私が井上井月の存在を初めて知ったのは,種田山頭火に関する著作を通じてでした。山頭火は生前,井月に私淑し,心から敬慕していたようで,落栗が座を定めたように井月が落ち着いた長野県伊那を二度にわたって訪れ,二度目でようやく井月の墓参りを果たしたということです。
井月という漂泊の俳人は,正に知る人ぞ知る存在で,その俳句史上の位置づけは,中井三好氏の次の言葉で尽くされていると思います。「井月が越後の長岡藩校で学んだ漢学、京の貞門俳諧で学んだ国学、副詞『な』などの確かな『てにをは』の活用、さらに全国津々浦々で見聞したもの等の博覧強記が素養となって、漂泊のうちに宿ったものが芭蕉の寂びの俳諧理念と結びついて、井月の『かるみ』の風体が成就していったのである。・・・芭蕉俳諧の中興と云われた与謝蕪村が天明三年(一七八三)に没してから、明治の正岡子規が俳句の写生論を唱えるまでのおよそ百二十年間は、俳諧は堕落の一途をたどり、俳諧に人なしと云われているのであるが、俳諧の歴史の流れは蕪村と子規の間に、見事に井月という芭蕉の姿を追った立派な俳人を配していたのである。」(中井三好著,「井上井月研究」162~163頁,彩流社)。
それにしても井月の句に接するにつけ,本当に素晴らしいと思います。またその人となりについては,「あの人に限って、いつも顔色を変えたことがない、あゝいふのを聖人といふのでせう」(加納五声の老未亡人)とも評されています。このような井月が愛した伊那の自然と句碑を是非訪ねてみたいと思い,私は「ソースカツ丼」をだしにしてカミさんと娘のあかねちゃんとを連れ出してこの連休中に小旅行をしたのです(笑)。
ところで,山頭火の句は自由律であり,井月のそれは定型句です。また,自分の置かれた状況,境涯といいますか,それに対する心情を吐露した句を境涯句というならば,山頭火は境涯句が比較的多いのに比べ,井月の境涯句は数えるほどです。この両者のことに関連し,江宮隆之氏は次のように述べております。
「だが、井月と山頭火はその人生、世への執着、すべてにおいて異なる。山頭火が憧れた井月が、もし同時代に山頭火を見ていたら、親しくしただろうか、の疑問は残る。山頭火は、自己に執着して生き、世の中を否定しようとして生きた。井月は、反対にあるがままを受け入れて、飄々と生きた。『千両、千両』の声に井月の伊那谷での人生のすべてが籠められている。井月は、野晒しを承知のうえで伊那谷を放浪した。」(江宮隆之著,「井上井月伝説」303~304頁,河出書房新社)。
まあ,いろいろな評価があるかもしれませんが,山頭火の句も私の心にしみ入るものが多くありますし,井月という存在とその俳句を知ることができたのもこれまた幸せだったと思います。
5月3日はカミさんと娘のあかねちゃんと3人で,長野県の伊那方面へ日帰り旅行に行ってきました。なぜ伊那方面なのかというと,そこは漂泊の俳人井上井月の最終的な安住の地であり,そのお墓や句碑がたくさんあるからです。井月は「せいげつ」と読みます。その当時井月が見たであろう山々や自然を自分の目でも確かめたかったのです。それと伊那の名物,ソースカツ丼もお目当てでした(笑)。
中央道の伊那ICを降りる頃にはもう既にお昼近くになっておりましたから,衆議一決,まずは腹ごしらえということになりました(笑)。お目当てのお店はお客さんがいっぱいでしたのでそこをあきらめ,少しさまよってから何となく良さげなお店に入りました。私とカミさんは当然にソースカツ丼を注文し,娘のあかねちゃんは熟慮に熟慮を重ね,迷いに迷った末に,これまた地元の名物料理であるソースローメンを注文しました(少し太い麺の焼きそばのようなもの)。いずれも注文の食事に満足し,次に井上井月の句碑めぐりをしました。
まずは,井上井月のお墓参り。ただ本当のお墓は塩原本家の敷地内にあるそうで,私たちがお参りしたのは卵形の割と小さな自然石のものでした。この石は,井月没後10年の明治30年に,塩原折治(俳号梅関)が三峰川から拾ってきた卵形の赤御影の自然石に「降るとまで 人には見せて 花曇」(井月の代表的な名句の一つ)を刻み,塩原家の墓地内に供養句碑として設置したものです。やがてこの句碑は昭和年代に入って刻んだ文字が風化して消えてしまったのですが,人々は今でもこれを井月の墓としてお参りに来ます。種田山頭火もこれを井月のお墓として参ったそうです。私たちもお参りしました。
次に向かったのは,六道原です。ここにも句碑があるのです。しかし私たちはこの句碑をなかなか見つけられずにいたところ,カミさんが目ざとく「あれじゃないかな?」と見つけてくれました。そこには,井月の句碑と,その横に彼に私淑し,敬慕していた種田山頭火の句碑が並んでいました。刻まれていた井月の句は「出来揃ふ 田畑の色や 秋の月」で,山頭火の句は「なるほど 信濃の月が 出てゐる」でした。私たちがこれらの句碑を眺め,次の場所に移動しようとして車に乗り込みましたら,これらの句碑のすぐ近くに住む一人の品のよいご老人が私に話しかけてくれたのです。私はその方と井月について少しの間立ち話をしました。この方は,遠路はるばる井月が漂泊した伊那,そしてその句碑などを訪ねて来た私たちのような存在が嬉しいご様子でした。よくよく話を伺ってみると,この方は,何と,何と,井上井月顕彰会の会長をしておられる堀内功さんだったのです。光栄なことです。話がはずんでしまいました(笑)。
そしてそこを辞去した後,堀内会長から道順を教えて貰った六道堤の井月の見事な句碑に向かったのです。大きな池の周りの堤にあるその句碑の句は,あの有名な「何処やらに 寉の声聞く 霞かな」でした。感無量です。そして桜の頃は本当に美しい景色でしょう。井月が数十年にわたる全国的な漂泊の旅の後,この伊那を最終的な安住の地に定めた気持ちの一端に触れたような気がしました。
「落栗の 座を定めるや 窪溜まり」
昨日は日曜日でしたけど,前日のゴルフの疲れなどで,一日中「寝たきり」の状態になりました(笑)。それにしても思うのは,日曜日の午前中にテレビで放送されている番組,具体的な番組名までは挙げませんが,TBSやテレビ朝日系列の番組内容はいただけません。「いただけません」というのはごく控えめな表現です。それらの番組に登場する個々のコメンテーターのコメント内容を聞いていると,本当にこの人達は平和ボケしているな,日本という国が嫌いなんだな,極東にある反日的なごく一部の国に迎合しているな,いわゆる東京裁判史観,自虐史観が抜きがたく染み付いているな,自己保身というか当たり障りのないコメントに終始しているな,・・・と感じてしまうのです。私はこういう番組は極力見ないようにしているのですが,怖い物見たさでつい見てしまうこともあります。そういう時は,さて,どんなバカなコメントが飛び出すのだろうかという興味の下に注視し,そして出てくるコメントはやはり私の期待を裏切りません(笑)。今の日本では,特に政治全般,外交,安全保障の問題に関してはマスコミ全体がこんなタッチであり,絶望的です。そんな状況にありながらでも,産経新聞や月刊誌「正論」などには大いに期待しております。頑張ってね(笑)。
ところで,テレビ番組の中でも得難い番組はあります。通常は日曜日の午後1時30分から午後3時まで放送されている「たかじんのそこまで言って委員会」という番組は,いい番組ですね。毎週楽しみにしています。昨日は「寝たきり」でもあり,この番組を堪能しました(笑)。
私がこの番組を気に入っている理由は,常日頃私自身が感じていることを,出演者が代弁してくれるため溜飲が下がるということが一番ですし,テーマによっては大変勉強にもなるからです。昨日放送されたこの番組には,安倍晋三元首相や評論家の櫻井よし子さんなどが出演され,いつもどおり,溜飲が下がったのでありました。私はこの番組は相当に高い視聴率がとれているのではないかと思いますよ。特に昨日の放送分の最後の方では,歴史学者である所功教授のお話は素晴らしく,この話に感動した桂ざこばさんが嗚咽し,それを見た私ももらい泣きしたくらいです(笑)。