ゆっくり徒歩で通勤していると,さすがに肌に感じる風が春めいてきたことに気づく。事務所までの経路のうち,シーズンになればそれはそれは見事な桜を咲かせる木々の集まった場所があるが,その枝々は何となくではあるがふっくらしてきたように見えるし,今にも蕾を出しそうな風情でもある。
雲水,漂泊の俳人種田山頭火が作った次の句は,おそらく今頃の季節の作であろう。
「ゆらいで梢もふくらんできたやうな」
きのう,3月6日は山頭火のお母さんの命日だそうだ。昭和13年3月6日,山頭火はそのお母さんの47回忌に次のような句を作っている。
「うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする」
山頭火の母は不幸にも自宅の深井戸に身を投げて自殺し,この時山頭火は満9歳と4か月の幼少であった。それ以来,母を思慕して歩む人生で,現世にあっての遊蕩も,世を捨てての放浪行乞も,その根っこのところでは母の自殺が因を成しているとの指摘もある(「山頭火名句鑑賞」234頁,村上護著,春陽堂)。
山頭火が春に作ったと思われる境涯俳句風のものに,次のようなものがある。
「かうして生きてはゐる木の芽や草の芽や」
そして,やはり彼が春に作ったと思われる少し楽しげな句は,
「何が何やらみんな咲いてゐる」