私が初めて司馬遼太郎の「坂の上の雲」という小説を読み終えた時,読後にもっとも印象に残った登場人物(いずれも実在の人物)は,広瀬武夫少佐,児玉源太郎大将,秋山好古少佐の3人でした(軍における階級はいずれも日露戦争当時)。
児玉源太郎大将の日露戦争における活躍は見事で,その勝利に最も貢献した一人であると言われています。その卓越した先見性と戦略眼,人望によるものです。以下の記述はウィキペディアなどによるものですが,神風連の乱の鎮圧の直後には,東京から現地あてに真っ先に送られた電報に「児玉少佐ハ無事ナリヤ」とあったことからも分かるように,軍当局が当時若干24歳の一少佐であった児玉源太郎にかける期待の大きさが窺われます。また,日本軍の参謀教育のためにドイツから教官として派遣されていたドイツ陸軍参謀将校のメッケルは,日露戦争が勃発した際,既に帰国していたドイツにおいて「日本に児玉将軍が居る限り心配は要らない。児玉は必ずロシアを破り、勝利を勝ち取るであろう」と述べたそうです。
そして,児玉源太郎といえば,日露戦争が勃発した当時は,もう既に陸軍大臣,内務大臣,文部大臣を歴任していたキャリアの持ち主だったのですが,参謀総長の大山巌に特に請われ,参謀次長になった人です。これは明らかな降格人事ですが,私心のない無私の児玉大将はこれを受け,職務を全うするのです。
結局,児玉源太郎大将は日露戦争を勝利に導いた貢献者の一人であり,勝利のために心血を注ぎ,その心労がたたったのでしょうか,戦争終結の約8か月後に脳溢血で急逝されたのです。誠の武士でした。「坂の上の雲」を読んだ後,どうしても児玉源太郎のことが頭を離れませんでした。この国難の時に,こういう日本人が政治の中枢にいてくれたら・・。
さて,話を急に現在に引き戻してしまい恐縮ですし,実に暗澹たる気持ちになってしまうのですが,菅直人という希代の俗物は,ことあるごとに高杉晋作や吉田松陰先生のような歴史上の人物に自分を照らし合わせようとします。笑止千万です。そして,「歴史に名を残したい」というのが口癖のようです。バカも休み休み言え,となります。このような姑息な手段ばかり弄するような存在とは全く次元というものが違います。また菅という人は,児玉源太郎を尊敬しているようで,自分の息子にも「源太郎」と命名しています。児玉源太郎を尊敬しているのはいいのですが,こういう本当に尊敬に値する人物と自分とをまさか同一次元で論じてはいませんよね。やめてくださいよね。菅という人は,自分の息子である菅源太郎氏が国政選挙(衆議院議員総選挙)に立候補してこれを応援した際,「世襲」批判をかわし,「世襲ではない。政治家として優れた人間がたまたま息子だった。」とコメントしております(爆笑)。全く・・・臆面というものがありません。