昨夜は自宅で夕食をとってから,好きなお酒を一滴も飲まずにすぐにバッハの音楽を聴き始めました。中断してお風呂に入り,再びバッハの音楽を聴きながら眠りにつきました。7月28日はバッハの命日ですので,その前夜私はバッハの音楽にじっくりと浸りたかったのであります。
昨夜はバッハのいろいろな音楽を聴きましたが,やはり涙が出てきました。特に,「ミサ曲ロ短調」の最終曲である「平和を我らに与えたまえ(ドナ・ノヴィス・パーチェム)」の時にはあふれましたね。バッハの音楽は魂に語りかけるような,魂を揺さぶるような深遠な音楽なのです。バッハは,音楽の究極の目的は神をたたえることと魂の再生だと考えていたようです。私はキリスト者ではないので,その意味からすると,たとえバッハの音楽に感動したとしても,キリスト者のそれの半分くらいの感動の度合いなのかもしれませんが,自分自身バッハの音楽で心から癒され,魂の再生をはかるきっかけが与えられることは間違いありません。
最終的には,バッハの音楽が好きならば自分だけがその深い森の中で癒されていれば良いのですが,どうしてもバッハの良さを伝えたい衝動もあります。ただ,私のように楽理的なことも分からず,音楽史の研究をしたこともないような者がいくら声高に叫んでも説得力がありませんので,これは数枚のDVDに登場する何人かの人のコメントなのですが,それを紹介したいと思います。
① 生物学者 ルイス・トマス
→ 宇宙,そして地球外の生物に送り届けたいメッセージや人類の誇るべき宝は何かと言われれば,それはバッハの音楽だ。
② ピアニスト ジョアンナ・マクレガー
→ バッハの音楽がない世界はあり得ないのです。
③ 歌手 ボビー・マクファーリン
→ バッハのメロディーはすごいんだ。聞くたびになぜか涙があふれる。魂に届くんだよ。「2つのヴァイオリンのための協奏曲」の第2楽章を初めて聴いた時,涙が止まらなかった。
④ 音楽学者(ハーバード大学教授) クリストフ・ヴォルフ
→ バッハの楽曲は実に多様性に富み,知性と豊かな感情を併せ持っています。私を魅了して止みません。
⑤ 音楽学者 ジョシュア・リフキン
→ 彼(バッハ)の音楽は語りかけてきます。仲間内に1人だけいる少し変わった人のように・・・「僕は流行とは違うかもしれない。人気もないかもしれない。でも信じてほしい。信じてくれれば,あなたの人生を変えますよ。」とね。
私も素人ですから詳しいことは全く知りませんが,何となく,何となくですよ・・・,人間の体というのは血流,血行が良くなければダメだと感じています。体調が思わしくない時は血流,血行が良くない感じですし,血流が悪いということは血液自体に元気がなく,ドロドロになっているのではないでしょうか。その意味では食べ物にも気をつけなければいけないのでしょうが・・・。
特に肩こり,首こりのひどい私は,これまでに血流,血行の良くなる方法をいろいろと試してきました。現在のところこれは良いかなと思うのはいくつかありますが,そのうちの一つがタイ古式マッサージです。まだ体験し始めて4か月ほどですが,最近では週1回のペースで通っているくらい気に入っております。本当に気持ちの良いマッサージで,血流やリンパの流れが良くなるのです。
タイ古式マッサージというのは歴史が古く,この独自のマッサージ施術法のルーツはおよそ2500年前にさかのぼると言われています。インドに始まり,アーユルヴェーダを取り込んでいるので,タイ古式マッサージはヨガの要素も含んでいるようですし,体の中の「SEN」(セン)と呼ばれるエネルギーラインに従ってマッサージが行われるようです。そして,特徴的なのはストレッチ的要素がふんだんに含まれており,体に柔軟性がでてきますし,さらにリンパ液が集まる部分のマッサージがあって,本当に気持ちが良く,ああこれは確かに血流やリンパの流れが良くなっているなと実感できるのです。
このタイ古式マッサージに週1回ペースで通うと,私の小遣いを圧迫し,財政的にはそこそこダメージを受けますが,それで元気になれる訳ですから高いとは思いません。お酒のお付き合いを少しセーブすればいいんですからね。
新撰組の副長助勤で五番組組長であった武田観柳斎という人をご存じでしょうか。この人の出自は武家の子で,甲州流軍学を修め,またそこそこ教養もあったことから,新撰組では軍事方や文学師範も担当しておりました。さる7月23日は武田観柳斎の命日でした。ただ7月23日というのは新暦で,旧暦では慶応3年6月22日です。
新撰組関係の書物を読んでおりますと,かわいそうにもこの人は「変節漢」などと評されております。確かに彼は,局長の近藤勇におべんちゃらなどを言っては媚び,その一方で目下の隊士をネチネチといじめたりして,人望がなかったという伝が残っております。最終的には彼は,既に御陵衛士として新撰組とは袂を分かっていた伊東甲子太郎(高台寺党)に接近しようとしたり,薩摩藩に接近しようとしたり,新撰組にとっては不穏な動きと見られる行動をとっていました。そういうことから,「変節漢」という不名誉な評され方をしているのでしょう。結局は新撰組から粛清されてしまいました。
でも,世は戊辰戦争の直前のころです。戦争といえばもう鉄砲や大砲などの火器の時代で,刀や槍や騎馬で戦う時代ではなく,彼の修めた甲州流軍学はもはやあまり役には立たず,彼自身も新撰組の中では居場所がなくなっていたのでしょう。気の毒な気もします。
さてさて,先日の産経新聞の朝刊では,「脱原発」にかかわる菅直人という希代の俗物の言説や態度について「変節」という表現がされておりました。無理もありません。彼は玄海原発についての安全宣言を事前に了承していたにもかかわらず,突如として「ストレステスト」を言い出し,二階に上げていた経済産業大臣の梯子を外し,記者会見した「脱原発」の構想はあくまでも個人的見解だとのたまい,20日の衆議院予算委員会では原発のベトナムへの輸出手続については進んでいると答弁し,その答弁内容と先日の「脱原発」記者会見の趣旨との矛盾を突かれると,今度は原発輸出については見直す時期に来ているなどと答弁したり・・・。日立製作所など国内の原発関連メーカーは戸惑い,アメリカのナイズ国務副長官も「(日本は今後)エネルギーをどうしていくのか。」と呆れられる始末です。
また,トルコのエネルギー天然資源省の高官は,日本が受注を目指してきたトルコの原発建設計画をめぐり,7月末までに日本側から交渉継続の可否に関する回答がなければ交渉を打ち切り,他国との交渉を始めると明言しており,日本は未だに回答をしていないようです(7月24日の産経新聞朝刊)。
菅という変節漢の,一貫性と節操のない無責任な言動で,日本の原子力政策への信用が日に日に失われていっています。
大久保「お前,さっきから『どや顔』ばっかりしてるけど,何を威張ってるんだ?」
西 郷「・・・お前,以前から俺に生レバー食わそうとしてたし,生レバーが食えない俺をバカにしてたろ。あのなァ,厚生労働省は生レバーは,食品衛生法で禁止するかどうかを検討し始めたぞ。ああいうものを生で食う方がおかしいんだ!」
大久保「じゃあ聞くけど,菅内閣が続くのと,生レバー食わされるのと,どっちがマシだ?」
西 郷「・・・な,何だその選択は,まったく関係ねえだろ!どっちもイヤだわ。」
大久保「ハハハ,お前にとっては究極の選択だろうな。・・・まあ,俺にとっても菅直人という男は反吐が出るほどの存在だ。あれほど醜くて恥ずかしい奴はいない。・・・ねェ,西郷ちゃん,一体全体菅直人という奴は,何者だと思う?」
西 郷「そうさなあ,俺もいろいろと考えたんだが,奴は,ひょっとしてコミンテルンの残党じゃないかと思うんだ。人民戦線戦術で権力の中枢に潜り込み,この愛すべき日本を徹底的に,しかも確信犯的に弱体化しようとしているとしか思えない。東日本大震災の復旧,復興を確信犯的に遅らせているだろう?それに思いつきの,そして突っ込まれたら「個人的な意見」と弁解した「脱原発」の記者会見はどうだ?20年,30年先にはそういう着地点でもいいけど,一国の首相ならばそれまでのプロセスや電力確保の道筋について真剣に方向性を示さなきゃならんだろ。このままだと,定期点検中の原発の再稼働がどうなるのか分からないし,現在稼働中の原発も定期点検に入ってしまい,来年にはほとんどが止まってしまう危険性もある。国内の企業はやむなく海外に移転を余儀なくされて国内産業が空洞化し,孫正義とかいう政商と手を組んだ太陽光発電を中心にした再生エネルギーの固定買い取り制度で電気料金がアップして国民の負担は増えるわ,ますます企業が疲弊する・・・,企業の国際競争力が低下する・・・,この日本が本当に立ち直れないほどダメになっちゃうぞ。」
大久保「ホントになぁ,気分が落ち込むな・・・。そうか,お前は『コミンテルン残党説』か。」
西 郷「うん。・・・そういうお前は,菅という奴は何者だと思う?」
大久保「俺か?俺は少し見方が変わってるかもしれないが,いわば『前世ゴキブリ説』とでもいうのかな,要するに菅という男の前世はゴキブリだったんじゃないかと真剣に思うんだ。」
西 郷「・・・・・おおっ,そういう切り口か。なかなかやるな。何でそう思うんだ?」
大久保「ゴキブリって,すごい生命力だろ。スリッパで多少叩かれたって逃げていくだろ。菅という男は,自己保身というか,一分一秒でも長く総理大臣のイスに座っていたいという強烈な名誉欲があって,そのためにはなりふり構わずに,曖昧な退陣表明をして内閣不信任案を否決に追い込んだり,その後も何かと理由を付けては延命策を講じている。自己保身にかけてはすごい生命力だと思うんだ。あるブログなんかには,菅のことが『ゴキブリ総理』と表現されていた(笑)。ゴキブリには悪意はないけど,菅には悪意があるという意味では,ゴキブリに例えちゃゴキブリに失礼だけど・・・」
西 郷「・・・うーん,お前もたまにはいいことを言うな。なるほどな・・・,意外に説得力があるわ。」
大久保「それにしても,俺は女子サッカーのW杯では,本当になでしこジャパンの選手達に勇気をもらった。ありがたいと思った。でも,彼女らは気の毒に首相官邸に優勝報告に行かされた。可哀想に・・・帰国早々,あんな奴の顔は見たくはないだろうに,それよりも一刻も早く東北の被災者の所に勇気づけに行きたいだろうに・・・」
西 郷「そうだよな。にもかかわらず,菅という奴は,なでしこジャパンにあやかって,『私も諦めずに頑張りたい』とほざいたそうだ。こいつばっかりは,本当に恥というものを知らない。」
大久保「まあ,『コミンテルン残党説』も,『前世ゴキブリ説』どちらも正しいと思うよ(笑)。それにしても,今回のW杯でつくづく思ったんだけど,日の丸の旗というのは本当に美しいなあと思った。シンプルで気高くて,素晴らしい国旗だね。」
西 郷「・・・うん(泣)。」
なでしこジャパン,本当にありがとうございました。もう理屈抜きで勇気が湧いてきました。強い明確な意思をもって,決して諦めさえしなければ,困難といわれたことも実現できることを教えてくれました。自分たちよりも平均身長で10センチ近くも高いドイツやスウェーデンやアメリカのチームを相手に,不屈の闘志で勝利したのです。本当に素晴らしいシーンでした。私は不覚にも早朝から涙が止まりませんでした。
それにしても,MF澤選手の技術,闘志,キャプテンシーはすごいですね。また,MF宮間選手はニヒルで冷静で,あのクロスボールやフリーキックの精度は世界で十分に通用するでしょう。それに,今回のW杯では若干控えめでしたが,日本代表にはまだ18歳の岩渕真奈という天才がいます。その他,今大会活躍した選手も多く,なでしこジャパンはこれからも大いに期待できそうです。次のオリンピックが楽しみです。いつも思うのですが,彼女らのゴール後の祝福し合う姿,誰かに駆け寄って抱っこされるというやつは,微笑ましいです。また今大会で日本チームは,フェアプレイ賞も獲得しました。やはり武士道の国です。
テレビ映像で見たところ,「日本 Good Luck!」というボードを持って応援してくれていた外国人や,心配そうな表情で手に日の丸をもって応援してくれているドイツ人らしき人もいました。ネット情報ではドイツ人を中心とした観客の人たちは,もう総立ちになって日本代表を応援してくれていたそうです。ありがたいことです。それに私は,テレビ映像などで見たのですが,岩手県出身のDFの岩清水梓選手が大きな日の丸を持って歩いていました。その日の丸には何やら書き込まれており,そこには次のようなメッセージが書き込まれておりました。
「東北のみなさんへ 忘れたことはありません。今回『良い結果を届ける』その一心でした。メダルを持ってみなさんのところへ会いに行きます。待っていて下さい。応援ありがとうございました。共に歩もう!東北魂!! なでしこジャパン 岩清水梓」
私は泣けて泣けて仕方ありませんでした。今回のW杯では,日本代表選手は試合前に東日本大震災のビデオを見て試合に臨んだこともあるそうです。監督以下選手全員が被災者の方々や日本国民を勇気づけよう,そういう強い気持ちで数々の困難な試合を戦い抜いたのだと思います。
女子サッカーの日本代表の活躍ぶりは素晴らしいと思います。我々に勇気を与えてくれます。ドイツで行われているFIFA女子サッカーW杯で,わが日本代表が準決勝でスウェーデンを3-1で破り,決勝進出を決めたのです。
キャプテンであるMFの澤穂希選手の活躍が素晴らしかったのはもちろんですが,FWの川澄奈穂美選手のプレーが誠に素晴らしかったと思います。特に川澄選手がゲットした3点目のゴールは芸術的で,スキルの高さを感じます。空中でワントラップして即座に相手GKが前に出すぎているのを見計らってループ気味に絶妙のシュートを放ち,見事にゴールネットを揺らしたのです。これで勝利を決定付けました。
それにしても私は気づいたのですが,このなでしこジャパンの微笑ましさは,味方選手がゴールを決めると全員が無邪気に全身で喜びを表し,ゴールを決めた選手は味方選手に自ら飛んで抱っこされ,受け手の選手はその選手を抱っこしたまま,少し高い位置で祝福を与えるのです(笑)。皆さんも,例えば澤選手が抱っこされて高い位置でガッツポーズをしているシーンを思い出すでしょう。それに,日本の選手はみんな愛嬌があって可愛いですね。
さて,この対スウェーデン戦では,視聴者としての私はまたしても卑怯なまねをしてしまいました。前半を1-1で折り返した時点で,もう見ていられなくてテレビのスイッチを消して仮眠状態に入ったのです。そして,試合が終わったと思われる時間になって恐る恐るテレビのスイッチをつけ,3-1での日本勝利の情報に接したのです。本当に私は小心者で,卑怯な男です(笑)。
さて,決勝の相手は世界ランク1位のアメリカです。順当と言えば順当な相手ですが,これまで日本女子はアメリカに勝ったことがありません。セットプレーからの高い位置でのヘディングに気をつけて欲しいと思います。でも,今や今大会の日本代表のプレーぶりは,ヨーロッパで高く評価されております。日本は日本の特徴を生かして技術とスピードで勝負してください。結果はともかくとして,全力で良い試合をしていただきたいものです。
以前にもこのブログでお話ししたことがあると思いますが,私が司馬遼太郎の「坂の上の雲」という小説を読んでその生き様に感動した人の一人に,広瀬武夫少佐(のち中佐)がいます。広瀬少佐は,日露戦争における旅順港閉塞作戦で戦死されたのですが,彼は行方不明となった杉野兵曹を見つけるために最後の最後まで船内を捜索しました。部下思いの強い人です。
あきらめて救命ボートでその他の部下たちと撤退する際には,ロシア軍のサーチライトに照らされ,砲弾を浴びるという極めて緊迫した場面でした。広瀬少佐は恐怖におののく部下に対し,「俺の顔を見て漕げ!」と叱咤し,勇気づけました。そんな極限状況の下でも,「俺の顔を見て漕げ!」と部下を勇気づけるその勇気は素晴らしい。結局,一瞬にして広瀬少佐自身が砲弾に当たって戦死してしまうのです。彼は日本で初めての「軍神」となりました。
そんな広瀬少佐の勇気に感動する自分が,かつて少し卑怯なまねをしたことで,しこりのように心に残っている件があります。日露戦争とは全く次元の違う卑小なことではありますが,良心の呵責を覚えた件があるのです。今年の5月でしたか,ロータリークラブの仲間3人とゴルフをやりました。自分より年上の女性2人と,自分より年下の男性1人と私です。その男性はHさんといい,ゴルフが上手でマナーにも厳しい人です。5月とはいうものの,その日はラウンドの途中で雷雨が発生し,相当に強い雨となったため,全員合意の上で中断しようということになり,女性2人と私はカートにすぐに乗り込みました。しかしHさんは,中断を前提としながらも,ルールにしたがってプレー途中のボールを全員分拾い始めたのです。雷鳴も近くなっておりましたし,手伝わなければと思いつつも,カミナリを極度に怖がる私としては,完全にHさんに任せてしまいました。自分は卑怯だなと思いました。自分がカミナリを怖がり過ぎる傾向は,母親譲りです(笑)。
いやァ,勇気を出さなければだめですね。今朝の産経新聞の「産経抄」には,女子サッカーW杯ドイツ大会で4強に入ったなでしこジャパンのMF澤穂希キャプテンのことが書いてありました。彼女は,常日頃チーム員に対して,「苦しくなったら私の背中を見て」と言っているそうです。素晴らしいと思います。
ここ数週間,土曜,日曜をゆっくりと自宅で過ごした記憶がありませんでした。能力が不足しているのか,要領が悪いのかは分かりませんが,仕事のために土・日を費やすことが多かったのです。平日の残業を避けていることのしわ寄せなのかも知れませんが,土・日も事務所に出て行くというのは精神衛生には良くないでしょうね。休日くらいは自宅でゆったりと過ごしたいものです。
そんな訳で,昨日(日曜日)は久しぶりに自宅でゆっくりとしました。寝たきり老人状態でした。早朝に飛び込んできたニュースは,FIFA女子サッカーワールドカップで,日本代表チームが優勝候補筆頭のドイツを破ったのです!これはすごいことです。ドイツといえば,女子W杯の3連覇を目指す強豪で,しかも開催国で,しかも世界ランク2位で,しかもこれまで女子日本代表チームが一度も勝ったことがない相手です。完全アウェーの状況下で,延長後半3分,MF澤の右サイドへのパスを受けたFW丸山が,すごく難しい角度から見事なゴールを決めました。
とうとう4強入りを果たし,準決勝はこれまた強豪スウェーデンです(世界ランク5位)。日本はこのスウェーデンに対しても,これまでW杯では勝ったことがありません。ここまできたら,是非頑張って欲しいと思います。本当に勇気をくれました。
アメリカでは女子プロゴルフツアーのメジャー大会,全米女子オープンが開催され,日本時間の日曜日朝の時点では,宮里美香が1位,宮里藍が2位に着けていました。これもすごいことです。これも本当に勇気をくれました。日曜日は寝たきり老人状態で一日中まったりしましたが,布団のうえで狂喜乱舞して腰を痛めてしまいました(笑)。
わが読売巨人軍は東京ドームで同一カード3連勝を果たしましたし,わが名古屋グランパスは敵地でヴィッセル神戸を1-0で下し,勝ち点3を加えましたし,何よりの週末でした。
勇気を与えるどころか,国民に絶望と不安を与え,怒りまでかっているのは,もうお分かりですね,希代の俗物菅直人です。この男の無能,無責任は底知らずで,自由民主党の山谷えり子参議院議員が指摘するように,復興担当相を置くのに108日もかかり,自公(両党)丸呑みの復興基本法を成立させるのに101日もかかっている体たらくです。この猛暑の中,被災地や避難所では,汚泥や魚の腐臭,ハエの発生に悩まされ,ガレキ処理も遅々として進みません。菅という希代の俗物は,ある晩などは寿司屋,焼き肉屋,イタリアンレストランと3軒もはしごして,被災地そっちのけで羽目を外しております。政商孫正義におだてられ,Vサインまでしています。国民は,勇気などなくなってしまいますでしょう。
またまた,すごく久しぶりの「つける薬がない」シリーズの復活です(笑)。元内閣総理大臣の安倍晋三先生が「史上最も陰湿な反日左翼政権」と表現されましたように,今の菅政権は史上最悪でしょう。この史上最悪の政権,そしてひいては民主党政権の崩壊,瓦解を強く期待して,この「つける薬がない」シリーズが復活したのでございます。もちろん,公職選挙法に違反しない限度で(笑)。もっとも私のような者が陸の孤島のようなこのブログ内でいくら吠えても何にもなりませんが,私もこの大切な日本国を愛する国民として,そして納税者として,今の状況に対しては吠えざるを得ないのです。
菅という希代の俗物は,その俗物ぶりをいかんなく発揮しておりますね。国家や国民のことなど寸毫も考えておりません。一分一秒でも長く総理大臣をやっていたいだけです。彼の現在のどんな振る舞いも,結局は,その地位に恋々とすること,その地位を手放さないことが自己目的化しております。
菅という人間は,浜岡原発稼働停止という国民受けするような項目については,予め予定されていた担当の経済産業大臣による記者会見の機会を奪って,自らがヒーローになろうとしました。しかしその後,玄海原発の再稼働については,海江田経産大臣が現地の了解を取り付け,あとは古川康佐賀県知事が首相自身との面会と最終的な説明を求める段になって,菅という人は「俺は言いたくない。」などと述べてこれを拒否し,突如として今度はストレステスト(耐性検査)のことを言い出しました。ついこの間までは,玄海原発再稼働は政府内でも既定路線だったはずです。菅というイメージを重視する人間は,自らが立地自治体の長に会って再稼働の了解を取り付けることが,「脱原発」という自分のイメージの障害になると考えたのでしょう。そして,この男がちらつかせる「脱原発」を最大争点とする解散・総選挙の将来の障害になってしまうと思ったのでしょう。さらには,ストレステストを経て再稼働の可否が決定するまでは自分の在任期間がさらに延びると全く姑息なことも考えているはずです。いずれにしても,国会の答弁で海江田経産大臣が「辞任」を仄めかしているように,閣内不一致は明らかですし,つい先日の復興担当大臣の辞任など,もはや政権の体をなしていません。この夏,冬の電力供給は大丈夫なのでしょうか,日本国の経済はどうなってしまうのでしょうか。ある委員会で菅という人間が一人で答弁し,閣僚席には他に誰もいないという写真を見ました。象徴的です。ある週刊誌によれば,首相公邸の裏にはお酒のビンや缶などがうずたかく積まれていたそうです。あのでしゃばりのファーストレディーに「あなた絶対にやめちゃだめよ。」と言われながら,その気になって飲んでいるのでしょう。
先日の産経新聞の朝刊には,同社の名物記者である阿比留瑠比さんが,次のような記事を書いておりました。誠に,おっしゃるとおりでございます!
「(菅政権は)何の成果も実績もない。だから、何か成果を挙げるまで政権を維持したいのだろうが、執着がさらに弊害を生む悪循環に陥っている。『権力をかさに着た成り上がり者の大言壮語や、権力に溺れたナルシシズム、ようするに権力崇拝ほど、政治の力を堕落させゆがめるものはない』これはドイツの社会学者、ウェーバーが100年近く前に述べた言葉だ。まるで首相の姿を予言したかのように思えてならない。」
もう年齢のせいでしょうか。このブログも思い出話が多くなってきました。バッハの教会カンタータ第106番「神の時は最良の時」を聴いていたとき,その歌詞の内容から,私の中学校時代からの親友F君のことを思い出してしまったのです。
F君との思い出話はたくさんありますが,やはり夏の出来事をどういう訳か多く覚えています。私もF君も中学校時代は野球部に属していまして,大所帯の野球部の中では補欠の補欠といったような立場でした。そんな訳で,炎天下でのクラブ活動に対するモチベーションは極めて低く(笑),彼と一緒によく練習をサボってはかき氷屋さんで冷たいかき氷を食べてだべったり,卓球をしたりして遊んでいました。そのかき氷屋さんにはどういう訳か卓球台が置かれていたのです(笑)。また,高校進学後も,彼から誘われていろいろなアルバイトを一緒にやりました。大人の人と一緒になって,ニワトリやヒヨコを車で運搬して,鶏舎などに入れるようなアルバイトも体験しました。今にして思えば,彼は世間知らずの私を,社会との接点に導いてくれたという面もありました。
前にもこのブログで触れたことがあったかもしれませんが,その大親友であったF君は3年前に亡くなりました。私は弔問の際に人目をはばからず号泣しました。社会人になってからはお互いに会うことは少なくなりましたが,彼は生前,家族に私のことをたびたび話してくれていたようです。
死というものは前方からやってくるものではないのですね。後ろからそっと肩を叩かれるような感じです。沖合はずっと向こうの方にあると思っていたら,実は足元まで潮が満ちていたというような・・・・。「死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず。かねてより後ろに迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遙かなれども、磯より潮の満つるが如し。」(徒然草第155段)。
バッハの教会カンタータ第106番「神の時は最良の時」の中の歌詞にも,次のようにあります。
「神の時は最良の時である。彼において私たちは生き、動き、存在する。彼の意図されるかぎり。彼において私はしかるべき時に死ぬ、彼の意図される時に。」
この教会カンタータはバッハが22歳の頃の作品ですが,素晴らしい傑作であり,礒山雅さんは「死における信仰の意義をこれ以上印象深く描き出した芸術が、いったいほかにあるだろうか。」と述べています(「バッハ=魂のエヴァンゲリスト」53頁,礒山雅著,講談社学術文庫)。バッハ自身も6歳の時に次兄を亡くし,9歳の時に母を,10歳の時に父を亡くしておりますから,もう22,3歳の時には生と死の問題に関して大きな悟りのようなものに達していたのではないでしょうか(同著55頁)。
このカンタータの冒頭の2本のリコーダーとヴィオラ・ダ・ガンバの紡ぎ出す美しい印象的な旋律も素晴らしく,そしてその歌詞に接した時には思わず親友のF君のことを思い出したのであります。