8月18日の政変というのは,江戸末期の文久3年8月18日に起こった事件で,会津藩,薩摩藩を中心とした公武合体派が,長州藩を主とする急進的な尊皇攘夷派を京都から追放したクーデター事件です。思いますに,割と短かった新撰組の活動期間の中で,新撰組が最も輝いていた時期は,この8月18日の政変あたりから,翌元治元年の池田屋事件を経て,同年7月19日の禁門の変(蛤御門の変)のあたりでしょうね。新撰組にとっては,この頃がもっとも生き生きとしていた時代でしょう。それにしても,8月18日の政変の頃は,まだ会津藩と薩摩藩とが手を携えていたのですから,その後の大きな歴史のうねりを感じてしまいます。
禁門の変(蛤御門の変)の際にも,新撰組は大活躍しました。京都御所の現在の蛤御門(正式名称は新在家御門)が,なぜ蛤御門と呼ばれるようになったのかについては,光格天皇の頃に発生した天明の京都大火(大火事)の際,それまではめったに開かなかったこの門が,この大火事の時にやっと開かれたという事実に由来しているとのことです。つまり,貝殻のように固く閉じていたのに,熱い火にあぶられてようやく開いた,ハマグリのようだ,ということで蛤御門になったそうです。
今年の3月11日は,かつてこのブログでも書きましたように,私は京都旅行の幹事をやっていまして,新撰組コースの責任者だったのです。何度も下見にも行きました。その旅行コースのことですが,あの日,3月11日,私たちの貸し切りバスがちょうど蛤御門を出発し,その次の行き先である八木邸に向かう途中で,あの東日本大震災が発生したのです。その時点では私たちは全く気付いておりませんでした。その日の午後5時ころに知ったのです。
このお盆の時期,改めてこのたびの大震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りしますとともに,ご遺族の方々や被災された方々に対し,心からのお見舞いを申し上げます。