まず初めにお断りしておきますが,音楽好きの私は,どの音楽家も心から尊敬しております。ただ好みの問題として,個々の曲には好きかそうでないかの違いはもちろんありますし,音楽家(作曲家)の作風についても若干そういうところはあります。
今年は西暦2011年ですから,作曲家であり著名なピアニストであったフランツ・リスト生誕200年記念の年です。ですからリストは,昨年生誕200年を迎えたショパンやシューマンより一歳年下ということになります。今年はリスト生誕200年を記念して何らかのイベントやコンサートが開かれるでしょうね。
リストはそれはそれはすごい超絶技巧をもったピアニストだったようです。テクニック的にはその当時右に出る者がいなかったほど。ですからリストは「ピアノの魔術師」とか「鍵盤の王者」などと呼ばれていました。「ラ・カンパネラ」とか「超絶技巧練習曲」とかの彼の作品からすればそのテクニックの凄さを窺い知ることができます。実際にそれを作曲し,聴衆の前で演奏していたのですから。そういえば,リストの曲を得意としていたピアニストを振り返ってみても,ジョルジ・シフラ,スビャトスラフ・リヒテル,アンドレ・ワッツといったテクニシャンぞろいです。
でも私は,リストの曲は最近では聴く機会が少なくなりました。昔からそれほど多くもありませんでしたが。はっきり言うと,感動があまりないのです。「超絶技巧練習曲」なんかを聴いていても,技巧面ばかりが強調されているような気がして,「詩」を感じないのです。リストのファンには申し訳ありません。
同時代のショパンは「ピアノの詩人」と呼ばれているように,たとえば「12の練習曲」(作品10),「12の練習曲」(作品25)を聴いていて,感動しますし,詩的で「詩」を感じます。「詩人」のショパンの方を私は好むのです。あの名指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーもショパンの曲を大いに評価し,自ら奏でていたとその夫人が伝えておりました(エリーザベト・フルトヴェングラー)。また,どのピアニストも旧約聖書のように評価,練習しているであろうバッハの「平均率クラヴィーア曲集」のどのプレリュード,どのフーガにも詩的なものを感じるのです。