてあえなく固持されています。野党が協力しないからというアリバイ作り,責任転嫁の布石を打ったつもりでしょうか。
菅という人は,どうひいき目に見ても無能で演技(パフォーマンス)だけの人です。この人の希望で21日にはヘリコプターで現地視察に行く予定になっていたようですが,悪天候で中止になったそうです。悪天候といっても,雨が降っただけです。雨が降っただけで中止になるような現地視察ならば,そもそもそんな必要があったのか,また何ほどの効果が期待できたのでしょうか。視察受け入れのために準備せざるを得なかった現地スタッフは,当然災害復旧の方に力を注ぎたかったに違いありません。菅という人は,大震災が起き,福島第一原発に視察に行ったようですが,そのために現場の職員は現地受け入れ,対応等に時間を取られ,予定されていた対策がかえって遅れてしまい,その後に水素爆発が発生しております。東京電力本社にのこのこ出かけ,会社関係者に約3時間もこの人との対応を余儀なくさせ,これまた現場対応を遅らせたことで批判されております。
首相官邸でルーピー鳩山らに会っているような内向きで無駄な時間(ひま)があるのだったら,世界各国に向けて(同時通訳を使って),①救援隊の派遣,救援物資の援助等に対する心からの謝意を表明すること,②福島第一原発の現在の状況と今後の対策等をデータに基づいて専門家同席の下で明確に説明すること,などを目的とした会見を行うべきです。
そして,菅政権は大震災発生後,7つほどの対策本部や会議なるものを立ち上げたようですが,到底機能しているとは思えません(「震災対策合同会議」における岡田幹事長の妙な取り仕切りぶりは産経新聞でも批判されているとおりです。)。また,完全にはき違えた「政治主導」やパフォーマンスではなく(辻元や蓮舫はいらない。),災害対策の経験のある実務者,官僚,米国等の専門家の知見をうまく使いこなし,組織的で有機的に機能するような,指揮命令系統がしっかりした対策本部を作り,果断に実行に移すべきです。
東日本大震災の報道を目にするにつけ,今はただ,自分の置かれた立場でできることをするだけである。
それにしても,今回の大震災で改めて日本人の心の強さを感じた。フィナンシャル・タイムズ・アジア版(英国)が報道しているように「日本はこの災害に対し尊敬すべき忍耐力で立ち向かっている」と思う。以下に引用するツィッターのつぶやきはお気に入りのブログに掲載されていたものであるが,どのつぶやきも本当に私の心を揺さぶり,また涙を誘った。
-昨日の夜中,大学から徒歩で帰宅する道すがら,とっくに閉店したパン屋のおばちゃんが無料でパン配給していた。こんな喧噪の中でも自分にできることを見つけて実践している人に感動。心温まった。東京も捨てたもんじゃないな。
-4時間の道のりを歩いて帰るときに,トイレのご利用どうぞ!書いたスケッチブックを持って,自宅のお手洗いを開放している女性がいた。日本って,やはり世界一暖かい国だよね。あれ見たときは感動して泣けてきた。
-物が散乱しているスーパーで,落ちているものを律儀に拾い,そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。運転再開した電車で込んでいるのに妊婦に席を譲るお年寄り。この光景を見て外国人は絶句したようだ。
-(復旧して終夜運転に従事している東京メトロの)駅員さんに「一生懸命電車を走らせてくれてありがとう」と言っていた子供を見た。駅員さん泣いてた。俺は号泣してた。
-ホームで待ちくたびれていたら,ホームレスの人たちが寒いから敷けってダンボールをくれた。いつも私たちは横目で流しているのに。あたたかいです。
それに,お気に入りのブログの一つに「草莽崛起-PRIDE OF JAPAN」というのがあるが,そこには津波に襲われる直前まで必死で住民に無線放送で避難を呼びかけ,行方不明になった女性公務員のことが書かれていた(比嘉洋さんという方の記事)。遠藤未希さん(25歳)は宮城県南三陸町の危機管理課の職員であるが,彼女は,勇敢にも役場別館の防災対策庁舎(3階建て)に残って,住民に対し「早く逃げてください」と必死で避難を訴える無線放送を続けた。高さ10メートルの津波が同庁舎を襲うまで。そのとき彼女は庁舎屋上の無線用鉄塔にしがみついていたが,無情にも津波は彼女をさらった。今もその行方は分かっていないということである。その庁舎は今は赤い鉄骨を残すだけになっている。生き残った職員の話によると,未希さんは荒れ狂う波に流されてしまったとのこと。彼女の必死の避難放送で助かった人も多い。
彼女は自らの生業(なりわい)を全うしたのだ。不覚にもまた泣けてきた。
このたびの東日本大震災の被災状況に関する報道,ニュースをずっと見ていたが,泣けて仕方がない。日曜日の読売新聞朝刊には,無事であった孫を泣きながらしっかりと抱きしめる祖母,流された家の跡を見て嘆き悲しむ2人の年配女性,父母の安否が分からないままろうそくの火の周りで集まって不安の一夜を過ごす子供たち,などの写真が掲載されていた。写真はそれらの人々の悲しみと不安を雄弁に物語る。それら報道写真を見たら,泣けて泣けて仕方なかった。家族に悟られまいと,当分の間は新聞を広げたままであった。亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りします。また,そのご遺族のご心痛を心からお見舞い申し上げます。
もう小賢しいことを言っている場合ではない。悲しいときは徹底的に悲しむ。被災した人もそうでない人もみんなである。しかる後に,日本国民は冷静に,これまで何度も果たしてきたように,粘り強く復興を果たすのである。
それにしても,これほどの激甚災害に遭いながら,暴動もない,略奪もない,行列を乱す人もない,弱者をいたわり秩序正しく冷静に行動できる民族とは・・・。誇らしくてまた泣けてくる。
北方領土をめぐる最近のロシアの傍若無人で理不尽な対応は目に余るものがある。首脳が足を踏み入れたり,軍艦が接岸できる施設を完成したり,ミサイル配備を示唆したり,中国や韓国への投資を呼びかけたり・・・。中国はといえばこれまた相変わらず尖閣諸島沖で傍若無人で理不尽な行動を繰りかえしている。これら独裁的体質を有する国,一党独裁の国が傍若無人に行動しやすいのは明らかであるが,なぜこの時期にこれらの現象が次から次に起こったのか,その理由は明らかである。今の民主党政権の下では外交や安全保障が完全に機能不全に陥っており,この史上最低・最悪の政権は,中国やロシアに対して,今の日本に対しては「何でもあり」だ,何をやっても大事には至らない,やるなら今のうちだというメッセージを与えてしまっているからだと思う。
ただ,さる3月6日の日曜日の産経新聞の朝刊には,モスクワ支局長の佐藤貴生記者が書いた「『自由と繁栄の弧』を再び」というタイトルの記事が載っていたのだが,なかなか良い記事だった。その一部を引用すると,
「在露米国大使館は2月18日、『この問題での日本の立場を指示する。(北方領土の)島々への日本の主権を認める』と表明した。」
「その欧州議会も2005年、『ソ連により占領され、ロシアが現在占拠している北方領土の日本への返還』を求める決議を採択している。」
「一方、遠藤良介・モスクワ特派員がバルト三国のリトアニアでインタビューしたランズベルギス元最高会議議長は、『(北方領土返還を)要求する権利は日本にある』とした上で、『ロシアに対しては自らの尊厳をもって向き合わねばならない。小国には懲罰を受ける懸念からそれが難しいが、日本がロシアを恐れる理由は全くない』と語った。」
「世界を見渡せば、日本の味方はあちこちに存在する。問題は、その貴重な日本外交の『資源』を、領土返還の後ろ盾として活用し切れていないことにある。」
この北方領土問題は,まずは国民一人一人の意識と,ロシアの現在の実効支配は国際法上何の根拠もなく,北方四島は日本固有の領土である確かな理由・歴史を学習,理解することから始まり,その上で意識が高く,腰抜けの外務官僚を矯正,導いていくことのできる,そして相手国首脳,高官との太いパイプを築き,有効な外交を展開していくことのできる有能な国会議員を自分の手で選ぶしかない。ルーピー鳩山などに票を入れるなど,酔狂を演じている場合ではない。とにかく粘り強さをもって取り組んでいくことが必要である。先ほど引用した記事は我々に勇気を与えてくれるものではあるが,度し難い民主党政権が続く限り,日本という国は本当にどこからも相手にされなくなる。一刻も早く退場して欲しい。
きのう,裁判所での仕事を終えて車で事務所まで戻ろうと中日新聞本社前の道路を信号待ちしていたら,将棋の加藤一二三九段(元名人)にそっくりな人を見た。確信まではもてないが,そっくりというより棋士の加藤さん本人だったのではないかと思う。つい1か月ほど前にNHKで加藤さんの将棋解説を見てその最新の風貌も知っているし,中日新聞は将棋の王位戦を当時3社で主催しており,加藤さんは元王位でもある。何かの用事で中日新聞本社に来ていたのではないか。自分の高校時代,大学時代はけっこう将棋を指していたし,居飛車一辺倒の加藤さんの棋風は好きだった。
将棋で思い出したけど,先日,NHKで「将棋界の一番長い日~第69期A級順位戦最終局~」という番組を最初から最後まで見た。これも偶然にチャンネルを合わせたら巡り会えたのである。この番組は毎年A級順位戦の最終局を中継し,その息詰まる熱戦の模様,名人戦挑戦者の決定やB級1組への降級者の決定など,悲喜こもごもの様子が手に取るように分かるのである。棋士同士の生のドラマなのである。そして,A級といえば,棋界の頂点を極める者達のすみかであり,彼らが全身全霊を打ち込んで繰り出す最善手,鬼手が満載の将棋もとても見応えがある。
今年の名人挑戦者は7勝2敗で森内俊之九段となり,彼が羽生善治名人に挑戦する。第18世名人と第19世名人との対決である。ほんとにすごいねぇ・・。
それにしても,勝者と敗者が分かれる瞬間,すなわち投了の瞬間は,敗者の心情を思うと見ている私たちも辛いものがある。詰みが発見された瞬間も・・・。将棋の詰みというのは,王将がどこにも逃げられなくなることをいう。
産経新聞の記者が書いていたけど,そういう意味では,菅政権や民主党政権は既に詰んでいる。詰んでいるんだから,もう国家,国民のために一刻も早く投了すべきである。