東日本大震災の報道を目にするにつけ,今はただ,自分の置かれた立場でできることをするだけである。
それにしても,今回の大震災で改めて日本人の心の強さを感じた。フィナンシャル・タイムズ・アジア版(英国)が報道しているように「日本はこの災害に対し尊敬すべき忍耐力で立ち向かっている」と思う。以下に引用するツィッターのつぶやきはお気に入りのブログに掲載されていたものであるが,どのつぶやきも本当に私の心を揺さぶり,また涙を誘った。
-昨日の夜中,大学から徒歩で帰宅する道すがら,とっくに閉店したパン屋のおばちゃんが無料でパン配給していた。こんな喧噪の中でも自分にできることを見つけて実践している人に感動。心温まった。東京も捨てたもんじゃないな。
-4時間の道のりを歩いて帰るときに,トイレのご利用どうぞ!書いたスケッチブックを持って,自宅のお手洗いを開放している女性がいた。日本って,やはり世界一暖かい国だよね。あれ見たときは感動して泣けてきた。
-物が散乱しているスーパーで,落ちているものを律儀に拾い,そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。運転再開した電車で込んでいるのに妊婦に席を譲るお年寄り。この光景を見て外国人は絶句したようだ。
-(復旧して終夜運転に従事している東京メトロの)駅員さんに「一生懸命電車を走らせてくれてありがとう」と言っていた子供を見た。駅員さん泣いてた。俺は号泣してた。
-ホームで待ちくたびれていたら,ホームレスの人たちが寒いから敷けってダンボールをくれた。いつも私たちは横目で流しているのに。あたたかいです。
それに,お気に入りのブログの一つに「草莽崛起-PRIDE OF JAPAN」というのがあるが,そこには津波に襲われる直前まで必死で住民に無線放送で避難を呼びかけ,行方不明になった女性公務員のことが書かれていた(比嘉洋さんという方の記事)。遠藤未希さん(25歳)は宮城県南三陸町の危機管理課の職員であるが,彼女は,勇敢にも役場別館の防災対策庁舎(3階建て)に残って,住民に対し「早く逃げてください」と必死で避難を訴える無線放送を続けた。高さ10メートルの津波が同庁舎を襲うまで。そのとき彼女は庁舎屋上の無線用鉄塔にしがみついていたが,無情にも津波は彼女をさらった。今もその行方は分かっていないということである。その庁舎は今は赤い鉄骨を残すだけになっている。生き残った職員の話によると,未希さんは荒れ狂う波に流されてしまったとのこと。彼女の必死の避難放送で助かった人も多い。
彼女は自らの生業(なりわい)を全うしたのだ。不覚にもまた泣けてきた。