皆さま,新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年のお正月は,娘のあかねちゃんの大学受験を控えていることもあり,我が家では動きの少ないお正月でした。私の甥は全部で4人いるんですが,このうちの2人が今年挙式予定ということで,元旦の夜にこの二組のカップルから年始の挨拶と結婚の報告を受けたくらいです。
さて,年末に新聞をめくっていると,「蜩の記」(葉室麟著,祥伝社)という本の書評に目がいきました。その書評によると,これほど武士の本分というものを見事に描き切った本も珍しい,号泣せずに読むことはできないというような趣旨の書評でした。「よしっ,久しぶりに思いっきり号泣してみるか!」と思い,早速読みました。ほとんど一気に読破した感じでした。確かに素晴らしい小説で,一箇所涙が溢れそうになった部分はありましたが,残念ながら「号泣」とまではいきませんでした(笑)。「号泣」を目指してまっしぐらに読み進んでいたのに・・・(笑)。
しかしといっては何ですが,元旦の朝っぱらから不覚にも思わず落涙してしまった誠に素晴らしい文章がありました。元旦の産経新聞の中に,新潮社の宣伝広告がありまして,「日本人よ、勇気をもちましょう」という表題のドナルド・キーンさんの文章が載っていたのです。泣けてきて仕方のない素晴らしい文章でした。家族に涙を悟られまいと,顔の前から新聞をずらすこともできませんでした。このドナルド・キーンさんの文章を,是非「拡散」したいと思いました。
そんな訳で,今年の一番最初のこのブログは,元旦の産経新聞に掲載されたこのドナルド・キーンさんの文章をご紹介して,締めくくっておきます。
「かつて川端康成さんがノーベル文学賞を受賞したとき、多くの日本人が、こう言いました。『日本文学が称賛してもらえるのは嬉しいが、川端作品は、あまりに日本的なのではないか。』日本的過ぎて、西洋人には『本当は分からないのではないか』という意味です。分からないけれど、『お情け』で、日本文学を評価してくれているのではないかというニュアンスが含まれていました。長年、そう、もう七十年にもわたって日本文学と文化を研究してきて、私がいまだに感じるのは、この日本人の、『日本的なもの』に対する自信のなさです。違うのです。『日本的』だからいいのです。昨年、地震と津波に襲われた東北の様子をニューヨークで見て、私は、『ああ、あの「おくのほそ道」の東北は、どうなってしまうのだろう』と衝撃を受けました。あまりにもひどすぎる原発の災禍が、それに追い打ちをかけています。しかし、こうした災難からも、日本人はきっと立ち直っていくはずだと、私はやがて考えるようになりました。それは、昭和二十年の冬、私は東京にいました。あの時の東京は、見渡すと、焼け残った蔵と煙突があるだけでした。予言者がいたら、決して『日本は良くなる』とは言わなかったでしょう。しかし、日本人は奇跡を起こしました。東北にも同じ奇跡が起こるのではないかと私は思っています。なぜなら、日本人は勁(つよ)いからです。私は今年六月で九十歳になります。『卒寿』です。震災を機に日本人になることを決意し、昨年、帰化の申請をしました。晴れて国籍がいただけたら、私も日本人の一員として、日本の心、日本の文化を守り育てていくことに微力を尽くします。新しい作品の執筆に向けて、毎日、勉強を続けています。勁健(けいけん)なるみなさん、物事を再開する勇気をもち、自分や社会のありかたを良い方向に変えることを恐れず、勁く歩を運び続けようではありませんか。」