「落栗の 座を定めるや 窪溜まり」
井上井月という江戸末期の俳人については,これまでこのブログでも二度ほど取り上げたことがあります。何しろあの種田山頭火が心から敬愛し,慕っていた俳人ですから。
この井上井月という俳人は,何となく私も好きなのです。井月の出自については定かでないことが多いのですが,有力な説によると,この人は長岡藩士であり,武術に優れていたし,何しろ学問もでき,高い教養を有していたとのことです。そして,彼は愛する妻や娘を故郷(長岡)に置いて江戸で仕事に励んでいた訳ですが,1844年(弘化元年)の上越大地震で,不幸にも,妻,娘,養父母を亡くしてしまいました。どれほどの精神的打撃だったでしょうか。大切な人の死に直面し,それがきっかけで行雲流水の生活に身を置く人は少なくありません。彼も敬愛する松尾芭蕉のような句を求めて漂泊の旅に出てしまいます。
結局,井月は,信州の伊那谷に行き着き,そこで約30年以上も漂泊し,高く評価され味わい深い句を作り続けたのです。冒頭の句などは,枝から落ちた栗がころころころがって,ようやく窪みの所でおさまり,漂泊の旅の末に終の場所として伊那谷に落ち着いた,安堵の心境を反映しているかのようです。
地震で死んでしまった愛する娘が,彼が与えた土雛を握ったままであったことを知って,彼は慟哭したそうです。
「遣(や)るあてもなき 雛買ひぬ 二日月」
山頭火がいかに井月を慕っていたのかは,彼が西国から遠路はるばる伊那谷にある井月の墓を二度にわたって訪れたことからも分かります。このうちの一度は近くまで来たのに病気で墓参りは断念しています。山頭火がようやく二度目で念願の井月の墓参りができた時に詠んだ句の一つは,
「お墓撫でさすりつつ、はるばるまゐりました」
また,井月の辞世の句として伝えられているのは,
「何処やらに 鶴の声聞く 霞かな」(絶筆)
少し時間ができたら,井月に関する本でも読んでみたいと思っています。何かしら興味があるのです。手始めに,「井上井月伝説」(江宮隆之著,河出書房新社)からにしようか。