今年はうるう年で,今日はその2月29日です。実はこの話は,昨日のある方のスピーチの受け売りなんですが,このうるう日の2月29日は,ヨーロッパでは4年に一度だけ女性の方から男性にプロポーズができる日だそうです。ただ,それだけならばまだいいんですが,プロポーズをされた男性は原則としてこれを断ることができないんだそうであります。いやー,凄いことになっております(笑)。
スコットランドのマーガレット王女は,1288年に「未婚の女性はうるう年ごとに,好きな男性に対してプロポーズをすることができる。男性はそのプロポーズを断ることはできず,もしこれを断るのであれば,罰金を支払うか,それともその女性に絹のドレスを与えなければならない。」という法律を制定したのです。でも,その年の一年中というのは男性にとって辛すぎるので(笑),その後うるう日だけに改正されたようです。もともとこの風習はアイルランド起源のようですが,同じような法律はフランスにもあり,イタリアにもそういった慣習があったそうです。
それにしても,2月29日が誕生日の人は,平年ですと2月29日という日がありません。一体全体,こういう人はいつの時点で一つ歳をとるのでしょうか。明治35年に制定,施行された「年齢計算ニ関スル法律」という法律によりますと,民法143条の規定を年齢計算にも準用しています。その民法143条2項但書によりますと,月によって期間を定めた場合において,最後の月に応当する日がないときは,その月の末日において満了するとされていますから,正解は,2月28日の24時の経過でもって一つ歳をとるということになるのでしょうね。
プロポーズで思い出したんですけれど,週刊文春でしたか,ある号のある記事の漫画イラストで思わず吹き出してしまうような面白い場面がありました。皆さん,イメージしてください。場所はどこにでもあるような公園の砂場近くです。4,5歳くらいの男の子と女の子が向き合っております。男の子はまだ背が小さく,決してイケメンではなく頭に毛が3本しかなく(少しチビ太似),鼻水でも垂れていそうな子で,手には小さなスコップと小さなバケツを持っています(砂場遊びの道具でしょう)。でも可愛いのです。そして,その男の子は対面している女の子に少し気がありそうです。一方,その女の子はその男の子より少し背が高く,少しふっくら,こざっぱりしておしゃめで可愛いめの子です。利発そうです。でも何となくですが,その男の子に気があるとは思えない雰囲気です(悪気はありません)。そのようなイメージ(状況)で,次のようなセリフが書かれていたのです。私は思わず吹き出してしまいました(爆笑)。
男の子「ボクが大金持ちになったら,どうする?」
女の子「あなたよりもっと大金持ちの人と結婚する。」
男の子「・・・・・・・・・・。」
その方は,私がかつて損害保険会社側の交通事故事件処理のお手伝いをしていた際に知り合った方です。Kさんといいます。Kさんは,損保会社の社員をその後退職され,数年前に独立して共同で会社を設立し,損害保険代理店業を始められました。独立して事務所を構えられた際には,観葉植物をお贈りして励ましたことを覚えております。
かつて事件処理の一環として,私はKさんとも何度も打合せ等をさせていただきましたが,真面目で誠実なお人柄です。そうですね,独立開業の報に接してから約3年くらいが経過したでしょうか,ずいぶん久しぶりにKさんからお電話があり,いわゆる弁護士費用特約を使った交通事故の案件を一件ご紹介いただけるという内容のお電話でした。その電話をいただいたのが昨年の12月初旬でした。そして私は,昨年の12月13日に三重県津市内で現地調査や打合せのため,Kさんと本当に久しぶりの再会を果たしたのです。そりゃ,お互い歳を取りましたからそれなりに老けましたが,以前と変わらない和やかな雰囲気で久闊を叙することとなったのです。
私もご紹介いただいた事件処理を着々と進め,年が明けてからもKさんは,真面目に様々な資料をメールで送ってくれたり,お電話でお話もさせていただいておりました。ところが,2月13日だったでしょうか,Kさんと会社を共同経営されている方から,Kさんが2月3日に倒れられたこと,脳梗塞の症状が重篤であること,独立呼吸ができず人工呼吸器を付けていること,意識が戻らないままの状況にあることを初めて聞かされたのです。私は本当に驚き,心配でたまりませんでした。しかし,治療の甲斐なくKさんはその数日後に亡くなられたのです。まだ60代そこそこのお歳だったのではないでしょうか。とても残念で,そして人間の命の儚さと無常を痛感しました。
「死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず。かねてより後ろに迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遙かなれども、磯より潮の満つるが如し。」(徒然草第155段)
死には必ずしも前触れがあるとは限らないのでしょう。死というものは前からお迎えが来るというよりも,実はそっと後ろから迫っているのでしょうね。遙か遠くの沖合の景色ばかりを眺めていたら,実は潮が足元まで及んでいることに気付かずにいたということもあります。真面目で誠実なお人柄だったKさんとは,久しぶりの再会をきっかけとしてこれからも末永くお付き合いをと思っていた矢先の訃報でした。まだまだ鬼籍に入るようなお歳ではないのに,本当に残念なことでした。ご冥福をお祈りいたします。
今から思えば,久しぶりにKさんから昨年12月にお電話があったのは,袖振り合うも多生の縁というように,「今生でもう一度だけ会っておきましょうよ。」と誘ってくれたかのようです。
さくら「ああ,食った食った・・・。それにしてもひみ子さんとお会いしたのも,久しぶりだったわね。・・・それに,今日の雨の振り方は相当なものね,こんな雨も久しぶりだわ。」
ひみ子「ええ,でもホテルのランチバイキングっていいわよね,雨が降っても中止にならないから。」
さくら「はっ,はっ,はっ!ホントよねえ。」
ひみ子「今日の晩ご飯には,うちの旦那のリクエストで豚汁を作るのよ。でもねぇ,あなた里芋の皮剝くとき手が痒くなったりしない?あれがちょっと苦手だな。」
さくら「うん,そうよねえ。ピーラーでやったりしてもいいけど,表面がデコボコだしね。それにしても,里芋でいつもイヤな連想をしてしまうのは,民主党の輿石東っていう幹事長よ。あの顔と頭はまさに里芋よね。ねぇ,そう思わない?」
ひみ子「はっ,はっ,はっ!今度は私が大笑いしちゃったわ。もっと言うと・・・。」
さくら「もっと言って!もっと言ってよ。」
ひみ子「あの顔と頭は,しゃれこうべね。夕飯の時,7時のニュースでこの顔が映されたりすると,もう私ホントに嫌気がさして,晩酌してる旦那のお酒を横取りして酒をかっ喰らいたくなるもの・・・。」
さくら「かっ喰らうって,あなた・・・。まあ,確かにこの人の顔は戦後日本の歪んだ教育のなれの果て,集大成みたいな醜悪さね。ふつう,人も70歳を過ぎたりすると,その顔が端正かどうかは別にしてそれなりに人生の年輪を感じる「いい顔」になるものね。それにしても,民主党の連中の顔を見ていると,どいつもこいつも嫌気がさすわ。あら,ちょっと,あなた。何してるの?」
ひみ子「(ムシャ,ムシャ)あっ,バレた?だって美味しいんだもの。」
さくら「あなたさっきデザート食べてたでしょ。ほら,ガトー・ショコラっての?それが何,この期に及んで,何でまた白身魚のフライなのよっ!」
ひみ子「だって,美味しそうなんだもの,いわば『揚げ物』の魔力,みたいな・・。それにここでいただくお米はホントに美味しいわね。」
さくら「当たり前よ,日本が世界に誇る日本米よ。それもコシヒカリ。でも中国じゃまたまた大変なことになってるようね。アップル社が「iPad」や「iPhone」を中国国内で販売できなくなるかもしれないんですって。」
ひみ子「えーっ,何で?」
さくら「中国の企業がそのものずばりの商品名やそれに類似する名前をメチャメチャ多く商標登録してしまっていたからよ。日本企業や業者だって大迷惑なのよ。だって,『コシヒカリ』,『ひとめぼれ』,『九谷焼』,それに『青森』,『長野』,『横浜』,『名古屋』などの地域名なんかも中国国内で中国企業が商標登録してるんですって。」
ひみ子「彼らの狙いは何なのよ?」
さくら「要するに,中国の国内で日本のブランド力を利用して自社製品にネーミングして儲けようとしたり,日本企業が中国国内で自社製品を販売しようとする時,商標使用料を要求したり,商標権を売りつけようという魂胆よ。全く浅ましいったらありゃしない。アップル社もその犠牲になるのかしら。」
ひみ子「日本の農産物も,工業製品もこれだけ世界でその品質が認められ,ブランド力を持っているのは,「ものづくり」の社会基盤が確固としてとしてできあがっているからよ。職業倫理も確立し,良い意味での競争をし,より良い品を作ろうというメンタリティーと職人に対する尊敬の念,そういった社会的な基盤があると思うの。一攫千金みたいなことばかりし,知的財産権も何もそっちのけでマネばかりしているような国に,良い物は作れないし,いつまでたってもブランドは生まれないわ。」
さくら「きゃーっ,素敵。あなた,ごくたまにはいいこと言うわね。・・・さぁ,そろそろ帰りましょうか。今週末は甥の結婚式で東京に行ってくるわ。九段にも行こうかと思うの。」
ひみ子「九段って,靖国神社?」
さくら「ええ,そうよ。小野田寛郎さんは,かつて記者会見で『国が靖国を護持していないだけでも背信行為であるのに,国立追悼施設を作ったら裏切りであり,敵国として断定するだろう。・・・我々は死んだら神になって国民が靖国神社で手を合わせてくれると思えたからこそ戦えた』と仰っているのよ(「反日の構造」205頁(西村幸祐著,文芸社文庫)。私も手を合わさずにはいられないの。」
今日は,サッカーのACLのことについてお話したいと思います。ACLというのは,アジアチャンピオンズリーグのことで,正式名称はAFCチャンピオンズリーグです。これは要するに,前年度のアジア各国の優勝又はこれに準ずる成績をおさめたクラブチーム同士でリーグ戦を行い,アジアのクラブチームNo1を決めるというものです。日本では,前年度のJリーグ1位から3位までのチームと天皇杯優勝チームが出場します。
でも私は,はっきり申し上げて,こんなリーグに出場してどれほどの意味があるのかと思います。もっとはっきりと申し上げましょう,出場している韓国リーグや中国リーグの選手によるラフプレーがとても酷く,日本人選手のケガが後を絶たないのです。昨年はセレッソ大阪の選手が韓国の全北というチームとの試合で右目の上を5針縫うというケガをさせられましたし,その前には川崎フロンターレの中村憲剛選手がやはり韓国の城南一和というチームとの試合で,あごを骨折させられました。そのセレッソ大阪と韓国の全北というチームとの試合では,全北のサポーターによる「日本の大地震をお祝い(し)ます」という横断幕が問題になったことも指摘しておきます。今年も,清水エスパルスは韓国の城南一和というチームと練習試合をしていたのですが,小野選手が左膝内側側副靱帯損傷のケガを負い,結局この練習試合では韓国の城南一和の選手のラフプレーが酷かったため,監督同士で協議して途中で中止になりました。また,サガン鳥栖の豊田選手が,韓国の水原というチームとの練習試合で,全くボールとは関係のない場所で韓国人選手から殴られています。もうこれはサッカーではありません。明らかな暴力です。そして中国サッカーはご存じ,「カンフーサッカー」で世界的にも有名です。跳び蹴りは当たり前・・・。
日本の4チームは,Jリーグの年間リーグ戦を戦うとともに,このACLでの戦いも余儀なくされ,絶えず疲労困憊と相手選手のラフプレーによるケガのリスクも背負っております。もう本当にやめたらいいのに,と思います。鹿島アントラーズのオリヴェイラ監督のACLでの試合後の記者会見では,いつも相手選手のラフプレーに関するコメントからスタートしていましたよね。
わが名古屋グランパスのストイコヴィッチ監督は,今年はACLよりも国内のJリーグを優先すると明言しております。彼もたまにはいいことを言いますね(笑)。正解だと思います。勝負に「たられば」は禁物でしょうが,名古屋グランパスは昨年わずか勝ち点1の差でリーグ連覇を逃しました。実のところは,昨年のACLを戦っていた当時の移動や過密日程による疲労困憊とラフプレーで,その頃は大切な勝ち点を落としていたという事情もありました。
UEFAのヨーロッパチャンピオンズリーグにはサッカーファンとして大いなる憧れがありますが,ACLで優勝に輝くことにあまり魅力は感じません。それよりも,ラフプレーによるケガの方を恐れるのです。
全国6189万人の当ブログ読者のみなさん!ごきげんいかがですかーっ(笑)。とうとうこのブログも,いわゆる「ブログ内検索」というものが誕生いたしました。本当に世の中便利になりましたね。ブログ記事の中で検索ができるんでありますよ。ブログ記事の右上部分に注目!
まぁ,私も考え方は偏っているかもしれませんし,あまり大したことは書いておりませんが,このブログが誕生してからかれこれ3年と3か月が過ぎようとしており,これまでに660回ほどアップさせていただきました。みなさん,おヒマでしたら,例えば「バッハ」とキーワードを入れて検索してやってください。バッハ狂いの私がどんだけバッハに惚れ,その音楽のことを書いてきたかが分かります。また,男でありながら女性にまじってマンモグラフィー検査を受けざるを得なかったという辛酸をなめ,いわば羞恥の極限状況に直面させられた私が,どれほど辛い体験を涙ながらに語ったのか,「マンモグラフィー」とキーワードを入れて検索してみてやってください(笑)。みなさん,思わず感極まってもらい泣きされることと存じます(爆笑)。さらには,そういえばこの男,一時期「ぜんまいざむらい」に夢中になっていた時期があるなとご記憶がありますれば,「ぜんまいざむらい」とキーワードを入れて検索してやってください。私の支離滅裂な性格の一端に触れることができると思います(笑)。
これからも,鋭意仕事に打ち込みつつも,くだらないブログを何とか更新していきたいと思っております。
それにしても,今上天皇の心臓手術が無事に成功したことに本当に安堵いたしました。陛下のご病状が心配で仕方なかったのです。東京の坂下門に手術成功を祈念して記帳にお越しになった方々の多かったこと。やはり天皇陛下は日本人の心のよりどころなのです。ますますの弥栄を祈念いたします。記帳にお越しになった方々の写真が新聞にも掲載されておりました。読売新聞で見た写真は,大和撫子の若い女性の真剣そうな表情,また産経新聞で見た写真は青い帽子をかぶった健気な少年の姿でした。いずれも良い写真でした。
「お母さん 火の気のない 二月の台所は 寒かったでしょう 水しか出ない 台所で 朝食用の米をとぐ 夜は しんしんと 冷えたでしょう 文句一つ言わず 休みのない 台所仕事 あなたの やさしさが あふれていた 台所」
これは昨日(2月15日)の産経新聞の朝刊の「朝の詩(うた)」というコーナーに掲載されていた三重県伊賀市の北間理子さんという方の詩です。胸に響いた詩だったものですから,思わず「拡散」してしまいました。著作権法違反になるのでしょうか。法律家であるにもかかわらずそんなことも分からないなんて・・・(笑)。
いい詩ですね。私の母もそうでした。今のうちのカミさんもそうです。いずれも名実ともに昭和の人で,彼女らが毎朝台所仕事をしている音,まな板をトントンと叩く音で家族が目覚めるのです。それにしても二月の水の冷たさは格別ですね。お米をとぐのも本当に冷たいでしょう。ありがたいことです。ただ,「今のうちのカミさんもそうです。」という表現は,少し誤解を与えますので,「うちのカミさんの今もそうです。」に改めます。何しろ私は一度しか結婚しておりませんから(笑)。彼女も毎朝午前6時少し前に起きて朝食を作ってくれますし,娘のお弁当も作ってくれます。毎朝のことですから大変でしょう。でもそういう愚痴は全くこぼしません。くどいようですが,本当にありがたいことです。
さてさて,それにしてもとうとう日銀が重い腰を上げましたね。14日に開かれた金融政策決定会合で,事実上のインフレ・ターゲティング「1%」に言及しました。このずーっと続いているデフレ経済脱却のためにようやく重い腰を上げ,この1%に加え,10兆円の追加緩和です。でも日銀だけではデフレ脱却は無理です。政府と一緒になって本気で財政出動をしなければ効果は希薄でしょう。何しろ,企業の内部留保とご家庭のタンス預金が有り余っておりますから。要するにデフレギャップの解消が必要で,需要を伸ばさなければなりません。復興需要,特にインフラ整備でいきましょう。そして,インフレ予想を徐々に形成していき,企業や国民をして設備投資や消費に向かわせるようにしなければ意味がありません。日銀のこのたびの事実上の1%インフレ・ターゲティングの報に接するにつけても,「日銀はだれのものか」(中央公論新社)という本を著し,4年間日銀内で孤軍奮闘されていた中原伸之さんの言うとおりの展開になりつつありますねぇ。
先日,インターネットで音楽関係のことを検索していましたら,偶然にユーチューブでウラディーミル・ホロヴィッツの演奏会の動画に出くわしました。最近はいろいろと便利になりましたね。関心のある項目についての情報に直ぐに接することができます。
ウラディーミル・ホロヴィッツといえば,20世紀を代表する名ピアニストで,押しも押されぬヴィルティオーゾ(巨匠)です。私も子供の頃に憧れておりました。偶然に出くわしたその動画は,昭和40年ころにロンドンで開かれたホロヴィッツのピアノリサイタルの模様で,そのうちショパンのバラード第1番の演奏だけ観ました。圧倒的な演奏でしたね。本当に凄いわ。
それにしてもその動画を観て改めてビックリしましたのは,演奏中のホロヴィッツの指の状態です。あんなに素早いテクニックを要する部分でも,指が伸びているのです。あたかもそれぞれの指の腹でキータッチしているような感じです。信じられません。小学校の時にピアノの先生から言われたのは,「両手をグッと握ってごらん。そしてソッと力を抜いて。そうすると指に自然なカーブができるから。」ということでした。つまり,キー(鍵盤)はどちらかというと指先でタッチするものだと教わっていたし,実際にそれが弾きやすいのです。でも,ホロヴィッツは違います。しかしその演奏は本当に素晴らしいのです。
「ピアニストたちの世界」(芸術現代社)という本の中で,音楽評論家がホロヴィッツの演奏に言及しておりますが,そのうち,このホロヴィッツの演奏方法(時に指の状態)に触れた箇所を引用してみましょう。
「専門家の評では、ホロヴィッツの指の動かし方、どんなルーズな先生でも大喝を食らわせかねない奇妙なタッチのみで成り立っているのだそうで、不自然、不合理の権化といってもよいらしい。こんな常識を無視したひどい指使いでどうしてあのように美しく弾けるのか、ピアノの専門家は異口同音に不思議がっていた。私は何も、劣悪な指使いにもかかわらず、自分の思ったことを強烈に表現出来る点こそホロヴィッツの個性であるなぞと言うつもりはない。聴き手にとって、打鍵の瞬間鍵盤を引っ掻くように指先の関節を内側に曲げようがどうしようが、一の指の音符を二の指で弾こうが弾くまいが、大切なのはそこから生まれる音と、それら音のからみ合いで形造られてゆく楽曲の全体像なのであって、音以前の方法論に立ち入ることはあるまい。いずれにせよ、ホロヴィッツの存在は、今世紀ピアノ界の、かけがえない財産となった。」(中村洪介,前著42~43頁)
「ホロヴィッツはピアノを弾いている間少しも姿勢を崩さずにいた。椅子に腰掛けたまま、上半身を垂直にしていた。腕もほとんどまっすぐにして、動かさずにいた。両脇もまるで開かない。手首も使わない。使っているのは指の先きだけだ。それも弱音で速いレガートを弾くときは、指の関節を曲げずに、普通の奏法では禁じられている『まむし』のような格好をして、指の腹を鍵盤にほとんどつけたまま、どんな速い音でも、歯切れよくはっきりと弾きのけてしまう。腕や手の関節を動かさずに指先きだけに奏者のすべての力の重みがかかってくるだけだ。それに鍵盤にほとんど指先きをつけたままあんなに敏感にスピーディに指を動かす彼の神経は不思議というほかはない。ただピアノの天才だけに許されることである。」(野村光一,前著68頁)
ホロヴィッツは,その奏でる音も,その解釈も,そしてその指の動きも,人々を驚嘆させるのであります。
昨年の12月22日に,韓国の済州島がスイスのニュー・セブン・ワンダーズ財団という組織が選ぶ「世界7大自然景観」に最終確定したそうです。しかしなぁ,いつのことだったか3年ほど前の春に,私もゴルフ旅行で済州島に行ったことがありますが,そんなに綺麗だったかなぁ・・(笑)。かの島が「世界7大自然景観」になったとは本当に意外でした。
でも先日の産経新聞の記事によると,これには裏があって,どうやら済州島の得票数の相当部分が韓国の公務員らの電話投票によるもので,昨年9月末の時点で1億回以上の電話がかけられており,その料金が210億ウォン(約14億7000万円)だったそうです(爆笑)。いつもどおりのお得意の人海戦術ですね。
これには後日談があり,スイスのニュー・セブン・ワンダーズ財団という組織も何やら怪しいようで,スイスにあるという同財団の本部を韓国の取材陣が訪れたところ,そこは財団創設者の母親が運営する博物館だったそうです。その財団のことについて現地で尋ねても知る人がおらず,ドイツにあるという事務所も存在しないことが明らかになったそうです(笑)。
それにしても,昨年の9月頃には,グーグルが運営する動画共有サービス「You Tube」が韓国からのアクセスを遮断する措置をしたことが話題になりましたね。その措置で「韓国」と設定されているユーザーは動画をアップロードすることはできなくなり,また再生にも規制が掛けられ,再生数も反映されなくなったのです。グーグルがこうした毅然とした対応に踏み切った理由は,実は韓国は国家ぐるみで自国のK-POPを強烈に推すために,「You Tube」を使って何百万回もの再生数を上げるという不正がなされたからのようです。なぜ不正かというと,通常「You Tube」では1ユーザーにつき1日1回までしか同一動画での再生数がカウントされませんが,韓国ではツールを使って複数のアカウントを切り替え,その再生数を捏造していたというのです。ですから,ブリトニー・スピアーズやアブリル・ラヴィーンといった世界的なアーティストよりも,何と「少女時代」の再生数の方が上になってしまうのです(笑)。グーグルはこういったアタック行為に対して毅然とした処置を執ったようです。
韓国には「(国家)ブランド委員会」なるものが存在し,このように「You Tube」の再生数を伸ばす工作をしたりする仕事などが厳然と存在するようです。国を挙げて国家や国民のイメージアップ,ブランド力アップを目指しているのでしょう。
以前,アメリカのタイム誌が実施した「世界で最も影響力のある100人」のオンライン投票で,何と韓国のキム・ヨナが1位,レディー・ガガが2位になったということがありましたが,面白いのはその2人のビデオアクセス元(どこの国・地域から投票しているか)に関する比較データの結果です。公表されたデータによると,レディー・ガガの場合は,全世界から広汎に投票がなされたことが分かったのですが,キム・ヨナの場合は,ほとんどが韓国からのものだったのです(爆笑)。そこまでして・・・。
今,ネットでは,今年のロンドンオリンピックの冒頭を飾る歌のパフォーマンスをどのアーティストにさせるかについての世界的な投票がなされているようですが,何と現在までのところ,複数のK-POPのアーティストが圧倒的に上位を占めているとのこと。地元イギリスの方々は,「K-POPって言っても,あまりなじみがないのになぁ。」と困惑気味だそうです(笑)。大相撲といっしょで,ガチンコでいきましょうよ,ガチンコでね。
前にこのブログで,「墓標なき草原(上・下)」(楊海英著,岩波書店)という本のことをご紹介しました。実は昨年の8月には,その続編として「続・墓標なき草原」(楊海英著,岩波書店)という本も出版されていたのです。岩波書店という出版社は,私のイメージでは中国大好き,中国礼賛ということを昔から「社是」にしているような会社だと思っていました(苦笑)。それにしてはこの出版社が,この「墓標なき草原」という著作を出版したことは本当に意外でした。
あの殺戮の文化大革命がようやく終息したのは1976年。考えてみますと,あの中国という国では今から僅か36年前までこんな戦慄の政治闘争を展開していたのですね。この「続・墓標なき草原」という本のサブタイトルには「内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録」とあるように,この本は内モンゴルにおいて展開された中国共産党による狂気の,そして戦慄の記録です。
もともと毛沢東が発動した文化大革命というのは,政敵である劉少奇らのいわゆる「実権派」を粛清するためでしたが,その後は造反派,紅衛兵,軍などが入り乱れて想像を絶する混乱に陥り,批林批孔運動という方向まで進みました。でも,内モンゴルにおけるそれは,権力闘争というよりも,完全に漢族がほぼ無抵抗のモンゴル人を粛清,つるし上げた民族闘争だったと評価できます。「内モンゴル人民革命党員をえぐり出して粛清する運動」でした。この本の中で明らかにされている殺戮は,本当に,人間という存在はこれほどまでに残酷になれるのかと思わされる筆舌に尽くしがたいものです。粛清された内モンゴルの人々の慟哭が聞こえます。
この本が著された意図,そして著者が述べたかったことを一言で述べれば,この本の内側の表紙カバーの記載を引用するのが最も適切です。
「前著『墓標なき草原』刊行後,著者の元に多くの関係者から新たな証言が寄せられた。いま、内モンゴルでは農耕化・都市化・地下資源開発による環境破壊と強制移住が進み、モンゴル人は『ネーション』ではなく『エスニック・グループ』とみなされ、『自治』ではなく多民族による『共治』が強調されるようになり、モンゴル固有の地名や歴史が漢族に見合ったものに改編されている。文化大革命期における内モンゴルの全モンゴル族を対象とした、今なお真相が明らかにされていないジェノサイドの実態を、被害者の直接証言を通して明らかにする。文化的ジェノサイドは今も続いている。」
チベットでは中国共産党による不当な弾圧に抗議して僧侶らの焼身自殺が相次いでおります。ウイグルにおいても同様の不当な弾圧。内モンゴルにおいてもしかり。もともとチベットもウイグルも内モンゴルも中国の版図ではなかったものです。
まとまりのない文章となりましたが,これらは一読をお勧めしたい本ですし,終章の冒頭にあるモンゴルの詩人の詩には胸を打たれました。
二日酔いの日は,昼食にカレーを食べるべきです。しかもそのカレーというのは,相当に辛いルーでなければダメで,しかもご飯の量は少なめです。私の中では,「二日酔いの日の昼食は,ご飯少なめの激辛カレーに限る」という考えは,もはや確信の域に達しております(笑)。
最近,素晴らしい本に出会いました。「日銀はだれのものか」(中原伸之著,中央公論新社)という本です。
この日本という国には,しかるべき人材がいるはずなのに,なぜ超円高,デフレ経済を脱却できないままでいるのでしょうか。仏教でも因果応報のならいがあり,ある結果が生ずるにはその原因が必ずあるものです。日本経済がこれほど長期間のデフレに沈んだままで,しかも最近の超円高状態を解消できないのは,これを拱手傍観している人たちが存在するからです。デフレと超円高から脱却できないでいることについて,日本の中央銀行たる日本銀行の責任がなぜ問われないのでしょうか。
この本の著者である中原伸之さんは,かつて4年間にわたって日銀の審議委員として孤軍奮闘されました。中原さんはこの本の中で,この4年間の孤軍奮闘の体験を踏まえて日銀の問題性を鋭くえぐり出しておられます。新日銀法は1998年4月に施行されたのですが,この法律の欠陥は,日銀に「手段の独立性」だけでなく,「目的の独立性」まで与えてしまい,結果的に中央銀行たる日銀の金融政策に誤りや怠りがあったとしても,誰も責任を負わない制度にしてしまっていることです。
中原伸之さんの審議委員としての4年間,日銀の最高意思決定機関である政策委員会の金融政策決定会合(9名による採決)では,中原さんの提案は大体いつも1対8で否決され続けてきました。でも1998年4月から2002年3月までの日本経済の流れを見ていると,日銀は2000年8月にゼロ金利解除という政策的誤りを犯し,最終的には中原さんの政策提言に近い形で2001年3月にようやく量的緩和策導入を行いました。要するに中原さんの見通し,見識が正しかったことが証明されております。
また,この本が上梓された2006年当時の日銀総裁の年間報酬額は約3600万円という高額なもので,2人の副総裁でもそれぞれ約2800万円,審議委員も約2700万円に達しております。アメリカのFRB(連邦準備制度理事会)の議長の年収だって約2000万円だというのに・・・。旧法時代の日銀総裁の報酬年額は何と,5000万円以上だったといいます(呆然)。こういった庶民の生活とは隔絶した世界の人たちが日本の金融政策を牛耳っているのです。
私なりに思いますと,中原さんがこの本で最も述べたかったのは,恐らく終章である「第8章 日本経済と日銀の将来」の箇所に書かれている論述でしょう。私が思わず頷いてしまった箇所を引用しておきましょう。
「日銀の人たちは、『日銀は自分たちのもの』と思っているようです。けれど日銀の出資証券は、政府が五一%保有していますし、組織の本来の意味から言っても、『日銀は国民のもの』なのです。ですから、日銀総裁はなぜ年収三千六百万円を手にするのか、だれを審議委員に選ぶのか、だれが再任されるのか、その手順はどうなっているのかなどを、国会で国民にわかりやすく説明するのは当然のことなのです。」(273頁)
「金融政策を独占する権限を持っているのですから、その運営に失敗すれば、国民に対して責任をとるのも当然のことなのです。・・・ゼロ金利の解除は明らかな政策ミスで、その責任をとるべきだったのに、解除に賛成し、失敗したら責任をとると明言したはずの人でさえ、一人も責任をとらなかったのです。・・・ゼロ金利解除は日銀が法改正で与えられた独立性を意識し、政府の反対を否決して実施した決断なのですから、その政策の失敗の責任をとって、速水さんは辞めるべきだったと思います。」(273~274頁)
「絶えず議論になる日銀法四条の『政府の経済政策との整合性』はもっと明瞭に書き直し、同二条の金融政策運営も、インフレ・ターゲティング方式による物価安定目標を採用すべきです。金融政策の目標は、政府が与えるべきで、日銀には政策手段選択の独立性を認めるのがグローバルスタンダードです。目標を自分で決めて、自分で解決するのでは、自分のやりやすいような目標を選ぶことになりがちです。子供が自分の宿題を自分で選んで、出来ましたと先生に出すのと似ています。それでは適正な政策運営ができません。」(274頁)
舌鋒鋭いですね(笑)。