私は中学生でもないのに,育鵬社の「中学社会 新しい日本の歴史」の市販版を実際に読んでみました(笑)。というのも,最近では中学校の歴史,公民の教科書の採択をめぐって,育鵬社の歴史・公民の教科書が何かと新聞紙上を賑わしていますよね。それで一体全体,どんな内容の教科書なんだろうかと確かめてみたくなり,そのうちの歴史教科書を読んでみたのです。
育鵬社の中学生向けの歴史教科書の内容は,立派なものだったと思いますよ。改正された教育基本法の趣旨に最も合致している教科書ではないでしょうか。私としては,第一次世界大戦以降,第二次世界大戦終結までの歴史の記述についての一部には物足りなさを感じた部分もありますが(例えば,コミンテルンが各国で暗躍していた実態に触れていないなど),中学生向けですからこれでいいと思います。人物コラムなどでは,西郷と大久保,シュリーマン,モース,イザベラ・バード,パール判事なども登場します。中学生の彼らとしても,日本や日本人を誇りに感じ,歴史に興味を持ってくれるような内容です。
ところで,育鵬社版に反対する市民団体は「戦争を正当化する教科書を多くの学校現場に押しつけるのは許せない」と反発しているようですが,バカも休み休み言え,バカにも休み休みなれ,と言いたい。戦争を正当化する内容になどなってはおりませんよ。彼らの中には特定のイデオロギーに凝り固まってしまったプロ市民もいるでしょうし,本当に思考の停止した平和ボケもいるでしょう。彼らに共通しているのは,いわゆる東京裁判史観というやつです。日教組などは戦後GHQの肝いりで出来たような団体ですし,そのGHQの目的はこの東京裁判史観の徹底です(いわゆるWGIPです。)。この点について江藤淳氏はその名著「閉された言語空間」の中で,「要するに占領軍当局の究極の目的は、いわば日本人にわれとわが眼を刳り貫かせ、肉眼のかわりにアメリカ製の義眼を嵌めこむことにあった。」と見事に喝破されております(223頁)。
それにしても残念なのは,小田原市議会の愚挙です。在日本大韓民国民団神奈川県湖西支部が出していた陳情,すなわち育鵬社・自由社の公民・歴史教科書を不採択にするように求める陳情を,何と,小田原市議会は賛成多数で採決するという愚挙に出たのです。語るに落ちるとはこのことです。こんな的外れで厚かましい陳情をする方もする方ですが,こんなばかげた採択をする市議会議員の劣化ぶりは目を覆うばかりです。小田原が生んだ二宮尊徳先生は,どんなに嘆き悲しんでいることでしょう。この一件からしても,永住外国人に地方参政権を付与することの危険性は推して知るべしでしょう。
一方で,横浜市教育委員会は,定例会を開き,来春から4年間,市内147校の市立中学などで使用する歴史と公民の教科書として,育鵬社の教科書を採択しました。よろこばしいことですし,全国的に見ても育鵬社の教科書が採用されるケースは徐々に増えているようです。日本国民も,もういい加減に,いわゆる東京裁判史観から脱却して,ごく普通の考え方に近づくべきでしょう。