昨夜は,私にとっても,全ての参加者にとっても大恩ある方の三回忌の集まりがありました。10月23日がご命日です。秋の夜にふぐを食べながら,そのご遺徳を偲びました。
その方(以下「先生」と呼びます)は長年にわたって裁判官として誠実に執務されつつ,私のような司法試験受験生の指導もしていただきました。定年退官後の先生は,弁護士登録をされ,光栄にも同じ法律事務所で再びご指導いただき,プライベートでも大変お世話になりました。私にとって正に大恩ある方でした。
司法試験受験生時代に一緒に先生の指導を受けた人の中には,残念ながら合格に至らなかった人もおりますが,先生はその後も分け隔てなく皆に心配りをされました。3年前の6月初旬だったと思いますが,先生と私ともう一人の3人で先生お気に入りの料理屋で飲んだことを思い出します。先生は割と健啖家で,普段は出された料理は残さずにお召し上がりになるタイプでしたが,その日はあまり食が進まなかったようで,気がかりになった私がその理由を尋ねますと,「箸づかいがうまくいかなくてねぇ。」と仰ったことを覚えております。もうその頃には体調面もすぐれず,お手元も不自由を感じておられたのだと思います。それにもかかわらず,先生はかつて指導した門下生の一人が単身赴任先の富山から異動で名古屋に戻ってきたことから,お祝いと慰労の意味で一席を設けてくださったのです。本当にありがたいことです。先生との思い出は多く,また,娘のあかねちゃんを膝の上に乗せるなどしてとてもかわいがってくださいました。
人徳というものは,文字通りその人にそなわった徳なのですから,私のような者が先生の真似をしようとしてもそれは無理なことです。しかし,何かの局面に遭遇した時,私は「先生だったらどうなさるだろうか。」,「先生だったらどのような考えをお持ちになるだろうか。」と思うことが多く,先生の存在は私にとって一つの規範になっているのです。