今朝の産経新聞の投書欄に,東京都立川市に住む15歳の女子中学生の投書がありました。まずはその女子中学生が電車内で体験した事情からお話ししましょう。投書によれば,こんなことがあったそうです。
電車内で小さい2人の子供(兄弟のようです)が大きな声を出しながら車内を走り回っておりました。その行動はだんだんとエスカレートし,この子達は隣の車両まで遠出して走り回っていたそうです。ところが,この子達の父親は無言で何も注意しません。車内のその他の人たちは迷惑そうな表情をしております。そんな状況が続いていたところ,年配の男性が意を決してもの凄い形相で車両間の扉をピシャリと閉めたのです。それを見たその子達の父親は,ようやく「静かにしなさい!」と注意したそうです。
そういう親は結構おりますよね。叱ることのできない親たちです。投書の女子中学生も,叱るのが遅すぎる,あまりにもカッコ悪い親だと主張しておりましたが,そのとおりです。また,飲食店内やその他の公衆の場で乱暴狼藉をはたらいている子どもに何も注意しない母親が,よその大人に自分の子どもが窘められたとき,「ほらごらんなさい,よそのおばちゃんに怒られるでしょ!」なんて言うバカな母親もいます。要するに,ロクな躾けも受けていない親は,やはり自分の子にロクな躾はできない訳です。これも負の再生産でしょう。戦後60数年,徐々にダメになってきた家庭教育,学校教育を,やはり同じくらいの時間をかけてゆっくりとまともな状態に戻す必要があります。そうでなければ,この負の再生産は拡大再生産になってしまい,日本国はガタガタになってしまいます。
たまたま今読んでいる本は,「昭和、家族の見識」(新井えり著,中央公論新社)という本です。味わい深い,そして日本人が忘れてはいけない,いわば文明ともいうべき醇風美俗に接することができます。実例がふんだんに盛り込まれています。昨日読んだ箇所の一部を引用しておきます。
「社会全体が子供の機嫌をとっている。学校でも家庭でも、子供に対してはっきりと『否!』と言えない。変な平等主義や安っぽい権利意識が、『子供なんだから、ダメなものはダメです。理由はありません。』ときっぱり言うことを、大人に許さないのである。『大人らしい大人』がいなくなり、子供が『子供らしく』なくなった。日本中、誰も彼もが『お友だち』。敬語が滅びる所以である。」(同書59ページ)
叱るべき時には叱り,躾けるべき時には躾けなければなりません。理由なんか要りません。会津藩の什の掟の末尾にあるように「ならぬことはならぬものです」。